【12】性癖
真夕が3階で亜希子と別れて、自分の荷物をとって昇降口へ来ると、朋子が待っていた。
「先輩…… 大丈夫だった?」
「うん。大丈夫よ」
真夕はそう言って笑って見せると
「ねぇ、今日の事は誰にも言わないで」
「でも……」
「あたしは大丈夫だったし、朋子ちゃんは頭ぶつけてムカついてるとは思うけど」
「あたしは平気です。でも……」
「彼女は…… 亜希子ちゃんは、なんか悩みがあるみたいだから」
「はあ……」
朋子は不に落ちない顔をしていたが「マユ先輩がそう言うなら……」
「ありがとう。それと、助けてくれて本当にうれしかったよ」
朋子は面と向かってそう言われ、思わず頬を紅くしてしまった。
「じゃあ、もう帰ろう」
そう言って促す真夕に朋子が
「でも、結局は先輩の右ストレートが決めてだったんですよね」
「あ、あれは…たまたま出した右手が当たっただけよ」
「そうなんですか」
朋子がそう言って笑うと「あっ、先輩、ブレザーのボタン。一個取れてる」
笑い声と共に、外へ出た二人は、風の冷たさに思わず同時に身震いした。
「さっむぅ」
真夕は、開けていたPコートのボタンを慌てて全部留めた。
「朋子」
昇降口を出た校舎の影から、アツシが声を掛けて来た。
「アツシ。どうしたの?」
「どうしたのって…… あ、マユ先輩、こんちわっす」
と言って再び朋子に向かって「今日、一緒に買い物する約束だろ」
「ああ、ごめん。忘れてた」
「梨歩が一人でいたから訊いたんだよ。そしたら4階に行ったって。だから、待ってたんだよ」
「ああ、ごめんごめん」
「じゃあ、あたし、先に行くから」
真夕はそう言って、二人の間から抜け出した。
真夕はひとり自転車を走らせながら、あのまま亜希子の思うままにされてたら、自分はどうなっていたのだろうかと思うと、何だかぞっとして、それを想像する自分が少し怖かった。
「へぇ、亜希子って娘がねぇ」
真夕の話を聞いた和弥はそう言って肯いた。
夕方、和弥は真夕に呼ばれて、彼女の家にいた。
誰にも言わないように朋子には言ったが、真夕は和弥には話しておこうと思ったのだ。
彼は真夕本人以上に、FtM−GIDを客観的に見て来ているのだから。
「和弥、亜希子ちゃん知ってる?」
「一度、朋子と一緒に歩いているの見たかな。髪が短くてスゴク線の細い」
「多分その娘だよ」
真夕は、リビングのソファに座った和弥にコーヒーを差し出して「なんか、ショックだった」
「そりゃあ、いきなり女の子に抱きつかれりゃあな」
和弥がそう言って、コーヒーを口に運んだ。
真夕は、小さく首をふって
「違うの…… あたしもあんな感じだったのかと思うと、心が締め付けられて……」
和弥はコーヒーカップをテーブルに置くと
「マユは、もっと淡白な感じだったけどな」
「た、たんぱく?」
「そう。そんなに、異性に、つまり女性に対してギラギラしてなかったぜ」
「そ、そう……」
真夕は、和弥の言葉にホッと息をついで、自分もコーヒーを飲んだ。
「マユは他にやる事いっぱいあったから、もんもんとする暇が無かったんじゃないか?」
「そ、そうなのかな……」
真夕は、なんだか和弥に自分の性癖を分析されているようで、気恥ずかしかった。
「それに、俺がついていたしな」
和弥は冗談半分に笑って言った。
亜希子に比べて、のびのびと育った真夕は、性同一性障害に対して前向きな考えを持っていた為、比較的ストレスが少なかった。
そして、何時もそばにいた和弥の存在が、もちろん時には思い悩む原因にもなったが、それは真夕にとってとても心強かったのは確かで、亜希子には無いものだった。
真夕は、和弥の冗談半分で言った言葉に、何故か共感した。おそらく、記憶のずっと奥にある何かが、そう感じさせたのだろう。
じっと和弥を見つめる真夕に、彼は「な、なんだよ。そんなに見るなよ」
そう言って、コーヒーを口にして、カップで視線を遮った。




