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「――――お気づきになりましたか?」

 柔らかな寝台の上に身を横たえている私への呼び掛けに、視線だけを彷徨わせた。紗でもかかったかのように確かとしない視界を足元へ向けると、寝台の傍らに少女が両膝をつきひっそりと控えていた。天井から吊された光源は淡く、日のない部屋を照らすには心許なかったが、少女を目にした途端に私の目ははっきりと光景を捉え始める。

 少女の纏う黒い衣は外海より遥か遠い外邦とおの国からもたらされた衣の中でも、使用人の仕事着にあたる。本来、結い上げた髪は布で隠すか地味な留め具で押さえるところ、少女は銀の簪を後ろ髪に挿していた。紫の貴石を砕いて連ねて垂らした簪は使用人を飾るには不相応な代物であった。

「お加減は如何でしょうか?」

 視線が合うよりも先、簪の細石を微かに鳴らして少女は顔を伏せた。こちらの凝視に気付いたのか知れないけれどその声は冷ややか、棒読み、淡々とした、……違う。何であったか、もっと、適切な少女の態度。親しみ、優しさ、柔らかさだとかいう感情の含みが一切なく。事務的というのが近い。

 どうして、少女との間には壁、と言うより、深い溝があるような雰囲気だ。まじまじと眺めてしまったのが悪かったのか。それとも気付かぬ儘に何か迷惑をかけたのだろうか。初対面の人にこれほど敬遠されるとは――。

 ――初対面?

 取り留めもない考えがはたと止まる。

 心内を見計らったかのように、少女が再び声を掛けてきた。

「お嬢様?」



 「煩いわね、気分が良い筈ないでしょう……っ、早く医者を呼びなさいこの無能!」体全体、特に後頭部の鈍い痛みを耐えながら冴璃さゆりを睨み付ける。余力があれば起きあがり、気の利かない端女はしために寝心地の悪い枕かそば付き台に飾られている外邦燈筒とおのひでも投げてやりたい。不出来さは何年経っても変わらないので今では諦めているが、階段から落ちた主に対する態度に改めて躾が必要だと痛感した―――……痛感、するのだろうな。すっかり思い出してしまった。

 数時間前の私であれば必ずそうした。

 声を掛けられて咄嗟に湧き上がった激情と今までの言動を振り返れば容易に導き出せる結果に頭の痛みが酷くなった気がする。

「お嬢様?」

 何の温度もない平淡な言葉が繰り返されるのを耳にして、返事をすべきだと思いながらも竜瑙りゅうどう有嘉梨ゆかり――私は瞼を閉じた。遠退く意識の中で相応しい言葉が浮かんだ。



 自業自縛。

 私は悟った。人生、齢十二で詰んだのだ、と。









 国統べる帝たるこう

 仕える杲属数多の血筋あり。こと六家華々しく。

 つつ舘華峯たちかね謳示おうぎ竜瑙りゅうどう水澄みすみ方鐸ほうたく

 連ねて六華りっかとし杲の下にて言祝ぐ。



 一華授かりし青の竜瑙りゅうどう。珠玉生み財のいただきに坐して久しく。

 その一の子、麗しく強か。二の子、愛らしく清らか。末の三の子は整えど厭わしい。



 私の姉、有希乃ゆきのは生まれながら体が弱い。体の調子が幾ら良くても、屋敷の庭へ出て花を愛でるか鳥を眺めるのが関の山。それにしても、日差しを長く浴びると疲れから寝込む。同じ病であっても私なら軽い咳で済んで、有希乃が患えば喉を腫らし熱を上げて骨を痛めて生死を彷徨う。

 父も兄も私も至って健やかだ。母は体調をよく崩すが有希乃まで酷くなく、それも元はと言えば有希乃と私を生んでからのことで、二人が生まれる前は丈夫であったらしい。

 そんな有希乃と私は双子だ。けれど、二人を並べてそれに気付く者は少ない。

 有希乃の顔立ちは父と母に似ている。父は冷ややか、母は涼しげなという雰囲気の差はあるものの揃って秀麗且つ艶めいた容姿だ。両親は忍んで巷へ連れ立ったとき兄弟に間違えられたこともあるらしい。色々、逆ではあるけれど、つまり両親はそれだけ似通っていた。その子である有希乃の虚弱さは艶やかさの代わりに頼りなさ――儚さを与えた。

