【20】告白
土曜日の朝、真夕は久しぶりにカーゴパンツを履くと、プルオーバーのパーカーの上にMA−1ジャケットを着た。少し伸びた髪をかき上げて襟元を正す。
マウンテンバイクに跨り家を出ると、ちょうど和弥も出かける所で通りに出てきた。
「マユ。出かけるのか」
「えっ、う、うん。和弥は部活?」
「ああ、俺らは来年もあるからな」
和弥はそう言って笑うと、最近少なくなった彼女のカジュアルな服装を見て
「秀雄と出かけるのか」
「う、うん。ちょっとその辺に……」
真夕は、口元だけ笑っている彼の目が、何だか悲しそうに見えて思わず視線をそらした。
それ以上会話は無かった。県道の分かれ道まで二人は無言のまま自転車を走らせると、そのまま別れた。
「じゃあ」
和弥の声に、真夕も視線は合わせずに「うん。じゃあね」
真夕は、離れていく和弥の後ろ姿を一度も見ないようにして、自転車のペダルを踏んだ。
和弥は、遠ざかる真夕の小さな背中を一度だけ振り返って見つめた。
道端には背の高いススキが生い茂り、風に吹かれてゆらめいていた。照らし出す陽光と乾いた風が身体を抜ける心地よさ。それと同時に、右に左にバンクを振るバイクのリヤシートで、真夕は不思議な感覚に包まれていた。
この感覚…… 以前このバイクに乗ったことがあるのだと彼女は確信していた。
「ねぇ、何処まで行くの?」
「もうちょっと」
左手に松島タワーが見えた。
国道へ出て観光桟橋を過ぎると、水族館の横を抜けて短いトンネルを抜ける。
一瞬の暗闇で開いた瞳孔が、秋の陽射しに眩しさを感じて、真夕は目を細めた。
ファミリーレストランで軽い昼食をとり、海浜公園を散歩すると、真夕はデジャヴーに似た感覚に戸惑いを覚えた。
「ここ、覚えてない?」
秀雄が真夕を見て言った。
「ここ…… やっぱりあたし来たのね」
「覚えてるの?」
「わかんない…… 何となく。でも、それが何時の記憶なのか判らないの。最近のような、昔のような」
「じゃぁ、俺と来た事を覚えているわけじゃないんだね」
真夕は秀雄の顔を見て
「秀雄と来たの?」
彼は、低い堤防に腰掛けながら正面に見える小島を指差すと
「あそこで、マユにキスした」
真夕は唖然として、彼が指差した島から秀雄の顔に視線を移した。
「キス……したの?あたしたち」
「そしてキミは、ここで、自分の秘密を俺に話したんだ」
秀雄はタバコを咥えると「ああ、向こうのベンチだったかな」
「あたしの秘密?」
真夕は何となく判っていた。秘密が何であるかは判らないが、自分には何かあると感じていたのだ。
だからそんなに驚きはしなかった。この時点では。
「キミの秘密を知っている連中は、みんな、マユが自分で思い出さない限り口にしない事にしたんだ」
秀雄は片手で浜風を遮りながら、タバコに火をつけた。
大きく一息吸って煙を吐き出すと、風に煽られて、一瞬でそれは宙に消えた。
「でも、俺は違うと思うんだ。マユがたとえ自分の秘密を知ったとしても、今のマユはそのままだと思うんだ」
秀雄は後ろに手を着いて、空を仰いだ。
「俺は、どっちでもいいんだ。どっちのマユも好きだから」
「どっちの………って、どう言う意味?」
真夕は秀雄の隣に腰掛けて、怪訝な顔で彼を見つめていた。
「マユ…… キミは男だったんだよ」
真夕は目をぱちくりとしたまま動かなかった。
マスカラのついた睫毛が二回ほど瞬きをした。
汐風で髪が靡くと、そう言えば、しばらく髪切ってないな。などと思ってしまった。
「えっ?」
真夕は思わず秀雄に訊き返した。
「マユは性同一性障害者だったのさ。それがカートの事故で、何故だかその部分がすっぽりと消えてしまったんだ」
「あたしが、性同一性障害……」
それが、どういう障害なのか彼女も知っている。しかし、自分がそんな障害を抱えて成長してきたと言うのだろうか…… 真夕には、俄かには信じられなかった。
「キミは、ずっと男の心を持ちながら、外見どおりの女性を演じて暮らしていたんだ」
呆気に取られている真夕を見て、秀雄はそう言った。
「でも、小さい頃の記憶はちゃんとあるよ」
「それが、不思議なんだ。キミの昔の記憶は、おそらく性同一性障害の事実を回避して、うまく繋ぎ合わされているんだよ」
「和弥は?彼も知ってるの?」
「キミが小学生の時に初めてその事を打ち明けたのは、和弥だよ」
真夕は、秀雄が吸うタバコがかなり根元まで赤くなっているのをじっと見つめていた。
秀雄はポケットから携帯灰皿を出して、タバコを揉み消すと
「俺は、マユがそれを知ったからって、男に戻るとは思えないんだ。もし戻ってしまったとしても、それはそれで、仕方がないような気がする。だから話した」
「そう…… 今まで感じた違和感はそれだったのね」
真夕は立ち上がると、引き潮で大きく露わになっていた砂浜に足を踏み出した。そして振り返ると、屈託の無い笑顔で
「秀雄、話してくれてありがとう」
秀雄は立ち上がった真夕を、目を細めて見上げた。
彼女の笑顔が、秀雄には眩しかった。それは、高い逆光の陽射しのせいではないだろう。
「俺、和弥との約束を破っちまったな」
秀雄が膝を抱えるようにして俯きながら呟いた。
「たぶん、秀雄が言わなかったら、和弥が言ってたんじゃないかな」
彼女は砂浜にしゃがんで、落ちていた貝殻を指で突いた。
「何でそう思うの?」
顔を上げた秀雄に、真夕は
「さぁね…… 2人は似たもの同士だから……かな」