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曉衣は我らが杲国の一般的な衣の総称だ。様々な型の中でも紋様や布の美しさを誇るために裾を床に広げる、または後ろに流す衣は、杲の名の下そして六華の行事での装いが多い。そして布地から始まり染め色、紋様、着付け、着る者――重要さが増すほどに多くの仕来りの上で完成する。あくまで私的な茶会や庭園の観賞のように動きの多い催しでは、女性だと一部例外はあるもののこれら型は着用しない。踝までの裾、小袖のような普段使いの衣と変わりのない丈を選ぶのが慣わしだ。
対して外邦より我が国にもたらされた女性の衣型は総じて裾が長い。今回のような催しでの女の装いは、裾が床と垂直になる様が正しい着付け。その為の型でも着るだけでは裾が床に広がり、歩く事も儘ならない。胴を絞り、その腰に木や骨を半球型に組み立てた物を着け、その上から布地の厚い衣を纏うのだ。そして、爪先が細く、棒や板等を重ね合わせて踵のみを持ち上げる型の履き物と合わせる事で、漸く裾が床に掠める程度の丈になる。
全体に刺繍を刺した見目麗しい衣であるが、その実、小袖よりも重い上に爪先で歩くような装いは大変歩き難い。しかし、私は外邦人と比べられても遜色なく歩ける自信がある。そうでもなければ、竜瑙の名を背負って宴に出席するなど出来る筈もない。
……けれどそんな私であってもどうすることも出来ない事は、ある。
大男と評するまでではないけれど、父の背丈はそれなりにある。それに劣らぬほど、母の背がある。女である母が、だ。顔立ちばかりは祖母に似た私だったが、体格は父か、或いは、母に似たのだろう。
幾ら悩んでも変えようのない事実。その内の一つが伸び止まぬ、背の高さだ。
當生様は来るべき伸び盛りが未だ来ておらず、同じ年頃の少年に比べて小柄だ。兄は一年前程前から伸び始めており、元より當生様との間にあった差が一気に頭一つ分までに開いた。
小柄だからと言って、當生様の魅力が何ら損なわれる事はない。所作一つ取り上げても洗練されていて、いつも見惚れてしまう。ご友人の方々と気負いのないお話しなさっている姿は、男の方には喜ばれない思いだろうけれど、この上なく愛らしい。そう、私としては例え當生様が小柄な方であっても全く気にならない。お慕いする気持ちは変わりようもないのだ。
しかし。切にお慕いしているからこそ、當生様よりも二つ年下の私の背丈が高い事実は酷く悩ましい問題であった。私が全く気にならないとしても、通説として男性側、背丈について特に若い方々は甚く気にするもの、らしい。兄よりも背丈が勝った一時期にはこれまでになく二人で並ぶような機会を兄から避けられた。
それに、母が戯れで外邦の装いになった時の事。
今よりも幼少の頃、外邦人向けの既製品を一種の飾り見本として従家より贈られた。それを母なら着こなせるのではないかと有希乃が言い出したので、物は試しと身に付けられたのだ。既製品とは言え、主家に献上された物。あちらの貴族が纏う正式な衣に履き物、装飾品一式まで揃っており、細身が故に隙間が出来る部分を布で誤魔化しつつ身に着けた母は――驚いた事に少し裾丈が足りていなかったが、美しかった。その場に偶然現れた父も暫く見入っていたのだが、我に返っての一言は眉を顰めて「履き物が身丈に合っていないな」である。裾丈が短いと言えば良いところをわざわざ裾に隠れて殆ど見えない履き物への言及。しかも身に合っていないという指摘だ。賛辞でもなく背丈への明らかな言葉に、母の笑みが小さく引きつったのを静けさの痛さと共によく覚えている。
その後、誂えられた外邦衣は美しい母を一層輝かせる物ではあったけれど、身に付けて父の頭上を越えるような丈は一枚たりともなかった。
外邦より近しい――とは言えど、遠き海の先にある海悠の域、いずれかの国の装いであれば、女の背を高く見せるような類はほとんどないというのに異なる文化とは時にとても厄介である。
それはともかく當生様だが、そのうちに伸びるだろうと焦っている様子も気にされる素振りもされていない。けれど、内心ではお悩みになっていた場合、外邦の装いの、いつもに増して丈がある私に見下ろされてどう思われるのか。万が一にも気遣いを怠ったが為に當生様のお気持ちを陰らせるような事があれば、私は辛さから泣き伏してしまうだろう。
故に、痛くも痒くもない集の侍女の小言などは余所に當生様のお傍に相応しい姿となるよう身繕いするのだ。
毛足の長い絨毯の上に膝をついた侍女達の手によって、瑠璃色の裾が上げられている最中の事。
「お嬢様、冴璃が戻りました」
扉向こうから掛けられた声に裾を持たず傍らに控えていた集の侍女達の、ほんの一瞬目配せをする間がある。そうして無言の内、何かしらで選ばれた者が長い扉を開きに向かった。
