飢饉と王家の魔法
トリスタンが落ち着くのを待ってから今後について話し合った五人は、おおまかな方針を決定することにした。
現状、何をおいても足りないのはまず情報だ。
トリスタンが王女の護衛になったのは、情報収集の面ではむしろ都合がよい。
必要以上にレオノールへ侍ることはしないが、近衛の仕事は公爵家公認で継続することになった。
「とはいえ身の危険を感じたら、無理せずに手を引くことだ。分かったね、トリスタン?」
「はい、閣下。……この件は国王陛下に報告するのですか?」
「いや。ジェラール陛下は公平なお方ではあるが、リケッツアの諜報員に情報が洩れるリスクは少しでも減らしたい。まだ様子を見よう」
それを聞いたラザロが、ふと思いついたように尋ねた。
「例えば、陛下のご成婚や飢饉の前まで時を戻すことはできるのでしょうか?」
「いや。時戻しの禁術を繰り返す場合、前回より過去へは戻れないのだ」
それが通用するなら、理論上はマグノリアの血筋をたどって勇者の時代まで戻れることになってしまう。
「初回に時戻しを使ったのが私ではなく、一族で最も魔力の強いトリスタンだったのもそこが理由だろう。少しでも長く時を遡り、多くの可能性を残すために」
「なるほど」
時戻しの詳しい仕様は知らずとも、現実的な提案でないのはわかっていたのだろう。ラザロはあっさりと納得した。
「リシャール伯爵のお気持ちはわかりますよ。あの結婚は失敗でした。予定通りアンリエット様が輿入れしていれば、こんなことにはならなかったのに」
「アンリエット様?」
なじみのない名前を聞いて首をかしげるクロエに、ディアナは頷いた。
「飢饉が起こる前、国王陛下の婚約者だったセギュール家のご令嬢よ。慈愛と知性を備えた美しい方でね。国王陛下とも相思相愛の、本当に似合いのお二人だったのに」
夢見るようなうっとりとした顔で思い出に浸っていたディアナは、一転して忌々しそうな顔で歯ぎしりした。
「それを、リケッツアが……エウラリアを妃としなければ援助しないと横やりを入れて!」
「母上、防音の魔道具が効いているとはいえ公爵夫人が王妃陛下を呼び捨てはまずいのでは」
「あらいけない、わたくしとしたことが」
ほほほ、とお上品に誤魔化し笑いをするディアナだが、その目は未だ怒りに燃えていた。これは少し話をそらした方がよさそうだと、クロエは母の憧れだったらしいご令嬢について聞いてみた。
「セギュール公爵家といえば、我が家とは違って由緒正しい王家の縁戚ですね」
ローラン家は公爵の位を与えられているものの、実は王家と血の繋がりはない。
なんでも初代女王が師匠を王より上の位に位置づけようとして周囲とマグノリア本人から猛反発を食らい、最終的に「じゃぁ公爵で」という話に落ち着いたらしい。
その後も王家とローラン家の婚姻が避けられてきたのは、「一つの家の独断による時戻しを阻止するため」とされている。
「そんな名家ご出身のアンリエット様を社交界で拝見しないということは、他国に嫁がれたのでしょうか?」
「いいえ、アンリエット様は修道院に入られたわ。ご成婚間近で、王家の秘事もいくらかはご存じだったでしょうから」
「それは……痛ましい話ですね」
輝かしい未来を約束されていたはずの女性が、修道院に入らざるを得なかったと聞いてクロエは同情した。
「ジェラール陛下は婚約者のいない親族に王位を譲ってでも阻止したかったようだが……先王様が過労で亡くなって、とてもそんなことは言っていられなくなってしまった」
若いころからジェラール王と親交のあるシリルも、気の毒そうに補足する。
「結局、アンリエット様は修道院に入ってすぐにご病気で儚くなってしまったのよ」
「それはまさか、エウラリア王妃が暗殺を……?」
王妃に対する心象が地の底まで落ちているトリスタンが尋ねると、どうかしら、とディアナが首をかしげた。
「修道院に入る前のアンリエット様にご挨拶したことがあるけれど、確かに体調は優れない様子だったわ。いくら王妃でも、自ら身を引いたアンリエット様に追い打ちをかけるような真似はしなかったと思いたいけれど……」
そう言うと、ディアナは物憂げにため息をついた。
「あのような王妃でも、当初は歓迎されていたのよ。王妃が、というよりリケッツァからの援助が、と言ったほうが正しいかしらね」
当時の飢饉の被害は、クロエやトリスタンも知識として知っている。
二人が生まれる前年、マグノリア魔法王国の穀倉地帯を襲った干ばつは作物の収穫量を激減させた。
それだけでも深刻な被害だったが、干上がった川底に卵を産む飛蝗の変異種が大繁殖したことがとどめになった。
作物はもちろん植物由来の家屋や衣類、家具に紙類まで飛蝗に食らい尽くされ、下級貴族にすら餓死者が出る惨事となったのだ。
飛蝗は卵もろとも魔法で焼いたので翌年の蝗害は抑えられたものの、焼き尽くされた土地は簡単に戻らない。
そんな折、大量の支援物資とともに嫁いできたエウラリア王妃は救国の女神だった。
