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【18】星月夜

「今、なんて言ったの?」

 真夕は自分の耳を疑って、再び和弥に訊いた。

 聞き取れなかったわけではない。願わくば、聞き違いであって欲しいと思った。

「ウチ、引っ越す事になったんだ」

「うそ……」

 真夕の言葉に、和弥は小さく、ゆっくりと首を横に振った。

「どうして?学校は?」

「転校するよ」

「だって、あと一年だよ」

 真夕の心は無意識のうちに取り乱していた。

「和弥だけ残れないの?」

「俺も考えたよ。でも、父さん、この前の怪我でイマイチ心配でさ。母さん一人じゃ大変だろうし…」

「そうだよね…… 家族だもんね。一緒に暮らすのが当り前だよね」

 真夕は俯いたまま

「ごめん……」

 彼女は湧き出る感情を精一杯噛み殺した。

「そんな事ないよ。俺だって……出来ればここで高校を卒業したい」

 真夕は和弥の言葉が、まるでテレビの向こう側から聞こえるような気がした。

 平常心を保つ為に、今この時が現実ではないような、そんな気持ちで彼の言葉をおぼろげに聞いていた。

「何時行くの?」

「親父の辞令が、2月の20日付らしいから、15日には」

「けっこう急だね……」

「ああ…… ごめん」

 和弥はいかにも自分に非があるかのように申し訳けなさそうに俯いた。

「和弥が謝るのはおかしいよ」

 真夕は一瞬言葉を選んで

「ほら、急なほうがバタバタしてるうちにいなくなるって言うか、別れられるって言うか………」

 少しの沈黙が流れた。それが真夕には果てしない時間に感じた。

 和弥は、きっと彼なりにこうして打ち明けるまでにもずいぶん悩んだのだろうと、真夕は察した。

 和弥はこの事を隠していたんだ…… 様子がおかしかったのはこれだったんだ。

「和弥は、何時から判ってたの?」

「……年明けて直ぐ…… 」

「やっぱり」

「ごめん…… でも、まだ誰にも言ってないんだ。学校には親から連絡が行ってるけど、とにかく最初に言わなくちゃいけないのはマユだと思った」

「うん。判ってる……」

 真夕は自分が無表情になっている事に気付いて、あわてて笑みを浮かべた。

「じゃあ、俺、そろそろ帰るわ」

 和弥はそう言って立ち上がると、真夕の家から出た。

 庭の草木の影には、何日か前に降った僅かな雪が白く残っていて、吹き荒ぶ風の冷たさがやたらと身にしみて、和弥は首を窄めて自分の家まで走った。

 ここで終わって欲しい。電源を切るみたいにプツリと終わって欲しい。この先の半月の間、別れる彼女との思い出はもう欲しくない……

 和弥は太腿が攣るほどの猛ダッシュで走った。




 真夕は今日撮影したフィルムをカメラから取り出していた。

 教会の前で写真を撮った時、彼に抱き寄せられた温もりが、ふと蘇えった。

 和弥がいなくなる…… ずっとずっと一緒に同じ時間を過ごして、同じ空気を吸って来た彼があたしの目の前から消える……

 姿は見えなくても、何時も感じていた彼の姿は、何時でも会える距離で生活を共にしているからに他ならない。

 その彼が、遠くへ行ってしまう…… 千葉……って、どんな所だろう。

 今日会いたくなって、明日手を触れたくても、どうにもならない距離。それはきっと、彼を感じられない距離だ。

 気まぐれに偶然を装った学校帰りの道、彼と自転車を並べて風を切ったあのひと時は、遠くに霞んで思い出だけになってゆく。

 真夕は窓のカーテンを開けて、星空を見上げた。

 この星空のように、何時までも変らない二人の関係が、真夕には当り前のように感じていた。

 それは突然打ち砕かれて、何も無くなってしまうのだと改めて痛感して、暗たんとした思いだけが心の中にしみじみと広がる。

 急激に込み上げる涙を堪える事は出来なかった。

 真夕の吐いた息が、ガラスの表面を白く曇らせていった。

 零れ出した涙は、もう止まる事を知らなかった。

 冷たいガラス戸に額をぶつけながら、彼女は手足が震えるほどに涙に咽た。

「和弥……」

 性同一性障害で苦悩する自分を支え続けてくれた和弥……その記憶が欲しい。GIDを除外して勝手に再構築されたものでは無い、彼との本当の記憶。

 呼吸が苦しくなるほどに大きな塊となって、その悲しみは何処までも膨れ上がった。

 そのまま膝を着いて崩れる彼女の頬から流れる雫は、河のように顎を伝って止め処なく滴り落ちていた。

 その湧き乱れる悲しみと涙の量に、彼女はそれを拭う事さえできなかった。

 月明かりのように優しく輝く明るい星空が、沈黙と静寂に包まれながら何時までも彼女の姿を見下ろしていた。




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