主である私にそれと気付かせるなど侍女としての不作法、けれど鏡越しに眺めた咲江の表情は変わらない。無論、上位の侍女が後々には集へ注意するだろう。しかし、それだけだ。先の私への無礼に対して行われる厳しい叱咤や躾直しに比べれば微々たる物。
音もなく開いた扉を潜り、箱二つを抱えた端女には外邦の使用人が着る、黒い衣。これから連れて向かう宴も外邦の様式なのだからと私が命じて着替えさせたのだ。しかし、連れて行ったとしても宴の席にも、端の者達の控えの間にも置けず、働かせる事もない。戯れに外邦人のように結い纏めさせた黒髪へ簪を飾らせてみると中々、見栄えは悪くない。悪くはないが、我が国の飾りに外邦人の衣という半端で型破りな装いは、仕来りや様式を継ぐを良しとするこの国の在り方からすれば見苦しい。命じた私だって、多少はそのように感じてしまう。
ただの下女をこの様な姿で表に出せばどこからとなく一の侍女へ伝わり、そして父に繋がる。父は竜瑙当主として、その所業をお怒りになるに違いない。
上位の侍従、侍女に始まり、末の下男、下女まで従家から召し出すが六華の慣わし。竜瑙も当然、数位を持つ上位の奉公人ならば必ず竜瑙の従家当主より近しい血縁者であるし、末であっても従家と確かに血の繋がる者が従家より選別された上で就く。忠義を尽くして止まない血脈に対し、悪戯に見世物扱いをして公然と辱める行いは主家の名を貶めるというもの。
けれど、冴璃とその兄、珪冱であれば違う。
この二人に限っては従家の血筋でないどころか何処の血とも知れない者で、奉公人ではない。貴族に近しいか裕福な家の出である末の者達とさえ、本来ならば視線を合わせる事が許されない程に二人の身は卑しい。ただ、気紛れとは言え私が拾い、父から許しを得た上で私の傍に置く事になった。六華を主家とする者であれば誰しも望む、誉れ高い六華の側仕え――例えそれが悪道者と名高い三の子の側だとしても、希有に変わりない務めを二人は手に入れた。
従家の者達にどのような感情が過ぎったのか。杲と六華に置き換えれば主家の私にも分からなくもないが、他の従家の者と同じように二人を扱おうと思っていないのだから、取り立てて気にする必要はないだろうに。
いつ頃からか二人の扱い方について、従家の間で申し合わせた訳でもないのに固まっていた。
三の子に侍る者、人に非ず。三の子の御慰み、人を模した形代なり。
主家の娘にそれがどのように扱われようと気を病む必要ない。主家の娘の年甲斐もない、御人形遊び。羨むも妬むも人形を相手にしては虚しいだけ。二人でなく二体、私の側にいる限り人で無し。
父の許しを得た上で兄妹を置く私をあてこするような考えは気に入らないが、そうして従家が矜恃を宥めるしかないというならば仕方あるまい。程度が過ぎた態度をとった時は、それなりに覚悟を決めておけと思うばかりだ。
今の、集の不手際は不快だが、この程度で一々口を挟むのも時間が惜しい。「冴璃」と声を掛け、閉じた扇で卓台を指し示した。冴えた青色の目を伏せ目がちに、衣装合わせに集められた靴の並びに箱二つを加えると私に向かって外邦の一礼をして扉外へと踵を返す。咲江の一瞥を心得た集の侍女が二人、蓋を開け置いて箱をこちらへと持ち寄る。
「こちらは青紫、佳駕音は……群青ですね。召された衣には群青がよろしいかと」
膝を折って掲げ持つ箱には細かな刺繍が刺された青み帯びた濃紫の靴と、細かな貴石を縫いつけた鮮やかな青の靴。全体が瑠璃の色の衣には深みのある青がいい。今も同じような色合いの靴を履いている。けれど、衣から浮くような紫の靴よりも、踵が幾分高い。
他の衣の色に合わせたのだから仕方がない事なのだが同じ青紫でも、もっと青みが強く紫を押さえた――父や兄の黒髪に帯びる、紫が僅かにかかる冴えた青であれば良いのに上手くいかない。
佳駕音も、佳駕音だ。それでなくとも私の背は伸びているというのに、踵の高さを考慮せず靴を贈るとは。質が良い青だとしても履けなければ意味がない。飾りであれば、充分間に合っている。
――色か、実か。
咲江の助言に沈黙していたが、幾ら睨み付けても高さが変わる訳もない。
「こちらでございますね」
明かさない場所とはいえ不揃いの装いは醜いだけ。それでもって、當生様の隣に並ぶなど言語道断である。私は自らに言い聞かせて青く染まる靴を選んだ。
主の苦渋も知らずに気を緩め、口元を綻ばせた集の二度目の無礼が目の端に映る。これでは私と同じ齢の冴璃の方が礼儀がなっている。先達て私の集の侍女が五人も婚姻により務めを辞し、十代半ばの年若い者が増えたが出来の悪い者ばかりが目立って仕方がない。
集の不作法は主の名をも汚すに繋がる。今度こそ、その侍女へ扇を投げつける事になったが、主として当然の振る舞いであり、決して八つ当たりではない。従家の誇りを慮ってそれとは告げずにいる主の情けに、程度の低いこの侍女が気付けるとも思えないが、せめて、他の集は察せよと思う。