【5】発熱
12月に入ると間も無く期末考査が始まった。朝方には晴れていた空は、昼を過ぎると重苦しい雲に覆われて、何時雪がちらついてもおかしくは無かった。
真夕の体調は、その空模様のように急変して、テストが終了して下校する頃には、悪寒で身体が震え、思うように動けなかった。
「真夕、顔色悪いけど、大丈夫?」
一緒に帰ろうと近づいて来た加奈が、心配そうに言った。
和弥も真夕の顔色には気付いていたが、あえて声はかけず、ただ遠目に心配していた。
「うん。風邪かな……早く帰って寝る」
真夕は加奈にそう言って一緒に校門を出た所で別れた。
ふらふらと自転車に乗って走っていると
「おい、大丈夫か」
和弥の声が後ろから聞こえた。
少し息を切らしているのは、真夕に追いつく為に全力で自転車を走らせたのだろう。
「うん。死にそう……」
真夕は冗談っぽくそう言って、か弱く微笑んだ。
和弥は真夕の乗るマウンテンバイクのハンドルを片手で掴むと、自分の自転車で引っ張った。
「ちょっと、危ないよ」
真夕が慌てて、バランスを立て直す。
「大丈夫、大丈夫。転ばないようにしろよ」
そう言って、和弥はグイグイと真夕の乗る自転車を引っ張った。
無事家に辿り着いた時には、和弥はこれでもかと言うぐらいにゼェゼェと息を荒げていて
「どっちが病人だか判んないね」
と、真夕は青白い顔で笑った。
夕方からみるみると上がり始めた真夕の熱は、翌朝になっても下がらず39度に達していた。娘の具合を見た母親は、会社と学校へ連絡を入れ、真夕を病院に連れて行った。
母親の小夜子にはピンと来ていたのだ。思った通り、真夕はインフルエンザに感染していた。
病院から帰った母親は会社へ出かけたが、真夕は勿論学校で試験を受ける状態ではなかった。
あぁ、今日でテストが最後なのに…… ついてないなぁ。改めて受けさせてくれるかしら…… 真夕はそんな事を考えながら水枕に頭を擡げて、日中の淡い陽射しの注ぐ部屋で眠りについた。
真夕が再び目を開けたのは、もう夕方だった。水枕もだいぶぬるくなっていたが、病院の注射が効いたのか熱は少し下がったようで、身体が楽になっていた。しかし、全身の節々が軋むように傷んで、寝返りをうつのさえひと苦労だった。
いそいそと起き上がってトイレに行って来た真夕は、汗をかいたので着替えをしてから再びベッドに入った。すると直ぐ、ドアを叩く音が聞こえた。
「お母さん?」
自分以外に家にいるとすれば母親しかいない。
仕事を早く切り上げたのかしら…… でも、あまりに早すぎる。
時計に目をやると、まだ夕方の4時半。
この季節、窓の外はすっかり暗がりに包まれてはいるが、母が帰れる時間ではない。
「俺、和弥だけど……具合どうだ」
「か、和弥?」
「様子を見に来たんだ。入ってもいいか?」
「えっ、ええ。大丈夫よ。服は着てるから」
真夕は笑ってそう応えた。
小夜子が和弥の携帯に、出来たら様子を見に行って欲しいと頼んだのだ。
勿論、和弥は快く了解して、ここに来たと言うわけだ。
「でも、玄関のカギかかってなかった?」
「植木鉢の下にカギがあるって言われた。5つあるうちのどれかだって」
和弥はそう言って笑うと「おばさんも、どの植木鉢の下か忘れたって」
「お母さんらしい……」
和弥は買ってきた果物や、ヨーグルト、プリンなどを取り出して
「何が食べたい?」
「ずいぶん買ってきたのね」
真夕はとりあえず、プリンを手に取った。
和弥は真夕の要望で、水枕の氷を補充してくると、タオルを巻いて彼女の頭の下に入れた。
入れたばかりの氷が冷たくて、頭の芯から透き通るように心地よかった。
頭の位置と水枕を調整する為に、おのずと二人の顔と顔が近づく。
和弥は熱で火照った真夕の顔に、さらに近づいた。発熱で火照った真夕の体温が、空気を通して和弥に伝わっていた。
「ダメ。インフルエンザだよ。移ったら大変だよ」
冗談でも、お惚気でもない。インフルエンザは、ただの風邪に比べても感染力に長けている。
真夕は、和弥の肩に手を当てて、軽く制した。
「大丈夫だよ」
和弥はそう言って、少し強引に真夕の唇を塞いだ。
ただでさえ火照った自分の身体が、尚の事熱くなるのを真夕は感じていたが、抵抗することはなかった。
身体が心地よく溶けていくような錯覚を感じて、全身を取り巻く節々の痛みが、ほんの少し、和らいだ気がした。
「マユ……プリンの味がする」
唇を離した和弥は、そう言って笑った。
「バカ。当り前でしょ、今食べたばっかりなんだから」
真夕の頬が真っ赤に紅潮した。
和弥は何時もより弱々しい彼女を見て「大丈夫だよ、寝込みを襲ったりしないから」
真夕も、一緒に笑いなが「安心した。お腹が減って動けそうに無かったから」
「ああ、そうだ俺、千夏さんにお粥の作り方聞いて来たんだ」
そういって、パタパタと部屋を出て行く彼に向かって真夕は
「和弥…… お粥の作り方知らなかったの?」