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今宵に宴を開くのは支位にある、繰尾家。つい三代前より絹の商いで財を成し上位貴族との手蔓を固め位を重ねたというのに、もう位替えを狙っているらしい。新しく外邦の屋敷を建てたとの知らせと共に、宴へ招いた有力貴族の名を連ねた書簡が六華のうち謳示、竜瑙。それぞれ従家を通した上で主家の子に届いた。
前例がないわけではないが、五代過ぎるよりも早く位替えを望む様は見苦しいもの。けれど、新しく位を得た者達の中には元よりある貴族と並ぼうと急き、慣わしを学ぶより先に尊威の域へと触れようとして零落れる者が少なくない。
それに比べて、書簡を六華へ直接宛てず、六華全てを招こうなどと欲を掻かない、記されぬ律に従った点は評価できよう。
四の侍女と集の侍女一人、そして冴璃と同乗する閉め切った車を二頭立てで牽かせる道程。六華や上位貴族の屋敷が建つ暉の域から下位貴族、商家等が在る和の域へ踏み入れるまで手順諸々も含めると二刻。更に和を渡って半刻は過ぎただろうか。天井に埋め込んだ照明用の瑩石の仄かな明かりの中で四の侍女の瀞に改めて繰尾の現状、そして招かれた貴族と謳示に関する話しを聞き出し終えて一息吐いたところだった。
「お嬢様、間もなくとなります」
警護する集の侍従から告げられて集の侍女が手早く窓へと手を掛けた。僅かながらに開かれた窓から差し込む光に眼を細めると、瀞が気遣わしそうに淡い青の目を向けてきたので問題ないと小さく頷く。六華の馬車は他の貴族の物に比べると快適であると聞いた事があるけれど、閉じられた車内は息苦しい。少しでも窓が開くと気持ちが楽になるので、多少眩しいくらいは耐えられる。
瀞に尋ねさせると日は傾いているが、日の入りから始まる宴の刻限には間に合うようだ。黄昏の強い光を反す石造りの白い壁は光を吸引する瑩石を砕いて正面を塗っているようで、目を痛めぬよう気遣いがされているらしい。
壁の柔らかな赤い色合いを眺めてみたいと好奇心が疼いたが、それには窓をもっと開かなくてはならない。外が見たいなんて子供じみた欲求で下下に顔を晒すかもしれず、みっともない真似はできる筈もない。後で馬車を先導する四の侍従である毅介を呼びつけ、語らせようと瀞に言い付けると承知と返してきた。それでもまだこちらを窺ってきたので促すと「絵師も置きましょうか」と進言した。
瀞は元は六の侍女だったが四と五が抜け、他に適当な者がいなかったが為に一気に位を上げた者だ。年若いが二や三の侍女に劣らず能力は十分にあり、察しも良い。だがそれが過ぎて、仕え始めてから今に至るまで私の快気に顔の緩みを出す欠点が直せていない。これが厄介で、万事控えめの質と合わさってか不思議と厭みに感じられず、今も緩んだ顔へ戒めの一つや二つ告げたいが呑み込んで仕舞って言えず終いだ。結局、暫く間を置いてから頷くに留めた。
「門となります。繰尾の者に四の侍従が応じますので今暫くお待ち頂きたく存じます」
再び掛けられた声に集の侍女を通して是と返すと、馬車が止まった。宴に出席すると決めてからというもの、三の侍女と繰尾が他の招待客と到着が重ならぬよう時刻を合わせなおかつ出立前にもこちらから先触れは出しているので辺りは静かだ。毅介の低く張りのある声と知らぬ声が車内でも聞こえてきた。滞りなく手続きは済んだようで、一声あってから馬車が動き始める。
暫くもしない間に馬車が止まった。
「繰尾が一の子、英一朗。尊き一華、竜瑙様の御子様へ御挨拶に参上致しました」
「尊き一華、竜瑙が三の御子様に代わり、定嗣が四の子、毅介がお受けする」
名告りが始まったと言うことは、玄関前に着いたのだ。名告りと言っても、下位貴族が相手であれば四の侍従の役目を担う者――上位貴族である款位の家を出自とする者が全て行うので私は待つばかり。齢十五から侍従として務めて十年の毅介であればその一言一句に耳を傾ける必要はなく任せておけばいい。私は私の、身嗜みにのみ注意を払えばいいので気が楽だ。
名告りが終わると漸く外に出られる。格好に見苦しい所がないか狭い車内で出来る限り確かめた上で集の侍女に扉を開かせた。瀞へ片手を預けて竜瑙の侍従達が囲う馬車から石畳へ降りて、はじめて目にしたのは夕暮れに染まる屋敷。
