代償
「申し訳ありません、クロエ様。俺はあなたを助けることができなかった。苦しめて、守ることができなくて、ごめんなさい、ごめんなさい……」
謝罪の言葉を繰り返すトリスタンは、今にも自責の念につぶされてしまいそうだった。
話の真偽は「並行世界の水鏡」で簡単に調べられるから、彼が嘘をついている可能性は低い。
だからこそ、クロエはひたすら胸が痛かった。
子供のころからやんちゃをするのはクロエのほうで、ぴぃぴぃ泣きながら後をついてきたトリスタン。
いじめっこから守ってやるのもクロエの役目で、トリスタンは気性の優しい穏やかな男の子だったのに。
自分がのんきに死んでいたばかりに悲惨な体験をさせてしまったことが、可哀そうで申し訳なくてならなかった。
「……俺が自覚している時戻しは、これが最後です。けれどおそらく、俺の覚えていない三回目があったのですね」
言葉の出ないクロエを見て、トリスタンは目を伏せるように視線を逸らした。
「もう一度過去に戻ってきた俺は、あの女……レオノール王女に今度こそクロエ様の治療をさせるため、あえて近衛の任を受けることにしました」
「その判断自体は、別にいい。どうして何も言ってくれなかったんだ?」
「転移の魔法陣の触媒にマグノリアの血統魔法を継ぐ者の肉体が適している、と。漏らした裏切り者がいるのです。一族の中に」
ありえない話ではなかった。
血統魔法を継ぐ宿命を背負ったマグノリアの血族は身内同士の結束が固いが、人間の集団である以上、完全な一枚岩にはなり切れない。
「王女や王妃を拷問した頃には、異形の俺はうまく人語を話せず、あの者たちもほとんど正気を失っていて、裏切り者が誰なのかまではわかりませんでした」
「どこに裏切り者が潜んでいるかわからないから、誰にも言わずに一人で全ての片をつけようとしたのか?」
「……」
「そうか、近衛魔術師になったのは裏切り者の正体や、リケッツアの情報を探るためでもあったのだな?それで私や家族から時戻しに気づかれないよう、近衛寮に住んでなるべく顔を合わせないようにした?」
「回帰前のクロエ様のお話から推測するに、その通りだと思います」
トリスタンは頷いた。
「俺はレオノール王女がクロエ様を素直に治療するなんて、信じていなかったのでしょう。万一の時のため、どうにか時戻しの魔道具を手に入れて隠し持っていたのだと思います」
「案の定治療を拒まれたから、私が死んだ瞬間に三度目の時戻しを行使した?」
「ええ。そして……多分、もう俺では代償が足りなかった。その場のもう一人の血族、クロエ様が代償を肩代わりして、今に至ることになったのだと思います」
時戻しの魔法には重大な代償が必要だ。
例えば魔女マグノリアは全滅寸前の勇者たちを救うために時戻しを使い、視力を失った。
そんな恐ろしい魔法を、トリスタンは三度も使ったという。
「トリスタン、あなたは代償に何を失ったんだ……?」
「俺のことよりクロエ様ですよ。本当にお体は大丈夫ですか?」
クロエはぬるくなったお茶を口に含んで頷いた。
「目は見えるし手足も動くし匂いや味もわかる。すぐに自覚症状が出るタイプの代償ではないのだろう」
時戻しの代償は術者によって異なるが、未来の危機に対処できなければ意味がないので、時を戻ったとたんに代償によって即死する、ということはない。
「それよりあなたは、私を助けるために何を犠牲にしたんだ」
「さぁ?人間性、とかでしょうか?」
「こんな時にふざけないでくれ。時戻しの代償がそんなふわふわしたもののはずないだろう」
「ふざけていませんよ、クロエ様。今一度提案します。婚約を俺の有責で破棄しましょう?」
恐ろしいほど真剣な目をしたトリスタンが言った。
「俺は救うべきあなたに時戻しの代償を背負わせた可能性が高い」
「あなたが意図したことじゃないだろう。あのまま死ぬよりはるかにマシだ、私は気にしていない」
「禁忌の魔法に手を染め、クロエ様を傷つけておきながら、本懐を遂げることもできなかった」
「王女殿下にべたべたしていたことなら、ちょっとしか傷ついてない。問題ない」
「何より俺は、英雄マグノリアの血脈でありながら魔王の眷属に身を堕としました。時戻しの魔法で肉体こそ人の身に戻りましたが、魂から穢れている」
「私は魔法の研究者だぞ。魂なんて、そんな非論理的なものどうでもいい」
ぷいっと子供のようにそっぽを向くクロエ。
「お願いします、クロエ様。俺のことなど忘れて、誰かあなたにお似合いの、強くて優しい男を婿に迎えて幸せになってください」
「嫌だ!私は、トリスタン以上に強くて優しい男なんて知らない!!だいたい私があなたを捨てて、幸せになれると、本気で思っているのかっ!!?」
立場の弱い分家の婚約者の前で泣くなど相手を困らせる卑劣な行いだとわかっているのに、クロエの目からは涙があふれて止まらなかった。
トリスタンの手がためらいがちに頬に伸びて、涙を拭う。
「ごめん」
「悪いと思っているなら、もう、私を一人にしないでよ……!」
慟哭のような嘆願に、トリスタンが何かをこらえて表情を歪ませる。
「……本当は、本当はさ。俺も、クロエと一緒にいたい。けど駄目なんだ」
さよならを言うみたいに、トリスタンは残酷な現実を突きつけた。
「時戻しの代償に寿命を使ったから、俺はもう長く生きられない」
風で桜の木が揺れている。
あの木の根元で一緒に本を読んだこと。
小さな虫に驚いてクロエの陰に隠れる幼いトリスタン。
血統魔法の修練で濃密な魔力に晒され、互いの手をつないで苦しみに耐えたこと。
寄り添って歩いた夏の輝く小径。
「クロエ様が喜ぶと思って」と差し出された手製の魔道具に、慈しみに満ちたトリスタンの笑顔。
たくさんの思い出がクロエの胸によみがえる。
それはただの過去ではなくて、将来もきっと同じように二人で続いていくものだと思っていた。
信じていた未来があっけなく崩れる音が聞こえた気がした。
テンプレクソ男ムーブと見せかけて酌量の余地しかないやつ。
瀕死の婚約者の前でほかの女とディープキス、が許される事情ってどんなもんよ?と考えたらトリスタンの不遇をちょっと盛りすぎたかもしれない。




