【10】…GID
真夕が音楽室のドアを開けると、亜希子はまだ来ていなかった。
「なぁんだ、急ぐ事なかった」
彼女はひとり、呟いた。
すると直ぐに、亜希子が音楽室へ入って来た。
彼女は後ろ手にドアを閉めると
「マユ先輩は、三浦先輩と付き合ってるの?」
「何よ、いきなり」
亜希子はそのまま真夕に近づいて「どうなの?付き合ってるの?」
「別に、あなたには関係ないでしょ」
真夕はそう言って笑顔を作ると「それより相談って?」
まさか、今度は亜希子が和弥を好きだなんていうんじゃあるまい…… 真夕は少々不安になった。
「相談っていうのは… つまり……」
亜希子はそう言って、真夕に勢いよく抱きついてきた。
真夕はあまりの突拍子も無い彼女の行動に、身をかわす事ができなかった。
「ちょっと、なに」
亜希子は真夕のブレザーのボタンを無理やり外して、ブラウスの上から胸を掴んだ。
「ちょっと、何なの」
真夕は思い切り彼女を突き飛ばした。
「あんた、何なの?どう言うつもり」
真夕は息を荒げて言った。
彼女は後ろへ下がりながら、何とか音楽室から出ようとしていた。しかし、出口は亜希子の背中側に位置している。
何とか迂回して、あのドアから廊下へ出なければ。
真夕は異様な恐怖に打ち勝とうと、何とか冷静な思考を巡らせた。
「マユ先輩が好きなんです」
亜希子は肩で息をしながらそう言って、再び真夕に抱きついてきた。
「ちょっと、やめてよ」
華奢だと思っていた亜希子は、意外なほど力が強くて、今度はなかなか彼女を振りほどけなかった。
なんなの…… 何なのこの娘。レズなの?
彼女の思考は混乱するばかりだったが、この状況から何とか逃れなければ。無意識にそれを考える事は出来た。
真夕は右に左に身体を移動させようとするが、それもうまくいかない。
もがいているうちに、亜希子は真夕の後ろへ回る形になり、両腕もガッチリと抱えられてしまった。
亜希子は、真夕の身体を弄りながら、頬にキスをしようとした。
「ちょっと、やめなさいってば」
真夕は身体を斜めにしてそれを避ける。
「何やってるの!亜希子」
ドアがバンッと開いて、朋子が駆けて来た。
朋子はそのまま亜希子の後ろから彼女を捕まえて、真夕から引き離そうとした。が、なかなか思うようにいかない。
3人は、だんごのように繋がったまま、教室の中をぐるぐると動き回る。
「離れなさい!亜希子」
朋子が喚きながら、必死に真夕の身体から亜希子を引き剥がそうとしていた。
「じゃまするな!」
亜希子は朋子を強く突き飛ばした。
「きゃあ」
朋子は、そのまま勢いよく床に跳んで転がった。
「朋子ちゃん」
真夕は亜希子に身体を抱えられたまま叫んだ。
亜希子は朋子を突き飛ばす際に、真夕から右手を離していた。それによって、真夕の右腕は一時自由だった。
「いいかげんに、しろ!」
真夕の拳が、亜希子の顔面を捉えた。
大の男にはそれほど効かない真夕の小さな拳も、女同士なら充分威力を発揮した。
亜希子はパンチの衝撃と、それを繰り出した真夕に驚いて、朋子の隣に転がった。
真夕は無意識だった。拳で殴る気はなかった。それなのに、彼女の防衛本能は完璧に働いたのだ。
「いってぇ…… 普通、女がグーで殴るかよ」
床に身体を起こした亜希子が、頬を擦りながら言った。
その言葉を聞いた真夕は、ふと思い当たる事があった。
「あんた…… まさかGID」