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【21】亀裂

 11月も下旬へと差し掛かっていたが、昨日にも増して陽射しは暖かかった。そんなひと月さかのぼったような小春日和な空の下、公園の片隅で頬を打つ悲痛な音が鳴り響いた。

「香織……」

 日曜日の午後、真夕は香織に電話で呼び出されて、通学途中にある近くの公園に出向いていた。

「泥棒猫みたいにこそこそ秀雄とでかけないで!」

 香織は真夕の頬を平手で強く叩くと、自分の頬を真っ赤にして怒鳴った。

「そんなんじゃないのよ」

「じゃぁ、なに?どうして、秀雄のバイクに乗って出かけるっての?」

 香織は昨日の土曜日、駅前通りを走る秀雄のバイクの後ろに真夕が乗っているのを見たのだ。

 そして、秀雄にもそれを追求した。

 秀雄は言い訳はしなかった。「好き」と言う言葉こそ口には出さなかったが、自分が誘い出して出かけた事を認めた。

 香織は判っていた。3人で同じバイト先で働いている時から、秀雄が真夕に気がある事を。

 しかし、結果的には真夕は秀雄とは付き合わなかった。

 香織はどうしていいのか判らなかった。秀雄の思いをどうやって断ち切らせればいいのか……

 そう考えた時、真夕には秀雄に近づいて欲しくないと思ってしまったのだ。

 秀雄の誘いに、一切乗らないで欲しいと思った。そして、秀雄に誘われるままついていった彼女に怨嗟の念をいだいたのだ。

「聞いて、香織。秀雄は……」

「親友だと思ってた」

 香織は真夕の言葉を遮るように言った。

「あんたは他の娘みたいに上辺だけの人間じゃないって思ってた……」

 香織の頬にはポロポロと涙の雫が零れ落ちた。

「あたしが傷ついていた時に、暖かい手で支えてくれたのはマユだけだったから」

「香織……」

 真夕は何も言葉がでなかった。

 理由がどうであれ、秀雄と出かけたのは真実で、それが香織の心を深く傷付けてしまった事もまた事実なのだ。

「もう秀雄に近づかないで」

 香織はそう言い捨てると、公園から走り去った。

 真夕はしばらくその場から動けなかった。

 GIDの症状に苦しんでいた自分はどれだけ人に傷ついた事だろう。

 今の真夕に実感はないが、その特異な症例にどれだけ自分が思い悩み、そして苦しんだかを想像した。

 それなのに、正常な女性になった途端に、他人を深く傷付けてしまったのだ。

 暖かな秋の陽射しが、今の真夕にはとてつもなく冷たく降りそそいでいた。




「朋子……」

 和弥は言葉を呑みこんだ。

 日曜日の部活が終わっての帰り、校庭の隅では何時ものように前原朋子が待っていた。

「帰ろう。買い物付き合って」

 朋子は何時も通りの明るい笑みを浮かべた。

「朋子、俺……」

「早く行こう」

 朋子が引っ張る手を、和弥は振り払った。

「朋子、俺、もうお前とは付き合えないよ」

「また何時ものやつ?」

 朋子は歪んだような笑みを無理やりに浮かべて「また幻影がどうのって理由?」

「違うんだ…… もう幻影はいない」

 その言葉を聞いた朋子の顔から、笑みは完全に消えていた。

「俺は、マユを支えていきたい」

 和弥は少し俯いて

「いや…… 彼女はそんな事は望まないかもしれない。でも、傍にいてやりたいんだ」

「それは、男として…… って事?」

 朋子が小さな声で訊いた。

 和弥もまた、小さくそれに肯いた。

「もう寝た?」

 和弥は顔を上げて、朋子の目を真っ直ぐに見つめると

「俺とマユは、もっとみんなの知らない深いところで繋がってるんだ。だから、寝るとか寝ないとか、そんな表面的な事は関係ないんだ」

 みんなの知らない深いところ…… 朋子はその言葉に何も言い返せなかった。やはり自分が思っていた通り、和弥と真夕はただ事の関係ではなかった。

 それは、セックスをしたからとか、そんなフィジカルな表現では到底勝つことの出来ない親密な関係。

「和弥……」

 朋子の瞳には涙はなかった。

 朋子にはわかっていた。

 和弥は真夕が事故にあって1週間意識が戻らなかった時、毎日部活を休んで病院へ跳んで行った。

 やっと勝ち上がった選抜の試合を捨ててまで。

 その時確信していたのだ。

 やっぱり和弥の心は真夕のものなのだと。

「何時でも戻って来てね」

 朋子は命一杯の作り笑顔で和弥に手を振ると、そのまま正門を後にした。

 涙が零れないうちに、彼の前から消えたかった。



 これでよかったんだ。このままズルズルいったら朋子を余計に苦しめてしまう。和弥の心は複雑だったが、朋子とは別れなければならなかった。

 午後の緩やかな陽射しが、少しだけ恨めしかった。

 こんな日は大雨でも降って、全身をずぶ濡れにするくらいの仕打ちが欲しかったのだ。乾いたこころが溺れるくらい水を吸って、呼吸もできないほどに苦しめて欲しかった。

 知らなかった…… 人をふるっていう事が、こんなにも心苦しい事だったなんて。自分から別れを告げることが、こんなに罪悪感に満たされる行為だったなんて……

 帰り道の自転車のペダルは異常に重かった。ローギヤのままゆっくりと、帰宅しようと言う気持ちもないままただ漠然とペダルを踏んだ。

 何時の間にか住宅街の入り口にある公園まで来ていて、和弥はふと目を止めた。

 真夕が、ひとり佇んでいるのが見えたのだ。

「マユ!」

 公園の入り口から和弥が声をかけると、真夕は振り返って微笑んだ。その微笑みはとてもぎこちなく、愁いに満ちていた。



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