「塀と同じく瑩石を用いた造りのようですが……比べるとなれば、こちらは瑩石の質を含め、技巧が高いかと思われます」
屋敷を眺めていると瀞とは相対し右に立つ毅介が身を屈めて囁く。その拍子、濃い色合いの藍柱石を編み込む紐を絡めた左の一房が揺れた。
建築、しかも外邦の様式となると舘華峯に連なる者ならばいざ知らず、然したる知識のない私に粗を探しきれない。しかし力宿す貴石――瑩石の見極めならば、珠玉の竜瑙。未だ若輩ではあるが貴石を生み、瑩石へと手懸ける力と務めを持つ者として自負がある。今では領地巡りのみならず、手ずからの貴石やその細工物を己の侍従侍女への褒美と出来る技量だと尊き一華である、竜瑙――父に認められたのだ。
その目で見ても、支位なりの技を凝らしただろう仄かな赤に染まった屋敷は存外見応えがあった。
視線を下ろせば前方左右に分かれて片膝を付いて頭を垂らす者達が控えていた。最前列の煌びやかな衣装を纏う壮齢の男が繰尾家の次期当主。毅介を先立ちにその前を過ぎようとしたが、思い付きで足を止めてその男を見下ろす。
張りつめた空気。それと察せられてしまう甘さにやや興が醒めたが、言葉を落とした。
「……良い屋敷ですね。年月を重ねれば一層映える事でしょう」
私が屋敷に踏み入れるまで身動き許されない次期当主も含めた繰尾の者達へ直に声を掛ける必要はない。また、声を掛けてはならない決まりもない。
だから、誉れの一つ。細やかに手入れをされた外壁と奢靡とならぬようまとめている庭園の色彩へ与えても良いかと思って感想を口にしたのだ。隣立つ瀞が顔を緩めているのが、腹立たしくはあるけれど。
「――お褒めに与り、恐悦至極に存じます」
これ以上なく深く頭を下げる者達にいつまでも構ってはいられない。応えが終わらぬ間にこちらを窺う毅介を視線で促す。
私が屋敷へと姿を隠した後、招待客の車を管理する舎へ竜瑙の車も進む手筈だ。車に冴璃を置いたままだが、竜瑙の持ち物を手荒く扱う下位貴族はいないから、気に掛ける必要もない。
冴璃は私や一の侍女が直々に躾けた娘である。愚かな集の者共よりも余程己を弁えているので放って置いても問題を起こさないが、所詮下下の分際。公の場で連れて歩くなど狂気の沙汰であり、私だって考えた事すらない。
宴に出席すると決めてから得た知識として、繰尾家はその成り立ちから染織の水澄との繋がりを求めていて竜瑙、その従家とは繋がりがなく系譜の末連なりとさえ関わりが薄い。屋敷に用いた瑩石も竜瑙との繋がりなくとも財を積めば手に入れる事が出来る程度の物だ。ただ、仲介なくして揃えるならばかなりの眼力と財力、そして時を要したに違いない。
外観のみならず広い廊下の内装についても見苦しくはない。床の敷物は余すところなく深い緋色に染められていて、等間隔に備えられた外邦の灯台が照らす小さな額に飾られた綴錦も見るに堪えられる程。
幾ら何でも位替えは早過ぎる。当分の間は様子を見、問題がないならば従家の従家、末連なりいずれの者かを一度遣わすよう言ってみるのが良いかも知れない。
単なる成り上がりから評価を改め、父に進言しようかと考えを巡らしていると毅介の歩みが緩やかになった。まさか前方に誰かいるのかと思えば、ただ侍女達の控えの間らしい扉に近付いてきたのだ。
本来六華は四の侍従、侍女そして必要に応じて集の者達を連れて公に現れるので、侍女とも離れる事はない。しかし、外邦との国交が以前よりか深まるとその様式での公の場も僅かながら増えるにつれて、在り方を変えざるを得なくなる。四の侍女の正装である曉衣の長袴では景を損ね、表立つ女の外邦衣は動き難く逆に主を危険に晒しかねず。かと言って、男物を纏う女を連れて歩くなど正気を疑われてしまうくらい異な事であり。
四の侍女の変わりに侍従を増やす運びとなったのは、六華、そして各々の従家の苦肉の策。尤も、一番苦さを噛み締めているのは一部であれ誇りである務めを取り上げられた六華の四の侍女達だろう。渉外に携わる方鐸では四の侍従と四の侍女、それぞれの配下である集の者達に不和が生じているのだとか。同じ一華とは言え他家の耳に入るくらいだ。実際がどれほどのものかは想像するしかないけれど、風説にされる事自体が方鐸にとって悩み深い筈だ。
竜瑙が三の子、私の四の侍従侍女であれば寡黙な毅介と―――私に関しなければという注釈がいるが、物静かな瀞。諍うなど見た所はないが、単に私の目の前で事起こすような真似をしないだけかもしれない。
