闘病の果ての死
療養生活は総領娘としての多忙な日々と打って変わって退屈なものになった。とはいえそれは、決して安楽を意味するものではない。
鉱血病の発作は日を追うごとに強さと頻度を増していく。
慢性的な頭痛と倦怠感。
発作が起きれば心臓の痛みにのたうち、胃の中が空っぽになるまで吐き続け、少量の果物しか口にできないクロエはみるみる病み衰えていった。
はじめのうちはミラや親しい友人が何度か見舞いに来てくれたが、ひと月もたつと謝絶することになった。
そんな中でも相変わらずトリスタンからの音沙汰はなく、唯一治療の術を持つレオノールがやってくることもない。
クロエは最後まで生きるために足掻くつもりだが、現実問題として自分の命が風前の灯火だという自覚もあった。
そんなある日のことだ。
いつもはクロエの安寧を守るように静寂に満ちた屋敷が、にわかに騒がしくなった。
珍しい父の怒鳴り声、緊張を孕んだ母の声、困惑する使用人たち。そのすべてを振り払うように荒々しい足音が近づいてきたかと思うと、ノックもなく部屋の扉が開け放たれる。
「ごきげんよう、クロエ・ローラン。あははは、ただでさえ冴えないお前が老婆のように醜いわね!!」
部屋に入ってくるなりクロエを指さして笑ったのは、光のような金髪を結い上げた艶やかな美女。王女レオノールだった。
しかしクロエはレオノールの暴言よりも、王女の影のように付き従うトリスタンに驚いた。
まともに顔を見たのは半年ぶりのことだが、彼の頬には殴られたような痣があり、理知的で穏やかな昔の面差しが見る影もなくやつれて険しい表情をしていた。
「なんということを!病に伏した淑女の部屋を暴くなど、王女殿下とはいえあまりにもお嬢様に対して無礼ではございませんか!」
トリスタンに気を取られていたクロエに代わって侍女が抗議すると、レオノールは鼻を鳴らして閉じた扇の先を彼女へ突き出した。
「あらぁ、そのお嬢様の命を握っているのがわたくしだとわからないの?公爵家の使用人は頭が悪い上に躾がなっていないようね」
打擲しようとレオノールが扇を振りかぶった刹那、すっとトリスタンが間に割って入り、冷ややかな声で侍女に告げた。
「王女殿下を煩わせるな。下がりたまえ」
「私はお嬢様の侍女です、あなたに命令される筋合いは」
「公爵閣下は退いたぞ。君はご当主よりも偉いのか?」
トリスタンにぴしゃりと撥ねつけられた侍女は憎々しげに彼をにらみつけると、心配そうな顔でクロエを窺った。クロエが頷くと、後ろ髪をひかれるように部屋を出ていく。
そして三人だけになった部屋の中で、はしゃいだ声を上げたのがレオノールだった。
「ぷぷぷっ、ねぇねぇ、トリスぅ、今の見たぁ?口先ではお嬢様の忠実な侍女ですみたいに言っておきながら、ちょっと脅されただけで逃げ出すなんて。本当に人望ないわよねクロエって!」
「……そうかもしれませんね」
貼り付けたような笑みを浮かべるトリスタンに、レオノールは豊満な体を押し当てた。うっとりとした表情で、トリスタンの腫れ上がった頬を撫でる。
「それにひきかえ、あなたは忠実なわたくしの下僕ですものねぇ、トリスタン。ねぇ、クロエ?彼ったら、わたくしへの愛を宣言してローラン公爵に殴られてくれたの。羨ましいでしょう?」
もはや発声にも激痛の伴うクロエは、それでもベッドの上で体を起こして背筋を伸ばした。
「王女殿下に、忠臣のあることは、幸いに存じ、ます……此度は、ご足労いた、だき、感謝の念に堪えません……」
時折咳き込みながらも、上級貴族の矜持として挨拶するクロエ。レオノールは、不機嫌そうに舌打ちした。
「気に入らないわ。何なの、その態度!高潔ぶっちゃって、少しは無様に取り乱して悔しがったらどうなのよ。人をどこまで馬鹿にすれば気が済むの!!?」
激高したレオノールは、トリスタンを振り返ると居丈高に命じた。
「トリス、わたくしにキスして」
その命令にトリスタンの笑顔が一瞬強張ったように見えたのは、クロエの願望だろうか。
トリスタンは真珠のように滑らかなレオノールの頬に手のひらを添えると、ぷっくりとした唇に荒々しく口づけた。
耳をふさぎたくなるような息遣いと唾液の交わる音が続き、さすがのクロエも狼狽える。
その反応を小気味よさそうに横目で見たレオノールは、激しい口づけの余韻に息を乱しながらトリスタンの胸元に寄り掛かった。
「思い知ったでしょう?この人はもうわたくしのものなのよ」
「おっしゃる通りです、姫。早くローラン公爵令嬢を治療して帰りましょう?」
「そうね、わたくしも早く帰って続きがしたいわ」
ようやくトリスタンから離れて歩み寄ってくるレオノールに、クロエは複雑な心境で頭を垂れた。レオノールはそんなクロエの頭に手をかざし、艶を失った濃紺の髪をつかんで持ち上げる。
「いっ……!?」
「でも残念。クロエの治療をするって言ったの、実は嘘なの。この女がいよいよくたばると聞いたから、勝利宣言に来ただけ」
髪を引っ張られてクロエが見上げたレオノールの顔は、勝ち誇ったような醜悪な笑みに歪んでいた。
嘘なの、という言葉を聞いた瞬間トリスタンが真顔になり、瞬きの間に再び笑顔を取り繕う。
「お戯れを、殿下。令嬢の治療をするといって上がり込んだのだから、さすがにローラン公爵閣下がお許しになりませんよ」
「あら、わたくしは王女よ?なぜ公爵ごときの許しを請わねばならないのかしら」
レオノールが告げた瞬間、クロエの胸に激痛が走った。無数の氷の針に心臓を打たれるような、いつもにも増して激しい発作に呻き胸をかきむしるクロエ。
それを見たトリスタンが焦ったように促した。
「早く、治療を」
「何度も言わせないでちょうだい。い、や、よ」
拒否する口の動きを見せつけるように音を区切るレオノールに、トリスタンが詰め寄った。
「話が違う!これでは、私は何のために、あなたに仕えてきたというのだ!!」
彼がいくら責め立てても、レオノールは狂ったような哄笑を上げるだけで治療を始めようとはしなかった。
「あはははは!もう遅いわ、この女は婚約者を奪われて、苦しみながらみじめに死ぬのよ!本当にいい気味!!!」
苦悶するクロエを振り返ったトリスタンの目は、絶望に染まっている。
クロエはほとんど無意識に彼へ手を伸ばした。
(トリスタン、あなたは……私を捨てようとしたのではなかったのか?)
問いかけが音になる前に彼女の意識は黒く塗りつぶされて、ぷっつりと途絶えた。
余談ですが癒しの力がヴィクトリアにあれば、今作の諸問題は始まる前に大体片付いていました。
そして母親のソフィーリアさんがまともな精神状態なら、ヴィクトリアは癒しの力を発揮できていた可能性があります。
つまり、アレク君のひい爺さんの悪行の結果がこんなところにも飛び火をしている。
某八月王といい、スノーレイク王家やべぇ王様が多い……勇者と聖女の血筋なのに……!
まぁ、聖人から聖人しか生まれないのであれば、世界はもっといいものになっているはずですからね。仕方ないね。




