本来の運命
近衛の打診を受けた時、トリスタンは「面倒なことになった」と思った。
幼いころから優秀なクロエに筋違いな妬みを抱き、身分を振りかざして貶めていたこと。
トリスタンがちびで泣き虫な子供だった頃は散々馬鹿にしていたくせに、魔術師として頭角を現すと気持ちの悪い色目を使われたこと。
レオノール王女のことは昔から苦手で、大嫌いだ。
とはいえ自分だけではなく尊敬する両親や自慢の兄、かわいい妹を救ってくれた恩人で、仮にも王女殿下である。
丁重にお断りしたいというトリスタンの意思を家族も支持してくれた。
リシャール伯爵は不敬にならぬよう幾重にも気を遣って次男の出仕を辞退したのだが、それでもレオノールと王妃の逆鱗に触れた。
「無礼者!このわたくしが取り立ててやると言っているのに、何が不満なのよ!!」
国王と王太子は妻や妹を諫めてはくれたが、彼らの注意をおとなしく聞く母娘ではない。
こうなると寄親のローラン公爵家も対応に出ることになる。
特にトリスタンの婚約者であるクロエは何度も矢面に立ち、毅然と王女を拒否した。
公爵家と王妃、王女の間にある亀裂はみるみる広がり、国の上層部が真っ二つに分かれるのではないかと危ぶまれだした初冬のこと。
鉱血病を発症したクロエが倒れた。
「殿下の近衛でも、奴隷でも、何でもします。どうかクロエ様をお救いください」
トリスタンはレオノールに平伏した。
「今まで散々わたくしに仕える気はないと断っておいて、随分と虫の良いこと」
鼠を嬲る猫のような目をしたレオノールは、トリスタンに命じた。
「わたくし、ローラン公爵に嫌われているでしょう?とても恐ろしいの。そうね、公爵を殺して来たら考えてやってもいいわよ?」
「そんなこと、できるはずが……!」
「お前は公爵やクロエより強い魔力を持っているのに?何でもします、と言ったのは噓だったのかしら?」
クロエの父、ローラン公爵は歴代魔法卿の中では魔力が低い方で、クロエは平均値といったところだ。
逆にトリスタンの魔力量は一族トップクラスであり、クロエの婚約者に選ばれた大きな要因の一つである。
確かに全力で戦えば殺害は叶うかもしれないが、実父同然に尊崇する公爵を手にかけるなど、トリスタンには了承できかねた。
「なら話は終わりね」
彼の返事を聞いたレオノールはトリスタンを城から追い出した。
この一件を聞いて娘の悪辣さを痛感した国王は、レオノールを縛り上げてでもクロエの治療に向かわせようとしたが、王妃のほうが上手だった。
王妃と王女は秘かに城を脱すると、リケッツアに亡命してしまったのだ。
国境線は速やかに封鎖され、レオノールの身柄をめぐって両国は対立した。
交渉は長引き、クロエはどんどん衰えて、苦しみぬいた挙句に命を落とした。
「時戻しの魔法を使わせてください」
一族の誰もトリスタンを責めたりしなかったけれど、だからこそ彼はローラン公爵に懇願した。
「トリスタン……娘を想ってくれる気持ちは嬉しいが、君が犠牲になることはない」
「お願いします、クロエ様のいない世界で生きるほうが辛いのです!それにこのままいけば、リケッツアとの戦になるでしょう。それは彼女の望みではないはず」
クロエは死の間際、戦になれば傷つくのは民だと、自分が死んでも開戦に踏み切るようなことはしないでほしいと遺言を残していた。
だが、ここで引き下がってはリケッツアの驕傲を許すことになる。
ことは単なる公爵令嬢の死を超えて、国を巻きこむ戦乱の危機を迎えようとしていた。
公爵と国王は話し合いの結果、時戻しの魔道具の使用をトリスタンに許可したのだった。
話を聞き終えたクロエは渋面になった。
「それで、時を戻したあなたはレオノール王女殿下に逆らわず近衛魔術師になったのか。私の治療をさせるために」
「……その通りです。けれどクロエ様のお話を聞くに、俺は失敗したのですね」
トリスタンが答えるまでの一瞬の間に、クロエは何かが引っ掛かった。それが何なのか正体のわからぬうちに、彼がクロエから距離をとる。
「クロエ様に不快な思いをさせた挙句、目的も果たせなかったとは。婚約を破棄しましょう。俺のような不誠実な無能、とてもあなたに相応しくありません」
「回帰前は土下座してでも婚約者のままでいさせてほしいと言っていたのに?」
「それはおそらく、婚約者ならあの女にクロエ様を治療させる理由になるためです。元よりクロエ様の治療が済めば、俺の有責で婚約を破棄するつもりでした。それが少し早くなるだけです」
そのとき強い風が吹いて、桜吹雪が東屋の中に舞い込んだ。
花びらに紛れるように立ち上がったトリスタンの手首を、クロエはとっさにつかんで引き留める。
ここで彼と別れたら自分は後悔する。なぜかそんな予感があった。
「婚約を解消してどうする。どうやって殿下に私の治療をしていただくつもりだ?」
「飴が効かないとわかれば鞭で追い込むだけです」
具体的なことを何一つ言わなかったけれど、こういう思いつめた顔の彼は、たいていろくでもないことを考えている。
「待て!私は全て説明しろと言ったはずだ!今の話が嘘だったとは思わないけど、まだ何か隠しているだろう!?」
クロエの必死の呼びかけに、トリスタンはぎくりと肩を強張らせた。
「あなたではなく私が回帰しているのもそうだし、そもそもなぜ父上やリシャールの小父さまに内密にしていた?」
トリスタンの不義理に激怒していた二人はとても演技に見えなかった。彼らに事情を話すだけでも、トリスタンはずっと動きやすかったはずだ。
「今からでも父上たちに打ち明けて親族会議を」
「駄目だ!!」
親族会議と聞いた途端、トリスタンは叫んだ。
「お願いです、それだけはおやめください、みんな、みんな死んでしまう……!」
手で顔を覆って震える彼は、ほとんど恐慌状態だ。
「トリスタン……?どうしたんだ、落ち着け、大丈夫だ!」
冷や汗を流しガタガタと震えるトリスタンを、クロエは力いっぱい抱きしめた。
子供のころ怖い夢を見て泣いていた彼にしたように、ゆっくり背中を撫でて語り掛ける。
「大丈夫、私は生きている。ゆっくりでいい、息を吸って、吐いて……うん、上手だ」
褒めるように青い髪を撫で、こけた頬に掌を添えて上を向かせると、紫色の瞳は何かに酷く怯えていた。
こんな状態のトリスタンに問いただすのは心苦しかったけれど、クロエは心を鬼にして尋ねた。
「お願いだ、何を見たのか教えてくれ。あなたが命を投げ打って私を救いたいと願ってくれたように、私もトリスタンを助けたいんだ」
沈黙は長かった。
トリスタンは何度も視線をクロエに向けてはためらうように俯き、それでも最後には口を開いた。
「鉱血病から生還したころまで回帰した俺は、父や公爵閣下へ全てを報告しました。情報はすぐさま親族や国王陛下に共有され……それが、間違いだった。回帰前よりも酷いことになったのです」
そして彼は己の見た地獄を語り始めた。
ところでこの話、前作の執筆中に「エイプリルがアーサーの恩人(ただし王女の性格はゴミクズのままとする)だったらいっそう地獄になりそうだな」と着想したところら始まっています。この作者に人の心はねぇのか。




