【3】傷跡
休み時間、和弥のところに朋子が現れなくなって3日が過ぎていた。それがどう言う事を意味しているのか、囁かれる噂と同時に真夕にも判っていた。
教室で和弥にそれを訊く者はいない。
得てして、男仲間とはそう言うもので、人前で大っぴらにそれに付いて和弥に問い質す者はいなかった。
「ねぇ、三浦、彼女と別れたらしいね」
放課後の掃除の時間に、加奈が言った。
「あっ、うん……」
真夕はどう返事をしていいのか判らない。
和弥は、彼女と別れたから、自分にキスをしたのだろうか。それとも自分とキスをしたから朋子と別れたのだろうか。
順番がどうであれ、あたしの責任なのだろうか……
真夕は少なからず罪悪感を抱かずにはいられなかった。
自分のせいで、また誰かが傷ついたのかと思うと、胸の奥がキリキリと切なく疼いた。
真夕と加奈は他数名と共に、裏門の掃除当番だった。裏門の近くには焼却炉が在って、いたる生徒がゴミ箱を抱えて通りすぎる。
そこに朋子が教室のゴミ箱を抱えて通りかかった。
彼女と一瞬目が遭った真夕は、思わず視線をそらしてしまった。
今の真夕には、彼女の目を真っ直ぐには見ることが出来なかったのだ。
自分を選ぼうとしているのは確かに和弥だが、それを彼一人の責任に押し付ける事など、真夕にはできなかった。
「あれ、あの娘だよね。三浦の」
加奈が、小さな声で言った。その言葉は、真夕を素通りしていた。
焼却炉にゴミを捨て終えた朋子は、再び真夕の前を通り過ぎた。
「と、朋子ちゃん……」
あたしって、バカだ。声を掛けて何を言うというのか。あたしは彼女に声を掛ける資格なんてないのに。
朋子は振り返らずに、その場に立ち止まった。
「あの……何ていうか……」
真夕は言葉を詰まらせた。何か言葉をかけてあげたいが、何をどう言っていいのか判らなかった。ただ、キュッと心がしぼむ音がした。
「あたし… 恨んでませんよ」
小さな声で、朋子はポツリと呟いた。
「えっ?」
朋子は振り返って小走りに真夕に駆け寄ると
「あたし、彼を繋ぎ止めて置けませんでした。あたしの力不足でした」
朋子はサバサバとそう言って「だから、先輩は先輩で好きなようにして下さい」
「でも……そんな」
朋子は強がりを言っているようには見えなかった。
それは、彼女のはつらつとした笑顔が物語っていた。
いくら頑張っても、どうにも離れていく心がある事を悟ったような笑みだった。それは、自分は精一杯頑張ったと言う悔いの無い笑みだった。
「誰かを奪うって事は、結局誰かが傷つくじゃないですか。あたしはそれをしたんだから、逆の立場も受け入れないと」
彼女はそう言ってペコリと頭を下げると、小走りに駆けて行った。
真夕は、朋子の言葉にハッとした。
誰かを奪うと、誰かが傷つく………それは、目に見えるばかりではなく、心の隅でその人を思っている人も含んでいるのだろう。
あたしは、彼女が和弥と付き合いだした時、傷ついたんだろうか……
「今のって、どういう意味?」
加奈がそう言って、真夕の後ろで首を傾げていた。
彼女は他のみんなに比べれば真夕の傍にいることが多い。だから、和弥も真夕もお互いに家が近所で幼なじみと言う意外、何もないと思っていた。
端から見ると、真夕と和弥はあまりにもサバサバした関係だったのだ。
そう、まるで同性の友達のように……
真夕は週に4日バイトに入っている。退院してから入り始めたシフトがそのまま続いている為、土日であっても以前のように通しで入る事はない。
今の真夕にはそれほどお金が必要なわけでもなく、それで充分だった。
彼女がバイトを終えて家に帰ると、珍しく母親が帰っていた。
リビングにもキッチンにもいないと思ったら、洗面所で髪を染めていた。
真夕は、洗面所に顔を覗かせると
「ねぇ、お母さん」
「何?」
小夜子は髪全体に乳白色の液体を着けて振り向いた。
「あたしが事故に遭う前……GIDのあたしって、どんなだった?お母さんとはどう接していたの?」
「あら、あなた記憶が戻ったの?」
小夜子は妙にあっさりした風に言った。それが彼女の性格だった。
真夕は、首を横に振って「秀雄って友達に聞いた」
「そう」
小夜子は何食わぬ顔でそう言うと、再び鏡に向かってカラーリング溶液を髪に付け出した。
真夕は一瞬肩をすくめて「ねぇ、親子二人、どうしてたのよ」
「何?急に。生活レベルの事は憶えてるんでしょ」
「そうだけどさ。お母さんから見てどうなのかなって思って」
「そうねぇ……」
彼女は一瞬手を止めて「言われてみれば、別に今と変らないわね」
小夜子は鏡越しに真夕を見て笑った。
「変らない?」
「そうよ。別に…… そうか、今の方がずっと女の子らしいわね」
「だって、あたし女じゃん」
真夕は溜息混じりでそう言った。
「マユは、マユって事なんでしょ」
小夜子はそう言って、鏡越しに再び微笑んだ。