【11】FtM−GID
「どうして、GIDなんて言葉しってるんだ」
亜希子は、目を丸くして真夕を見上げた。
「GDI?なに、それ?」
亜希子の隣で、朋子が言った。
「GDIじゃない、GIDだよ」
亜希子の言葉に朋子は「うるさいなぁ、変態。あぁ、頭痛い……」
「大丈夫、朋子ちゃん」
真夕は朋子の傍にしゃがんで、彼女の身体を支えた。
朋子は、亜希子に突き飛ばされた時に、頭を床にぶつけたらしい。
「いったぁい。もう」
朋子はしきりに自分の頭を撫でて「亜希子。あんたどういうつもりなの?」
亜希子は、言葉を詰まらせていた。
「なんとか言いなさいよ。マユ先輩のこと襲ったりして」
朋子は亜希子の異常な行動に、どうにも納得がいかない様子だ。
「朋子ちゃん、ちょっと、二人で話させてくれない」
真夕は、朋子を宥めるように言った。
「えっ…… でも、危ないです」
不安げな朋子に、真夕は「大丈夫よ。たぶん」
そう言われて、朋子はいそいそと音楽室のドアを開けた。
「朋子ちゃん」
真夕が、出て行く朋子を呼び止めて「助けてくれて、ありがとう」
「さて、いったいどう言う事なの?」
真夕が亜希子の隣に座って言った。
「どう言うって、こう言う事さ。僕はマユ先輩が好きなんだ」
亜希子は、少しふて腐れたそぶりで、そっぽを向いて言った。
「あなた、女性でしょ?それなのに、あたしがいいの?他の男の子は?」
亜希子は首を横に振った。
「僕は、たぶんFtM−GIDだと思う……」
「たぶんって?」
「ちゃんと検査を受けた事ないから……」
「そう…… 他にあなたの事を知っている人は?」
亜希子は再び首を大きく横に振った。
「誰にも言った事ないよこんな事」
「じゃあ、GIDの事は、自分で調べたの?」
亜希子は、真夕を見つめると
「だって、こんな……こんな異常な事、誰にも言えるわけ無いじゃないか」
声を荒げる亜希子の目には、今にも涙が溢れそうだった。
「でも、だからって女の子を襲っちゃだめよ」
真夕は出来るだけ、優しく微笑んで言った。
「判ってるけど、触らせてって言って、触らせてくれるもんじゃないだろ」
「そりゃ、そうだけど…… そんなに女の子に触りたいの?」
亜希子はこっくりと肯いた。
「自分の身体も、女の子なのに?」
「それは、関係ないと思う。だって、好きな人の身体に触りたいって言うか、温もりを感じたいって言うか…キスしたいって、言うか……」
亜希子の声が尻すぼみに小さくなっていった。
これが、性同一性障害なのか…… 真夕は、目の前にいる亜希子の姿が、人事ではなかった。
自分の自認する異性を異常に欲する亜希子の性質は、真夕のそれとはまた別なのだが、彼女はそんな事までは知らない。だから、以前の自分の事を考えると、何だか怖気付くのだった。
「まさかあなた、前の学校でも……」
真夕のその言葉に、亜希子は俯いたまま
「だって、どうしようもないんだ」
亜希子のその表情は、切なさにあふれていて、真夕は彼女を責める事が出来なかった。
「とにかく、自然にそういう事が出来る女性に会うまで我慢しなさい」
真夕には、他に言える言葉が見つからなかった。
「レズを探せって事?」
「いや、そう言うわけじゃ…… 例えば、MtF−GIDとか…」
真夕も、自分の症例を秀雄と和弥に聞いてから、少しだけGIDについて調べたのだった。そして、以前診察してもらったクリニックへも行った。
「ヤダ。女の身体をしてなきゃイヤダ」
亜希子が強く言った。
ずいぶん勝手だこと…… 真夕にはそれを口に出す事はできなかった。
「でも、それだと肉体的に結ばれないんだよ」
「それでも、女の身体がイイ」
「そ、そう……」
亜希子の言葉に、真夕はそれ以上何も言えなかった。
本当に、自分には亜希子に何かを言う資格があるのだろうか……
「ねぇ、と、とりあえず、お母さんとかに相談してみれば?」
「ダメだよ。ウチ、スゴク厳しいんだ。小さい頃から何時も女の子らしくしろって叱られてた。おかげでタバコ吸うのも一苦労だよ」
「いや、タバコは何処の家もうるさいと思うけど……」
真夕は思わず苦笑して「じゃあ、クリニックで検査だけでも受けてみれば?」
「何で、そんなに詳しいの?」
「えっ?」
「普通は、GIDなんて言葉知らないし、クリニックって?」
真夕は、その場を回避する為に、洗面所へ行きハンカチを濡らして亜希子の頬に当ててあげた。後は、ただひたすら笑ってその場を凌ぐしかなかった。




