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 家族だけだと思っていたお茶会に現れた、日溜まりのような方。温かな眼差しで私を見詰め、柔らかな声で名を告げて――――そして、朗らかな笑みを浮かべた。 

 その優しさは私にとって酷く甘かった。世界が溶けてしまいそうな甘さで私は只只酔わされた。

 どうしようもなく恋をした。


 當生様に恋をしてからというもの私は変わった。

 今まで侍らせていた従家の者を使って當生様の出席される行事を調べ上げ、所縁もない貴族の開く茶会であっても可能であれば渡りをつけて参加し、とにかく積極的に、また見苦しくないよう気を配りながら私と私に付随する竜瑙の魅力を訴えた。それが叶わなければ、参加した者達からその時の様子を悉に聞き取り、當生様の、或いは、當生様のお傍に侍る者達の知識を得た。

 私についての噂は貴族の間で秘かにも確かに根付いている。けれど、私が姿を現す場所ではぴたりと止む程度。私の隣にいる當生様の耳に触れるような間違いはないし、元々羨望と怨恨を向けられやすい六華に対する弱々しい放言を、同じ境遇の當生様が鵜呑みにする筈もない。それでも下らぬ妄言を吐く輩を野放しにしてはおけないので、見つけ次第躾のない真似はしないようよくよく言い聞かせた上で握っていた弱味で首枷をつけた。

 當生様の好みの他、必ず知る必要がある謳示については生家である竜瑙よりも熱意を持って歴史、慣習、領地、財政、従家の構成、諸々を念入りに学んだ。祭祀を担う謳示に関して同じ一華授かる竜瑙と雖も調べるには限りがあり、得られた知識は少なく、ともすると謳示の従家にも劣るかもしれない。

 歯痒いが、未だ竜瑙の身の上。晴れて謳示となってから学ぶ他なかった。

 肝心の當生様の反応だが、上々である。初めは私の好意に驚いていらっしゃったが、三ヶ月も経たない内に親しく名を呼び合う仲となり、更に半年経てば可愛がってくださるようになった。妹としてあしらわれているのではと口にした小賢しい下男もいたが、愚かしい。成人してもいない、年若い淑女を堂々と傍に据えて置くには婚約者であるなどの理由が必要だ。當生様がどれほど誠実な方であってもそれは曲げられない。色めいた男女の仲ではなく、兄妹のような睦まじさであれば周囲も目を瞑ろうというもの。

 私が當生様への思慕を押さえられず終始愛を囁いているから、當生様は私へのお気持ちを押さえながら接してくださっているのだ。

 どうしてあの兄が當生様のような優しく真面目で謙虚な方の友と為り得たのか不思議で仕方ない。

 今でも兄とは同じ屋敷に住んでいるが、顔を合わせる機会と言えば當生様のお会いする時か未だにある有希乃のお茶会の時だけで、保養地への行き帰りさえ共にしていない。実の所、有希乃のお茶会でのみ兄妹として振る舞っている。単に血の繋がりのあるだけの、他人だ。

 しかし、例え他人であっても噂というのは耳にしてしまう物で――兄が鼻持ちならない態度を各所でとっているとの噂については枚挙に遑がない。好きにすればいいと思うけれど、竜瑙と當生様に害が及ばぬ程度というものは考えて欲しい。

 兄の行いで竜瑙の名を貶め、當生様との婚約に障りがあっては大問題である。



 當生様をお慕いし始めてからというもの婚約については意識していた。

 貴族の婚姻は少なからず家同士の利害が絡む。六華となれば言わずもがな。當生様にお会いする以前に、両親の場合を父に尋ねた事があるが「政略結婚だ」と言い切られた。

 二の子としての竜瑙の義務を果たしているが、私が三の子であることは変わりようのない事実だ。一の子である兄には数名の婚約者候補が決まっているが、二の子の有希乃についてはまだ一切決まっていない。いつまでいるとも知れない二の子であるけれど、それに先んじて三の子の婚約者を選び始めるのは体がよろしくないという。そう、珍しくもない話。