瀞と集の侍女が離れると、毅介が踵を返して私の右後方に付いた。それを機に集の侍従五人が囲う形へと速やかに広がる。
繰尾家について父へ伝えるかどうかは宴が終わるまで保留するとしても、別れ際まで瀞が顔を緩めていたのを一の侍女に言い付ける事は決めた。
六華の侍従、侍女の役目は誇りであると同時に、重い。確固たる繋がりから側に置かれ、古くより杲の華よ誉れよと謳われた名に相応しくならず、それだけに求められる所が多い。
宴に招かれた際の案内を招いた繰尾に任せずに侍従侍女が行うのも、六華の仕来り。宴が開かれる前に彼らはこの屋敷を訪れて図面から始まり各部屋の調度品まで検分を行い、吟味し、その全てを頭に詰め込んだ上で、帯刀し主の先を行く。
公の装いで主家の色と合わせる事が許されているのは他の貴族の雇われ者とは歴然として異なるのだと自他共に知らしめる為で、六華の主従が現れると分かる先でその色を纏うというのは華に対する侮辱であって、仇なす布告に等しい。
逆に、六華と名告りその色を纏っている者が失態を犯したとなればその系譜、末連なりまでの恥となる。
竜瑙であれば青。外に出向く際の装いは必ずこれに基づいた色となり、私もそれに従い今回は瑠璃色の外邦衣。侍女侍従は群青の装いで纏めている。
その青を背負う後ろ姿が大きく開け放たれた扉から広間へと踏み入れかけて止まった時、私は目を見開き、そして罵倒しそうになった唇を噛み締めた。
繰尾家の者に名を読み上げられたと同時に扉を潜るはずの所を足を完全に止めてしまい、背の強張りを隠そうともしない先の侍従達。六華と耳にして、目をこちらへと向けていた貴族達からは困惑と――明らかな過ちへの失笑か。集の侍従であろうと青を纏う者が公の場で感情を露わにするなどとこれ以上にない見世物への嘲りが身に浸みて。
「――お気を確かに」
足元から崩れそうになるのを落ち着いた声で持ち直す。集の者共にどんな躾をしてきたのかと即座に後ろへ小さく振り向き睨み上げれば、大広間を見詰める酷く険しい毅介の顔があった。数位である侍従の凍るような目付きは、僅か一瞬。見間違えたのかと思うほど、今見ても緑青色の目に感情は上らず凪いでいる。
配下である集三人の体裁の悪さに毅介も感情が表に出てしまったのかもしれないが、その感情さえこの場で示すべき物ではない。囲う侍従が揃いも揃って私の面目を損ねるのに、ここで私が喚いて地団駄踏んでは竜瑙末代までの――いや、六華の恥。
そうと言い聞かせて漸く歩み出した侍従に合わせて広間へと入った。
この広間は宴が始まるまでの憩いの間であり、壁際には長椅子が備え付けられていた。左には壁一面を覆う綴錦の大作が提げられていて、間近で鑑賞する者達もいるようだ。
黒か或いは白の髪が多くを占める中で、鮮やかな橙色を帯びた茶の色が目に飛び込んでくる。侍従を傍らに、綴錦の左隅にある背筋の伸びた立ち姿。後ろ姿であるが見間違いようもない。
尊き一華、謳示が一の子である當生様だ。
今の侍従の失態をご覧にならなかったのか。いずれはどこぞの貴族より耳にされるだろうが、直接目にされるよりはと安堵する。……竜瑙の名に、振り向いて頂けなかったのかと思えば寂しいけれど。
気を取り直して綴錦へと命じるよりも先に、侍従達は長椅子の並ぶ右の壁。しかも、當生様から遠退くように奥へ向かい始めた。
「どうかあちらへお掛け下さいますよう」
唖然とする私を淡々とした声が押す。
「何を」
「お嬢様」
背に毅介の手が添えられた。
「この身に与る誉れを全てお返しする事も覚悟の上、どうか」
侍従の務めを辞し、与えた貴石を返上するという低く抑えられた声音に懇願と焦りの色が微かに混じる。
この私に強いてまで、何なの一体!?
失態を犯した身で他華である謳示に近づけないとでも言うのか。主たる私の方が耐え難く、叶う事ならこの場で務めから外したい。
けれど。集共々、務めからは外すまいと。授けた手ずからの貴石により免じてやろうと考えていたのに、それを!
苛立ちを噛み殺して俯き、表情を整えると自らの足で奥に進む。せめてお顔をとばかり、再び當生様へと視線を向けた。
――――若葉色の衣の女が嬉しそうに笑って。
かつて藍柱石を授けた大きな手が強く背を押す。
――――當生様が柔らかく微笑んだ。
これ以上、青の竜瑙として失態を晒してはならない。その矜恃だけで私は耐えた。