【19】静思
学校帰りの大型ショッピングセンターで真夕は今晩のおかずを物色していた。
「う〜ん。あたしのレパートリーは出尽くしちゃったし、何を作ろうか……」
真夕は食材を眺めながら、一人ぶつぶつと呟いていた。
「こんにちは」
死角から声を掛けられて、真夕は慌てて振り返った。
「あ、チカさん」
「どう?身体の調子は」
「ええ、もう何でも無いくらいです」
真夕は片腕で力こぶを作るポーズをとったかと思うと、笑った顔を少しだけ曇らして
「すみません。ぜんぜん顔出さなくて」
「いいのよ。あなたが元気なら」
千夏はそう言って優しく笑った。
「そうだ、今日はお休みですか?」
真夕が突然千夏に訊いた。
「えっ、ええ。そうだけど」
真夕は、満面の笑みで「夕飯、一緒にどうですか」
「うまいっすね」
和弥が、ご飯を頬張った口でもごもごと言った。
「そんなに頬張らなくたって、逃げないよ」
真夕の言葉に、思わず千夏も笑った。
真夕は、千夏を食事に招いたと言うより、夕飯を作ってもらったのだ。
「助かっちゃった。何作ろうか迷っちゃって」
「迷ったんじゃなくて、もうネタが無かったんじゃ……」
和弥の指摘に真夕がキッと睨んで「あぁ、そんな事言うんだ」
思わず和弥が肩をすくめる。
「和弥ったら、ぜんぜんあたしの有り難味がわかってないんですよ」
真夕のぼやきに千夏は笑って「そんな事ないわよ」
言いたい事を何でも言い合える真夕と和弥を眺めていると、彼女はふと思った。
この2人の間には誰も入れない。
幼なじみ……いえ、お互いを信頼する気持ちはそんなものではない。おそらく、その思いはそれ以上……
彼は、彼としてのマユを以前から…… 和弥くん、あなたはそうだったのね。
あたしは真夕のいい友達、いえ、いい姉になろう。千夏は二人の弾けるような笑顔を見ながらそう思った。
微笑ましいその光景に、千夏の寂しさは無かった。
「じゃあ、お休みなさい」
千夏はそう言って、車の窓を閉めながらゆっくりと走り出した。
「じゃあ、俺も行くから」
「うん。お休み」
和弥は、門の前に立つ真夕の方を見ながら後向きにしばらく歩くと、片手を軽く上げて自分の家の方へ身体の向きを変えた。
「もしもし、チカさんですか」
「和弥くん。どうしたの」
和弥はその日の少し遅い時間に、千夏の携帯電話を鳴らした。
「今夜は、有難う御座いました」
「ふふっ、どうしたの。あたしの方こそ楽しかったわよ」
「すみません、こんな時間に」
「別にいいわ。まだ起きてる時間だし」
「チカさん。辛くないのかなって思って…… マユの事」
「あら、そんな事気にしてたの?あたしは大丈夫。だって、彼だったマユはもう何処にもいないんですもの」
少しの沈黙があった。
「和弥くん……」
「はい」
「今のマユには…… いいえ、前からそうなのね、きっと。今日見て判ったわ。マユにはあなたが必要なのよ。そして、あなたにも」
「……はい…」
和弥は真面目な顔で肯いた。
その表情は、声の具合で電話の向こうの千夏にも見て取れた。
「あたしはイイお姉さんになるわ。何かあったら相談してね。いちお、こう見えても大人だから」
和弥は何故だか涙が込み上げて来て、うまく声が出せなかった。
誰にも気付かれないように培って来た、本当は誰かに解かって欲しかった自分の気持ちの全てを、この瞬間に、彼女にだけは解かってもらえたような気がしたのだ。
彼は電話で話しているのに、ただ黙って何度も肯くだけだった。震える息使いだけが千夏の耳には届いていた。
しかし、その姿も、千夏には目に見えるようだった。
千夏が何気なくカーテンをまくって見た秋の夜空には、驚くほど明るい満月が輝いていて、その優しい月華は何故だか彼女の目頭を熱くさせた。