【5】亜希子
「こんにちは、先輩」
肩にかかった艶やかな黒髪が、軽やかに風に揺れていた。
放課後の昇降口で、彼女は笑って真夕に近づくと「退院おめでとう御座います」
「あなた、確か…… 朋子さんよね」
真夕は自分の記憶を、頭の引出しから引きずり出すかのように探って言い当てた。
「記憶が少し無くなってるって」
「ええ、少しね。でも、あなたは覚えてるわよ。和弥の彼女よね」
「ハイ。覚えていてくれて嬉しいです」
朋子はそう言って、真夕に笑顔を返した。
「えっと……そちらは……」
真夕は朋子の隣にいるショートカットの似合う娘を見て言った。
「ああ、彼女は先週神奈川から転校してきたんです。だから、先輩が知らなくて当然ですよ」
「ああ、そう」
真夕はまったく心当たりのないその娘を見て安心したように微笑んだ。
その娘は、真夕の笑顔にペコリと頭を下げた。
「身体、もういいんですか?」
朋子が言った。
「えっ?ええ」
隣の娘に気を取られていた真夕は「元気が取り得だしね」
「じゃあ、あたしと一緒ですね」
そう言った朋子は、いかにも可愛らしい笑顔のまま
「それじゃ、マユ先輩」
と、手を振って行ってしまった。
隣の娘も会釈をして、朋子についていった。
開けっぴろげな朋子の笑顔に、真夕は何となく呆気に取られてそれを見送った。
朋子と一緒にいた娘は、歩きながらさりげなく手を繋いだ。
真夕はその姿を目にしてハッとした。
女の子同士が手を繋ぐ事は、日常でごく当り前の事だ。しかし、真夕は誰かと手を繋いだ記憶がないような気がした。
「どうしたの、マユ」
加奈が後から来て声を掛けた。
「手……」
真夕は無意識に呟いた。
「手?」
加奈は真夕の視線の先にある光景を見つめた。
「あたし達も繋ぐ?」
加奈は冗談っぽくそう言って、真夕の手を取った。
冷たいけど、あったかい……
「あれ?真夕、前は手繋ぐの嫌がってたのに……」
加奈はそう言って、笑った。
「そ、そうなの?」
「行こ」
二人は駐輪場までの少しの間、子供のように繋いだ手を振って歩いた。
手のひらで感じる人の温もりは、穏やかで、優しかった。
朝の駐輪場は大変だ。早く来た順に、みな昇降口に近い位地に停める為、比較的ギリギリに来る真夕はけっこう遠い位置に停める羽目になる。しかし、わざわざその為に早く来ようとは思わないのは、以前の彼女と変りなかった。
「おはようございます」
翌朝、学校の駐輪場で、真夕はいきなり声を掛けられて振り返った。
カラーリングなのか天然なのか、陽の光が当たると栗色に光る短い髪。
「あ……あなた、確か」
「三田村亜希子です」
昨日の帰り、朋子と一緒にいたショートカットが爽やかな娘だった。
「お、おはよう……」
いきなり声をかけられた真夕は、なんだか間の抜けた声で、挨拶を返した。
「入院してたとか」
「ええ、ちょっとね」
駐輪場から、真夕と亜希子は一緒に校舎へ向かっていた。
その少し馴れ馴れしい亜希子の行動に、真夕は戸惑いながらも、仕方なく一緒に歩いた。
背丈は真夕とちょうど同じくらいだが手足が細く、横から見た腰はやけに薄っぺらで、今にも折れてしまいそうな見るからに華奢な身体つきだ。真夕は横目で彼女の胸を盗み見して、ちょっと勝ったかも。などと空しい優越感を抱いた。
「先輩は部活どうしてるんですか?」
「えっ?」
なんだか、突然の妙な質問に「あ、あたしは……確か写真部だったような……」
真夕はそう言って、曖昧な笑みを浮かべた。
真夕は確かに写真部に所属していた。しかし、放課後はバイトに明け暮れていた為ほとんど顔を出していない。と、いうか、写真部自体が普段はほとんど活動をしていないのだ。
確かに一部の写真に熱中する連中は、何かイベントがある度に、気合を入れて自慢の一眼レフを手に、急に活き活きとして現場へ乗り出す。
しかし、真夕も写真が嫌いではないものの、他の事に忙しく、作品としての写真は久しく撮っていない。
Dear Girlの作中には登場していないが、秋の文化祭でも、部の展示で出品したのは、去年撮ってパネルにしたものを、そのまま今年も使ったくらいだ。
「写真部かぁ。あたしも写真部にしようかなぁ」
亜希子は少し遠い景色を眺めるように言った。
「はあ?」
真夕は、そんな亜希子を見て思わず声が出た。
亜希子は、フフッと意味深に笑って
「それじゃあ、せ・ん・ぱ・い」
そう言って自分の下駄箱の方へ跳ねるように歩いていった。
真夕は何だか判らない不安を抱きながら、彼女を見送るのだった。