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婚約破棄ですか。では、この国の結界も止まりますね

作者: たっくん
掲載日:2026/05/10

「リシェル・エルフォード。お前との婚約は破棄する」


 王城の大広間。


 夜会の中央で、王太子アルベルトは高らかにそう宣言した。


 周囲がざわめく。


 けれど、わたくしは驚かなかった。


 ……いえ、正確には。


 ようやく来たのね、と思った。


「理由を伺っても?」


 静かに問い返すと、アルベルト殿下は鼻で笑った。


「理由? 決まっているだろう。お前は地味だ。愛想もない。王太子妃として華がなさすぎる」


 隣に寄り添う桃色の髪の令嬢が、くすくすと笑う。


「リシェル様って、いつも難しい本ばかり読んでますものねぇ」


 ああ、この方でしたか。


 最近ずっと殿下の隣にいた子は。


「それに比べ、ミリアは癒やしを与えてくれる。お前のように冷たい女ではない」


 冷たい女。


 その言葉に、少しだけ指先が冷えた。


 けれど表情は変えない。


「……承知いたしました」


「は?」


「婚約破棄、お受けいたします」


 あまりにもあっさり認めたからか、殿下が困惑した顔をした。


 本当は、もっと泣き叫ぶと思っていたのだろう。


 馬鹿な男。


「ただし」


 わたくしは一冊の手帳を取り出した。


「今後、王都中央結界の維持管理は行いません」


 空気が止まる。


「……何を言っている?」


「そのままの意味です」


 王都を覆う巨大結界。


 百年以上続く、王国最大の防衛術式。


 魔物の侵入を防ぎ、疫病を浄化し、瘴気を祓う、国の生命線。


「まさか、お前が管理していたとでも言うつもりか?」


「はい」


 ざわり、と貴族たちがどよめいた。


 当然だ。


 結界維持は国家機密。


 表向きは宮廷魔導士団が運営していることになっている。


 けれど実際は違う。


 術式の核を維持していたのは――わたくし一人だ。


「う、嘘よ!」


 桃髪の令嬢ミリアが叫ぶ。


「だってあなた、攻撃魔法も使えないじゃない!」


「結界維持に必要なのは演算能力ですので」


「え……?」


「魔力循環、術式圧縮、瘴気分解、属性均衡。それらを二十四時間制御しておりました」


 全員が呆然としていた。


 アルベルト殿下だけが、苛立ったように吐き捨てる。


「くだらんハッタリだ」


 ……本当に、何も知らなかったのね。


「まあ、よろしいのでは?」


 わたくしは微笑む。


「わたくしはもう他人ですので」


 そして一礼し、踵を返した。


 その三日後。


 王都西区画に魔物が出現した。


 五日後、浄化結界が停止。


 七日後、地下水に瘴気汚染。


 十日後。


 王城から、わたくしの元へ使者が来た。


「り、リシェル様……!」


 青ざめた宮廷魔導士が、半泣きで頭を下げる。


「お戻りください……! 結界が、もう限界なのです!」


「お断りします」


「なっ……!」


「婚約破棄された“冷たい女”ですので」


 使者の顔が引きつった。


「そ、それは殿下が勝手に……!」


「その殿下が次期国王でしょう?」


 わたくしは紅茶を一口飲む。


「では、その癒やしを与えてくれるミリア様にお願いしてはいかがです?」


「うっ……」


 返せない。


 当然だ。


 結界維持術式は、十年以上かけてわたくしが一人で構築したもの。


 代替など存在しない。


「……一つ、教えて差し上げましょうか」


 わたくしは静かに告げた。


「“地味な努力”というものは、失われてから価値に気付くのですよ」


 窓の外では、王都を覆っていた光の膜が、音もなく崩れ始めていた。


王都結界崩壊から二週間。


 アルベルト元王太子は、国王陛下によって継承権を剥奪された。


 理由は単純。


 “国家防衛の要を手放した愚行”。


 その一言だった。


 なお、癒やしを与えてくれるらしかったミリア嬢は、瘴気汚染が始まった瞬間に真っ先に王都から逃亡したらしい。


 探すだけ無駄だろう。


 責任という言葉を理解している顔ではなかったもの。


「……戻る気はないのですね」


 王城から来た使者が、疲れ切った顔で尋ねる。


「ええ」


 わたくしは書類へ視線を落としたまま答える。


「わたくしを不要と判断したのは、あちらですので」


 その瞬間だった。


 空気がふわりと震える。


「――相変わらず容赦ないな」


 低い声。


 振り返ると、漆黒の外套を羽織った青年が立っていた。


 隣国アストレア帝国第二皇子。


 レオンハルト殿下。


「君が来るなら、国ごと欲しいと思っていた」


 使者が凍りつく。


 わたくしは小さく息を吐いた。


「……随分と遠回りをなさるのですね」


「価値あるものを迎えるには、それ相応の礼が必要だろう?」


 そう言って彼は自然にわたくしへ手を差し出す。


 王国は、わたくしを捨てた。


 けれど。


 世界には、価値を理解する者もいるらしい。


 だからわたくしは――その手を取った。

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