 正しく見目麗しい、深窓の令嬢。それが竜瑙りゅうどう有希乃ゆきのである。

 さて私は母の母、祖母におおよそ似ていた。疾うの昔に亡くなり絵姿も残っていないのでよく分からないが母はもちろん、何度かお会いしたという父からのお墨付きだ。祖母の髪は赤みが強い茶色。父と母は青紫を帯びた黒髪で、兄も有希乃も同じ。どれ程手入れしても、赤紫の色合いのついた黒髪は青くならない。


 当代における竜瑙りゅうどうの子供達の謳い文句のうち、陰で囁かれる「麗しく」、「愛らしく」、「整えど」は容姿を指す。


 一人として見ればけして悪くはない。目鼻立ちがはっきりとして、少し吊り上がり気味の大きな目も勝気な内面をよく表して生き生きとしていると褒められたこともある。

 ただし上の二人と並べてしまうと、一転。全てが見劣りするらしい。特に儚げな有希乃と隣り合うと霞んでしまうどころか、好ましく思われた目は意地の悪そうに吊り上がっていると誹られる悪点となった。

 竜瑙の名を冠する私に正面から告げる口はないが、耳を澄ませるまでもない。兄や有希乃を讃える言葉に潜ませた含み、落胆する目の色など、父の庇護下にあっても幼い頃からひそやかに与えられてきた。

 父は跡継ぎの兄、母は病弱な姉に手一杯。竜瑙という財の代名詞とも詠われる家で顎で使える人間に囲われ、自身への嘲笑と陰口に耳を肥やし、家への嫉妬ねたみそねみを浴びたところ。

 高慢且つ捻くれた娘に見事育った。

 表立って好き勝手をする訳ではない。

 屋敷の使用人に無理を押し付け、叶わなければ躾と称して鞭で別の者に叩かせ。

 竜瑙の従家じゅうかの者の中で気に食わない者がいれば、周りを嗾けて孤立させ。

 竜瑙の足元にも及ばないような貴族を陰に日向に貶める。

 大なり小なり、他の貴族と変わらない日常。竜瑙の名に傷が付かない程度は慎重に見極めている。有希乃と共に保養地で暮らす母はともかく、都にいる厳格な父が口出ししないということは許容の範囲なのだ。

 竜瑙の三の子――――――末の娘は「厭わしい」悪道者である。

 忍びやかに広がる風評に悪怯わるびれる必要など、私にはない。

 ――――竜瑙の二の子の義務を果たしているのだから、この程度遊んだとして何の咎めがあるものか。

 栄華の欠片にも触れられない者達の蔑みを私は微笑んで首肯しよう。憤り罵るのも恐れて悪態吐くのも好きにすればいい。私だって許される限りの勝手をするのだ。

 正しく傲慢無礼の悪徳令嬢。それが竜瑙有嘉梨であると胸を張って応えてやろう。



 しかし悪辣と誹られても鼻で笑い返す私も、結局は人並み。それを痛感させたのは竜瑙と同じく杲より尊き一華を授かった謳示おうぎが一の子。名は當生とうおう。私よりも二つ年上で、兄と同じ年である。出会う切欠は兄からもたらされた。

 年に二度、恒例となっている保養地への滞在。大概行われる有希乃のお茶会で、身内以外での初参加者という誉れを兄が授けたらしい。そんなこととは露知らず、日除け傘の下、茶器をいそいそと準備する有希乃の横で読書に勤しんでいた私は兄と連れ立って颯爽と歩いてきた彼を見るなり、眉を顰めた。

 兄妹揃うところ程見られたくない物はない私だが、嬉しそうな母の手前で機嫌の悪さを出すことが出来ずに心内を兄への罵倒で満たしつつお茶会に出席した。


 そして、お茶会がお開きになる頃には、私は彼に恋をする。

 齢十一にして初めての恋である。

 

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