【15】沈黙
翌日の空は晴れ渡り、広大な田んぼ一面の白と空の蒼が絶妙なコントラストを醸し出していた。
光と共にレンズから入ったその景色は、ペンタプリズムを通してファインダーへ映し出される。
構図を確認しながらシャッターボタンを半押しすると、視線の移動に、視線入力の赤いランプがそれを追って移動する。
AEロックを使って、そのまま構図の三分の二を空に向けてシャッターボタンを撫でると、ミラーアップの微かな反動がその両手に伝わる。
真夕は久しぶりにカメラを手にしていた。
デジカメの方が重宝するから。そう言って母親がくれたEOS1N。彼女の小さな手には少し大きいし、カメラとしてもかなり重い。しかし、真夕は銀塩カメラが好きだった。
シャッターボタンを押し込んだ瞬間の微かなミラーの振動と音は、風景を切り取ったと言う実感が湧く。
道路の雪は粗方踏み固められていたが、相変わらず田んぼの雪はまっさらだった。野鳥や獣の足跡だけが小さく点々と付いている。
「今朝は早かったんだな」
通学途中の農道で写真を撮っていた真夕は、学校へ向かう途中の和弥に声を掛けられて振り返った。
「あれ?朝連は?」
「今日は無い事になったよ」
「そうなんだ」
真夕はそう言って、カメラのレンズを和弥に向けた。
和弥は、ふざけてカッコをつける素振りで右の親指を立てて見せたので、彼女はシャッターを切った。
「俺、先に行くぞ」
「えっ……う、うん」
和弥は再びペダルを踏み込むと「遅刻すんなよ」
最近和弥の様子がおかしい…… 何が、とは言えないが、何処と無く変だと感じるのだ。
前だったら、このまま一緒に学校に行ったような気がする。
あたしが勝手に甘えてるだけなのかな……
真夕は遠ざかる和弥の後ろ姿をファインダーに納めると、ズーミングしながら連続でシャッターを切った。
朝の陽射しが逆光になって微かなフレアを作り出し、まるで映画の最後に凛々しく画面に消えて行く主人公のように見えた。
ファインダーを覗きながら真夕は、何だか胸の奥がキュッと締め付けられた。
以前はこんな事考えなかったのに……
クラス委員の中里ユリカとニコやかに何かを話する和弥。それに加わる美樹。何を話しているのか判らないが、笑い声だけは聞こえて来る。
隣のクラスの、確か遊佐かすみ…… 和弥に何の用だろう…… 何だか楽しそう。
智弘と修一の3人でまたバカな話で盛り上がっている。和弥は成績の良し悪しに関係なく友達を選ぶ。その基準はきっと「いい奴」なのだ。
放課後の廊下で一年生の女の子に声を掛けられていた…… また、手紙でも貰ったのだろうか。はにかんだ彼女は足早に走り去る。
真夕は最近和弥の行動をつい視界に捕らえようとしてしまう。以前はそんな事なかった。誰と話そうが、誰と笑おうが、自分と和弥の距離はそう対して変るものではなかったから。
以前の距離を越えた時、それは少しづつでも近づき続けるのが当然だと思った。
しかし、それは違っていた。あまりに近づき過ぎた距離は、お互いに干渉して反発力を生むのかもしれない。
些細な事で不安が過ぎる。いや、些細な事なのだろうか。
何だか和弥の様子がおかしい…… 真夕がそう感じる日々は続いていた。そして、そんな不安を抱く自分が、真夕は堪らなく嫌だった。
「和弥、明日部活休みでしょ」
金曜日の放課後、部活に向かう和弥に真夕は声を掛けた。
「ああ」
「映画でも行かない?」
「ごめん。智弘たちと出かけるんだ」
「そう。うん。じゃあ、また今度ね」
真夕はそう言って笑って見せるが、寂しさが湧き出てしまった。
「ああ、わるい」
二人は一緒に昇降口を出て、真夕は駐輪場へ、和弥はグランウンドへ向かって歩き出した。
少し歩いて直ぐに、和弥は振り返って「マユ!」
「なに?」
真夕も振り返った。
「あ……あ……悪いな。今度埋め合わせするから……」
「うん。じゃあ、今度和弥のオゴリね」
真夕はそう言って笑うと、小さく手を振った。
和弥はそれに応えるように右手を上げると、グラウンドに向かって駆け出した。