【16】笑顔
「和弥!ボール」
仲間の部員の声が聞こえた。
「えっ?」
宙に舞ったサッカーボールが、バウンドしながら和弥の横を通り過ぎた。組になって、センタリングからのシュート練習をしていたのだ。
「何ボーっとしてんだよ。お前らしくも無い」
「わりぃ、わりぃ。西日が眩しくてさ」
和弥は小さく頭を振って、気を取り直すと
「どんどんやってくれ」
冬至を過ぎると夕暮れ時は少しずつ遅くなるが、それでも5時には真っ暗になる。ナイター設備はあるが、大会の近い時しか使用は出来ないので、普段は日暮れと共に部活は終了する。
和弥はこの頃部活に身が入っていない。いや、全てに身が入らないと言った方がいいのかもしれない。
あくまで自分自身の問題が根本にあるのだが、それは同時に真夕との問題でもあった…… しかし、その事実を、和弥は誰にも話していない。
心の中は何処か空虚で、迫り来る時間の壁が彼の心に重く圧し掛かってイライラだけが募り、それを抑える事で精一杯だった。。
和弥は帰宅途中の真っ暗な農道で、自転車を止めると
「クソッ!!」
飲みかけのペットボトルを思い切り電柱に投げつけた。
俺は…… どうすればいいんだ……
大きな運河沿いには遊歩道が設置されて、犬の散歩やジョギングコースになっている。
日曜日の朝、真夕はカメラを手にその遊歩道へ来ていた。午前中の低い陽光が、松林や木立に影を作り出して、何となく陰影のついた画になる風景を作り出す。
河の水面にはカモも浮かんでいて、パンくずを投げ入れるとバシャバシャと集まって来たりする。
一息ついた真夕は川岸の傾斜ブロックに腰掛けて、缶コーヒーを飲んでいた。履いているのは勿論ジーンズで、上はネルシャツにダウンジャケットだ。
活動的になるときは、以前から持っている衣類が重宝する。
「マユ」
頭上から声が聞こえた。真夕が見上げると、遊歩道から和弥の顔が覗いていた。
「和弥。部活は?」
「午後からさ」
そう言いながら、彼は低い柵を乗り越えて、傾斜ブロックを降りてきた。さっき和弥からメールが来たので、この場所で写真を撮っていると伝えたのだ。勿論、彼が来るなんて思ってもいない。
「寒くないのか?」
「じっとしてると少しね」
「髪、切ったんだな」
和弥は真夕の横に腰を降ろすとポケットから缶コーヒーを取り出してプルタブを引いた。
「昨日は暇だったから。でもちょっと頭が寒い」
真夕は昨日久しぶりに髪を切った。後ろは首がギリギリ隠れるくらいの長めのショートだ。
和弥は自分の被ってきたニットキャップを脱ぐと、徐に真夕の頭に深く被せた。
真夕はちょっと照れくさくて、無言でそれを手直しした。
和弥はコーヒーを口にしながら
「今度の土曜は空いてるけど、マユは?」
「ああ、あたし、その日は加奈と……」
「そっか……」
和弥はそう言って俯いた。が、ふと真夕の顔を見返すと、やけにニコニコしている。
「ウ・ソ」
真夕は、そう言って白い歯を見せて
「別に予定なんて無いよ。最近和弥がツレないからちょっと意地悪したかっただけ」
「なんだよ、俺は別に……」
和弥はホッと息をついて一緒に笑った。
「何処行く?」
「お前、映画見たいんだろ」
「別に、映画じゃなくてもいいよ」
真夕がそう言って笑うと「この帽子あったかいね」
和弥は、彼女の笑顔を久しぶりに正面から見た気がした。
今年は雪が少ない。いや、近年の冬はこんなものか…… 昨シーズンが異常な大雪となった為、何だか余計に雪が少なく感じるのかもしれない。
1月も半ばを過ぎると、さすがに風は身を凍らせるような冷たさだが、晴天が多く太陽の日を浴びていればそう寒さは感じなかった。
和弥と真夕は隣県にあるニュージーランド村に来ていた。が、しかし、広大な駐車場には従業員の車と思われるものしか無く、閑散としている。
「おいおい、やってんだろうな……」
送迎バスを降りて、その敷地に入った時和弥が言った。
「お正月以外は休み無しって書いてあったよ」
真夕がそう言って、るるぶを取り出して見せる。
チケット売り場で無事チケットを購入した二人は、ホッと息をついてゲートに向かうと、さっきチケット売り場にいた女性が駆け足でチケットを切りに来た。
ゲートを入ったメイン通りは、まるで荒野のゴーストタウンのように閑散として、風が吹き荒んでいた。ニュージーランド風の演出の為に置かれた、大きな無人の幌馬車が、余計にそう感じさせるのかもしれない。
「誰もいないじゃん……」
和弥が遠くを見渡すようにして言った。
「いいじゃん、別に」
真夕はそう言って笑うと、ベンチに腰掛けてカメラを取り出した。
彼女が写真を撮りに行きたいと言ったので、和弥がお供して遥々ここへ来たのだ。
「最近、よく写真撮るよな」
「うん。久しぶりに撮ったら、何だか楽しくて。それに、冬は空気が澄んでるから綺麗な画が撮れるんだよ」
「そういうもんかね」
和弥は、そう言いながら建物の向こうに目を止めて「おっ、羊がいる」
動物ランドという看板に誘われて行った建物には、羊の他に、ウサギとラマしかいなかった。