【11】二人の距離
「よう!」
と、真夕は背中をポンッと叩かれた。
昼休みの学食に、加奈と晴香と連れ立って飲み物を買いに来ていたのだ。
この時間の学食は物凄い混み様で、一年生のうちはまず来る事はできない。上級生を掻き分けて欲しいものを手にする勇気があれば別だが、ほとんどは2年生になってから来るのがここの仕来りなのだ。
影山は、飛び上がるほど驚いた真夕に声を掛けると、混み合う入り口付近をすり抜けて、食券の自販機へと歩いて行った。
「あれ、影山先輩じゃん。真夕、何時から仲良くなったの?」
加奈が、目をパチパチと丸くさせながら言った。
「そんな……仲良しなわけじゃないよ」
「そうだよね。なんかさ、前に1年生の誰かが彼にコクったらしいけど、その娘、その後入院したんだって」
晴香が言った。
「どう言うこと?」加奈が訊いた。
「先輩の女子にシメられたらしいよ」
晴香の言葉に、真夕はぞっとして、てんぷら蕎麦をすする影山の姿を遠くから盗み見た。
「ねぇ、土曜日空いてる?」
その日の帰り、昇降口で真夕は再び影山に声をかけられた。
「いや…… あの……」
「いや、別に空いてなきゃいいんだけど。映画でもどうかと思ってさ」
影山は無邪気な笑みを向けて言った。
この人、B型かしら…… 真夕はそんな事を思いながら
「あのう…… あたし、まだお付き合いするとは言ってませんよね……」
「でも、映画くらいなら、いいだろ。お互いに知り合えるし」
影山の笑顔は一向に消える様子は無かった。
「でも……」
真夕は少し遠慮気味に「前に、告白した娘が、先輩たちに怪我させられて入院したって」
それを聞いた影山は、途端に大きな声を上げて笑った。
「ああ、ごめんごめん。そんな噂、信じてる人がいるなんて」
彼は、笑いを呑み込むようにして
「そんな事、実際にあるわけないだろう。部活の最中に友達が冗談で後輩に言った事だよ」
「ただの噂なんですか?」
「ああ。確かに俺の所に来た直後に入院した娘はいるけど、彼女は盲腸で入院したんだよ」
真夕は、呆気にとられて影山を見つめていたが
「じゃあ、彼女とはどうして付き合ってないんですか?」
影山は、後頭部をボリボリとかきながら
「彼女、病院で中学時代のクラスメイトかなんかと再会して、そっちと付き合ってるのさ」
彼は、そう言って笑うと「俺だって、言われるほどモテないぜ」
真夕は、なんだか拍子抜けした気分になった。
「それで、デートの約束したんだ」
和弥が電話越しに言った。
「デートじゃないよ。ただの映画」
「ふぅぅん」
「何よ」
「別に」
そう、真夕は、影山の誘いを結局断りきれなかった。
映画ぐらい…… そう言われてみれば、和弥とだって買い物や映画にも行く。
だから、それぐらいならいいかな。と、思ったのだ。
でも…… 付き合うって、どう言う事なんだろう。
真夕は、和弥との電話を切ってから、ベッドにひっくり返ったまま何となくそんな事を、今更ながらにマジマジと考えてみた。
彼氏と彼女と呼び合うのは、ただ付き合うという宣言をしているか、していないかだけなのだろうか。
影山はいい人だ。それは、何度か話をして真夕も感じた。
でも、どうして付き合う気になれないのだろう。もっと、彼を知れば、違う感情が沸き起こるのだろうか。
和弥は朋子と付き合っている。
でも、もしあたしも誰かと付き合ったら、和弥とはもう気軽に二人では会えないような気がする。
きっと、今の距離ではいられないような気がする。
それが怖いの?
あたしは、和弥との距離が離れるのが怖いのだろうか……
『三浦を見失わない為かと思った……』
ふと真夕は、影山が冗談と言った、あの言葉を思い出していた。
和弥と距離が離れないように、何時でも一緒に走れるように、あたしはマウンテンバイクを買ったのかな……
真夕は、カーテンの隙間から細く見えるガラス越しの暗闇に目を止めた。
あの真っ黒な細いスジの向こうには、ここからは見えない闇が、ずっとずっと何処までも広がっている。自分の心の隙間の向こうにも、そんなふうに広い闇が荒涼として存在するのだろうか。
真夕は、無くした記憶が急に恋しくなった。