 だから私は婚約者は勿論、その候補者さえ挙がってきていない。

 けれど、他家から品定めされているかどうかであれば話しが別という。これもまたよくある話である。

 兄同様、齢同じくする謳示の一の子である當生様も婚約者候補を絞られている。列挙される令嬢の中には当然、竜瑙有嘉梨の名があった――――ただし、第二候補者として。

 あくまで伝聞、されど社交界の風説。実際、謳示に確かめた訳でもない。確かめられるのであれば何をしてでも確かめたいが、その手立てがない。

 當生様にお尋ねすることもできない。

「第二の候補者に竜瑙有嘉梨、第三には竜瑙有希乃の名があるというのは事実でございますか?」

 ――――――どんな顔をして尋ねられよう。

 私は當生様のお傍から離れぬよう気を配った。第一候補者である謳示の分家の娘など比べ物にならないくらい、誰よりも魅力ある者として振る舞うよう気を遣って過ごせば、時早く過ぎるもので當生様とお会いしてから一年が経つ。

 當生様は十四となった。

 貴族の婚約は幼少から決まる場合があるが、こと、六華の跡継ぎは遅くとも十五には決まる。無論、情勢によって二十を越えるまで婚約者が存在しなかった者もいたが、多少なりとも落ち着いた今の世では暗黙の内に通例へ従うことになるだろう。

 つい先日、兄は竜瑙の従家の娘と双家の名の下に系交けいこうの儀――婚約を成し、そして披露目の宴を済ませている。

 六華の跡継ぎで婚約者がいないのは謳示と水澄みすみ。水澄のかたも當生様と同じ十四の齢ではあるけれど拠無い事情によりもしや婚約者が決まらないのではないかとここのところ囁かれていた。

 よって、當生様――そしてその隣で寄り添う私に皆の目が向くのは必然である。

 



 外邦の国との海路のうち幾つか民に開かれ、商船の行き来の許しが僅かなりにも得やすくなったのが祖父の代。

 未だ外邦渡来の品は下下しもじもにとって稀に眺めるだけのものだが、豪商であれば手に入れる事は然程難しくない。貴族に至っては外邦を模した私的な宴を催す事が最近の流行りだ。

 我が国では見ない珠玉の細工物を前にすれば年頃の女として心躍るが、肩どころか胸元まで晒す外邦の衣の慎みのなさには呆れて言葉もない。長きに渡り身を包み継がれてきた曉衣ぎょういを余所に、はしたのない装いでの集いが時めいて良いものなのか甚だ疑問である。

 疑いは捨てきれないが、宴に當生様がいらっしゃるとなれば、ここは竜瑙の娘。恋する女。外邦の衣であれ見事に着飾って見せよう。

 しかし。

「――これでは駄目ね」

 外邦の建物を模して造られた別宅、その一室。侍女の皆が曉衣の小袖を身にする中で私のみ外邦衣とおのいという鏡の面を矯めつ眇めつ見詰めていたが、結局溜息を吐いた。

「まぁ。裾は綺麗な位置でいらっしゃいますよ」

 後ろの裾を直していたしゅうの侍女の一人、目を大きく開いているのが鏡に映った。仕上げの今、何をとでも思っているのか。侍女の中でも末の地位、集の分際で否の答えを返すなど不相応であるが、私の数少ない侍女だ。手慰みに持っていた外邦の布扇を叩き付ける事はせずに握り込むことで耐える。無礼者も軋む音には気付けるようで、それを始めとした集の侍女は皆一様に、素早く衣から手を離すと後ろに控えて頭を垂らした。

「お嬢様、後もう暫くもしない間にもお発ちになるお時間です」

 残る二の侍女が即座に上がった集の声に眉を顰めていたものの、とにかくは主をと、宥める声音で私の傍らへ添った。

 「咲江さきえみなまで言わせるつもり?」

 付き合いの長い侍女の前、仕方なく扇を広げて細波を模した透かし刺繍の布地に口元を隠す。けれど、何と言われようとも駄目なのだ。紅を塗った唇が発するよりも先んじて命じる。 

「――――冴璃さゆり外邦靴とおのかで、先日手に入れた物と、佳駕音かがねが渡してきた物を!」

 私的な宴という条件の下であれば、一の侍女に利かない無理も二の咲江だと利く。流石に身の上を締め付ける骨組みからし直そうと思っていない。履き物と布帯を結び直せば事足りるはずだ。扉向こうで控える端女が外邦の履き物を持って戻るまでに裾を上げておこうと小気味良く扇を閉じた。

 「……先の二つで終えて下さいね」

 小さく響いた扇の音に諦めたのか、咲江は私に念を押してから集の侍女へと指示を出した。


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