第2章―【1】迷走
鉛色の空が上空を低く覆い尽くして冷たい風が吹き付けると、枯れ草やコンクリートに包まれた景色は、まるでブリキ細工のように物寂しげに映し出される。
本格的な冬の入り口は、凍て付く空気に閉ざされた人工物のように、全ての景色をうっくつしたものへと変えてゆく。
「香織、もうアレやらないの?」
放課後の教室で、香織は隣のクラスの木村麻紀に声を掛けられた。
「アレって?」
「アレはアレよ。もう直ぐ12月じゃん。お金無くってさ」
麻紀と一緒にいた、こずえが言った。
彼女たちは、春から夏にかけてとあるアルバイトをしていた。金銭的に余裕のある大人の男性とデートをして時間でお金を貰う。
地域密着型の携帯サイトの掲示板を使ってお客を募集して、数人で割り振りしてそれをこなすのだ。大企業のない地方では、ほとんどが開業医や個人事業を営む連中が得意客だった。
もちろん、世間の狭い街だから、同じ市内の客はとらない。隣以上はなれた地域にお客を限定する事で、知り合いに出くわすリスクを削減するのだ。
身体の関係はご法度だから、そんなに大きなお金が動くわけではないが、普通に働くのがバカらしくなる稼ぎは充分にあったし、大抵の男は好きなものを買ってくれたりするので、そう言ったボーナスもあった。
香織は、その元締め的な役割をしていたのだが、自分が妊娠したゴタゴタで、ぱったりとやめてしまったのだ。
そう、香織はこの連中を以前は友達だと思っていた。でも、それは違っていた。
自分が妊娠し、その相手である彼氏が逃げてしまい途方に暮れたとき、彼女はこの連中に相談しようとは思わなかった。
弱みを見せたら見下されると思った。仲間内でナメられたらお終いだと思った。
それは、香織自身が彼女達に心を開いていないからなのかもしれないが、相手も本心を打ち明けないのは同じで、お互いにそれらを感じながら仲良しを演じている。
ひとりは寂しいから誰かとつるんでいるだけなのだ。
「香織、最近ずいぶん大人しくなったし」
麻紀がそう言うと、こずえが
「そうだよ。S高の男と付き合ってるんだって?急に止めちゃうから、あたし達大変だったんだよ」
「そんなに援交したきゃ、自分で掲示板に書き込めばいいでしょ」
香織はそう言って鞄を手にすると、教室を出た。
「あたし達、知ってるんだよ。あんたが妊娠した事」
香織の背中に向かって麻紀が言った。
「あんた、中絶したんでしょ」
香織はその言葉に、全身の血の気が引いていくのを感じて足を止めた。
「だったらどうだって言うの」
「学校にばれたらヤバイんじゃない」
ほらやっぱり。ひとの弱みに付け込む事ばっかり……
「バラしたきゃ、勝手に言えばいいでしょ」
香織は冷たい笑いを浮かべて「証拠があるならね」
そう言って、廊下を歩き出した。
香織は秀雄と付き合うようになって、いや、真夕と友達としての絆を深めて以来、よけいに麻紀たちと一緒にいるのがバカらしくなった。
もともとお互いに信頼なんてしてない。クラスが違う連中とつるむのは、ヤバイ事を一緒にやる仲間だからだ。その方が、援交の事がもしバレた時でも、芋ズル式に全員が 捕まる事を逃れられる。
それも、捕まった娘が仲間をチクらなければの話だが……
何故自分は妊娠した時、真夕に相談しに行ったのだろう。
香織は今まで考えた事が無かった。
真夕はカートの資金を稼ぐ為に、香織に強く誘われて数回援交デートをこなしている。
男と一緒にいるだけで金になるという甘味なシステムにも溺れる事無く、数回できっぱりと止めた真夕は、香織にとって少し遠い存在だった。
少し自分とは距離のある娘だから、かえって言い出し易かったのかもしれない。
しかし、彼女は思いのほか香織に対して親身になってくれた。
真夕の胸の中で、香織は安堵に満たされながら涙を流した。
そのマユが男だった?あの胸の温かさは男性のモノ?それとも僅かな母性の証?
違う…… あれはきっと、マユの暖かさそのものだ……
麻紀やこずえに会わなくても声を聞かなくても、別に何とも感じた事は無い。それなのに、もう真夕とは一緒に笑い合う事ができないのかと思うと、それだけで香織は胸の奥に出来た小さな空洞を冷たい風が吹き抜けて、ヒリヒリと疼くのだった。
どうして、こんな事に…… 香織はここ数日、何度も心の中でそう呟いた。
香織が学校の正門を出た時、通りの向こうに見覚えのある車が停まっていた。
赤色のステーションワゴン。
「こんにちは。久しぶりね」
香織が近づいていくと、運転席の窓が開いた。
「チカさん。お久しぶり」
「少し、ドライブしない?」
千夏は香織に向かって微笑んだ。