『草原で穴を掘る少年』の話
闇の中で一際白く輝くような雪混じりの冷たい風が、小さな木枠の窓にぶつかった。
男の子が外を見ようと白く曇った窓を拭くと、キュッと音をたてた。
同時に水滴がまだ子供らしいふくよかな腕を伝う。
暖かな部屋と不釣合いの冷たさに驚き、とっさに腕を引っ込めた時には、もう拭いたばかりの窓が曇りはじめていた。
男の子は小さくため息を吐く。
「ねえ、おばあちゃん。ボクが寝るまでまた何か物語を聞かせてよ」
ベッドの横でロッキングチェアーに身を委ねていた老婆は、読んでいた本を膝の上に置くと軽く目を閉じた。
「そうだねえ、じゃあ今夜は、ある少年の話をしようか。ちょっと難しいかもしれないよ?」
男の子はいつもと同じ様に毛布を頭からかぶると、もぞもぞと顔だけを出した。
「いいよ、話して!」
ある国にとても広い草原があった。
遥か時の彼方まで見渡せそうなほどのね。
その草原には一人の少年がやって来る。
その少年がどこから来て、どこへ帰ってゆくか、誰ひとり知らない。
ただひとつ分かるのは、草原に穴を掘って何かをしていたということだけ。
その広い草原でね。
老婆は閉じていた目をゆっくりと開けると、男の子を見つめた。
「物語はそこでおしまい。そのあと少年がどうしたか、どうなったか。だれも知らないままにね」
男の子は面白くなさそうに口を尖らせた。
「そんなの物語でもなんでもないじゃんか。なんにもわかんなかったよ。なんにも楽しくなかったし、お話だって最後までおわってないよ」
老婆は面白そうに微笑んだ。
「それだけわかれば十分じゃあないかい? 少年は穴を掘っていたんだ。どうしてだか、ちょっと考えてごらん」
男の子はかぶっていた毛布がずり落ちているのも気にせず、腕を組み考え始めた。
しばらく「うーん」と考えると、ぱっと笑顔を見せた。
「じゃあ、お花! 穴を掘ってそこにお花を植えてたんだよ!」
「お花かい? それはどうしてだろうねえ」
老婆は微笑みを絶やすことなく問いかけた。
「草原には花がなくて、その子きっと寂しかったんだよ! 草原は風が気持ちよくて、草のいい匂いもするけど、お花があるともっといいし、蝶々が来るよ! ボク蝶々大好きだもん! ハチも来ちゃうけど……でも、何もないよりずっといいよ!」
男の子は嬉しそうにそう言うと、ゴロンとベッドに横になった。
「そうだね、じゃあその子は楽しそうな顔でお花を植えていたのだろうね」
「うん! この次に来たときは、あのお花の種を植えようとか、前に植えたお花がすっごくキレイに咲いてるのを見たりして、嬉しくなってるんだよ! 花がいっぱい咲いたら、種もいっぱいとれるし、そうしたら皆にも分けてあげれるでしょ!」
「お前の物語の少年は幸せなんだね」
ゆらゆらと揺れるランプの炎は、老婆の顔を淡く照らした。
「どういうこと?」
老婆の言った意味がわからないといった様子で、男の子は起き上がると再び腕を組み首をかしげた。
「お前はとても幸せに育ってきたね。でもね、世界中の子がそうとは限らない。戦争の国に生まれた子なら……? 意地悪な子なら……? その子は何を埋めるだろうね。ふふ、この物語はね、聞く人によって色んな形に変わるんだよ」
老婆の声に、男の子はむむむと眉間にしわを寄せて腕を組んだ。
「う〜ん……なんか……やだなぁ……」
しばらく考えたあと、ぱっと顔を上げて叫ぶ。
「――あっ! ボクがその子に“たねまきマシーン”を渡すよ!」
「……たねまきマシーン?」
老婆が首をかしげる。
「そう! こう、ババーンってまいたらね、お花がドッカーンって咲くやつ! えっと……あ、マシーンはないか。じゃあボクの“たね”を分けてあげる!」
男の子は照れ笑いした。
「だって花が咲けば、蝶々も来るし、友だちもできるし……ね? そしたらその子、ぜったい笑えるよ!」
老婆はくすりと笑って、目を細めた。
「……ああ、それは、とてもいい考えだね」
興奮気味の男の子をそっと横にならせて老婆が言う。
「さあ、もう夜も遅い。続きは明日話そうさね。毛布をちゃんと被って寝るんだよ」
男の子がちゃんと眠るまで側にいた老婆は、そっと毛布をかぶせ直すとランプの明かりを消し部屋から出ていった。
男の子は夢を見た。
――まるで風になって、空からすべてを見ているように。
それはそれは広い草原に、一本の大きな木がどっしりと立っている。
枝は横や上に向かってとても豊かに伸びていて、その枝の迷路を小さな動物がせわしなく駆けめぐる。
風が通り過ぎると、葉は擦れあって歌を歌い、木々はみんなで揺れてダンスをする。
そして木漏れ日となった光が地面を照らす。
そこは綺麗な水をたたえた泉が湧いていて、その泉を取り囲むように小さくて可愛い花が咲き誇っていた。
蝶は花に魅せられ、ハチは蜜を運ぶ。
空は抜けるような高さで、蒼色に広がっている。
その空を見上げていた一人の少年。
少年は、何かに呼ばれたように後ろを振り返る。
そして弾けるような笑顔を見せた少年は、何かに向かってぶんぶんと大きく手を振った。
それからズボンの両ポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
握られたままの拳をひらくと、そこには手のひらにいっぱいの種。
それは花の種か――もしかしたら希望の種かもしれない。
少年は、それを世界中に広がるように力いっぱい空へと投げた。
ぶわぁぁっと空に広がった何かの種は太陽を浴びて輝きを放ち、弾けるように彼方へと吸い込まれていった――
その輝きがどこへ届いたのか、夢から覚めても少年だけが知っている。
――おやすみ、優しい君。




