【8】ラブレター
真夕が昇降口へ廊下を歩いて来た時、一人の男子生徒が辺りを奇妙に覗いながら、靴箱を開けているのが見えた。
男の子がいる場所は、妙に自分に馴染みのある場所だった。それもそのはず、どう見ても自分の靴を入れている場所だと真夕は気付いた。
男の子は何かを靴箱に入れると、そそくさと外へ出て行った為、真夕は訳が判らず呼び止める事が出来なかった。
何?……何なの
男の子の姿が完全に見えなくなってから、真夕は恐々と、自分の靴箱の扉に手をかけた。そして靴箱を開けて、彼女は驚いた。
「よっ、刑部」
真夕は後ろから声を掛けられて再び驚いて、危なく飛び上がるところだった。
「なんだ、橘か…… ビックリさせないで」
真夕が慌てて靴箱の扉を閉めて振り返ると、橘圭吾が立っていた。
「今帰り?」
「うん。橘は?」
「これから、ランニングさ」
橘は陸上部に所属して、800メートルと言う、イマいちマイナーな種目を得意としている。
真夕は、橘の事は覚えている。しかし、あくまでもクラスメイトの一人として覚えているだけで、彼の自転車の後ろに乗った事は覚えていない。
橘は、それを真夕が覚えているか、忘れているかは問題ではなかった。
自転車の後ろに乗せて、彼女の手が自分の肩にかかった感触は忘れられない。揺らめく髪の毛から近距離で漂うムースの香りが忘れられなかった。
ただそれだけの事なのに、普段あまり女の子と接触しない彼にとって、真夕はとても近い距離に感じていた。
「大丈夫?顔色悪いけど……」
「えっ?ああ、うん。平気。何でも無いよ」
真夕は少し不自然なくらいに笑みを返して「部活、頑張ってね」
彼が外へ出て行くのを見送って、真夕は再び自分の靴箱を開けた。
見間違いではなかった……
そこには手紙がひとつ入っていたのだ。
それが、果たし状では無い事くらい、彼女にも見て直ぐにわかった。
『 刑部真夕さま
僕は、入学した時からあなたが好きでした。
入院中はとても心配で、無事退院してとても嬉しく思います。
最近ますます魅力的になってゆくあなたを見て、どうしてもこの思いを伝えたくなったのです。
年下の男は嫌いですか?
僕はいつも真夕さんを見ています。
近藤 淳 』
それは、白地にニューヨークの摩天楼が印刷された封筒に入った、水色の便せんに、まぁ綺麗とはいえないが丁寧に書いた文字で綴られていて、ちゃんと下にはもう一枚の便せんが添えられていた。
手紙などあまりやり取りした事が無い真夕だったが、一枚綴りの手紙でも、便せんを2枚入れるのがエチケットだと何かで聞いた事がある。
真夕はその短い手紙を読んで、思わず深い溜息をついた。
「そう言われてもネェ……」
机に頬杖をついて、手紙を眺めた。
そう言えば、昔もこんなものを貰った記憶がある。
何時だったかしら……
真夕は中学2年の時に、初めてラブレターを貰い、その後も何度かそう言った手紙を貰った事がある。しかし、その時の真夕はもちろん心が男性の性自認をしていたわけで、困るというよりも寧ろ嫌悪の気持ちに似ていた。それでも、通常の女生徒を演じていた真夕は、それを一切口に出す事は出来なかった。
今の真夕にしてみれば、そんな物凄く困った記憶はあるが、それが何時だったのか、うまく思い出せなかった。
真夕は、庭先に母親の車の音が聞こえて来たので、部屋を出て階段を降りて行った。