亡父の跡を継いだばかりのジェラール王は、アンリエットを愛していることなどおくびにも出さず王妃を丁重に扱った。
婚姻の翌年には双子の王子と王女も生まれ、復興も軌道に乗り始めたころ。
だんだんと、エウラリア王妃が本性を現した。
といっても、初めから横暴だったわけではない。
むしろ「陛下はいまだに以前の婚約者様を想っておられるのです」と、国を救ったにもかかわらず夫に愛されない、健気で哀れな妻のようにふるまった。
人の同情や罪悪感に付け込み、美貌によって信奉者を増やす一方、感情論で惑わすことのできない諫臣は言葉巧みに周囲の人間を操って孤立させた。
ジェラール王から咎められるとエウラリアは被害者ぶり、王妃の信者たちがますます彼女の盾になる。
そうしてエウラリアの手駒は遅効性の毒のように社交界へ根を張り、古くからの忠臣は国政の重要な地位から遠ざけられた。セギュール家もそのうちの一つだ。
「リケッツアに恩があったのは、二十年近く前の話なのですよね?ジェラール陛下は王妃にもっと制裁を下しても良いのでは」
「軽々しくそのようなことを言うものではないよ、トリスタン。陛下は慈悲深く誠実なお方だ、恩ある王妃を簡単には切り捨てられないのだろう」
ラザロは息子をたしなめると、ため息をついた。
「私としては王妃陛下も厭わしいが、それ以上に一族から出た裏切り者が許せぬ。いったい誰が、主家を売るような真似をしたというのか……」
「まずは王妃派の外戚を持つ親族がいないかどうか調べてみます、父さん。前回の俺も、そこから取り掛かったはずですから」
魔女マグノリアの一族は血統魔法保持のため親族間で婚姻を結ぶことが多いが、血が濃くなりすぎる弊害を防ぐため他所から婿取り、嫁取りをすることもある。
例えばトリスタンの兄嫁も他家の人だ。ローラン旗下の下級貴族になるほど血は薄まり、血統魔法の使えない者も増える傾向にあった。
「王妃派の外戚を持ち、一族の血の秘密に自力で気付くほど優秀な魔術師、か。意外と絞り込むのは簡単そうだな?」
「そういう者がいれば疑わしいというだけで、裏切り者がこの条件に該当するとは限りませんよ?」
「まぁ、それもそうか」
「あるいは、前の回帰の俺なら裏切り者の調べがついていたかもしれませんが……」
「私の視点では、何もわからないからな……なんだかすまない」
「いいえ、クロエ様が謝ることではありません!」
娘とその婚約者の会話を聞いていたシリルはそこで口をはさんだ。
「君たち、それ以上の謝罪合戦は無意味だよ。それより他に気づいたこと、話し合いたいことはあるかい?」
父の言葉にクロエは少し考え、発言した。
「父上。王家の血統魔法は、本当に鉱血病の治療なのでしょうか」
「……どういう意味だい?」
クロエはすぐに答えず、並行世界の水鏡にもう一度触れた。前回の死の間際、レオノールに髪をつかまれ発作に苦しんだ時の様子を映し出す。
「発症から一か月余り経過していて、強い発作が頻繁に起きていたのは確かです。けれど殿下に触れられた瞬間に命を落とすほど激しい発作に見舞われた……あまりにもタイミングが良すぎると思いませんか?」
「クロエ、それは」
「王家の血統魔法が鉱血病の治療ではなく、操作なのだとしたら?リシャール家が一度に罹患した不自然さも、説明がつくのではないでしょうか」
大前提として、鉱血病の発症率はそれほど高くない。
大多数の一族は、一度も発症することなく生涯を終える病だ。
それにもかかわらず、伯爵家の人々はマグノリアの血を持たない長兄の妻以外、ほとんど同時に全員が発症した。
本格的な魔法の鍛錬を始めていないミラまで罹患したので、最初は食中毒か伝染病が疑われたくらいだ。
結局レオノールが治療できたことで、たまたま不幸な偶然が重なったのだ、と結論付けられたのだが。
王家の血統魔法が鉱血病の治療だけでなく、発病や悪化もさせられるのだとしたら?
「それが、もしも事実ならば。王女殿下に配慮する、唯一最大の理由が消え失せることになるな」
普段は穏やかな学者然としているシリルの声が、怒りに震えた。
「一族の虐殺も、レガリアからの侵攻も、きっかけはわたくしの死でした。鉱血病の治療に王女殿下の協力が本当に必要なのか……わたくしは王家の血統魔法を調べようと存じます」
王家の血統魔法の研究は、時戻しに並ぶ禁忌だ。
ローラン一族が自力で鉱血病を克服することは、王家の制御から外れることを意味する。
ルフェーブル王家とローラン公爵家が婚姻を結んでこなかったのも、結局はそれが一番の原因だ。
仮に王家と公爵家の血筋に子ができれば、よくて母子ともに幽閉、最悪処刑もあり得るだろう。
前の回帰でクロエが表面上は平静でいられたのも、レオノール王女にトリスタンの子を孕む度胸があるとは思えなかった、というのも大きい。
「確かに、この期に及んで王家に遠慮している場合ではないな。だがクロエ、もしも王家の血統魔法を嗅ぎまわったことが露見すれば無事では済まない。心しておきなさい」
「はい、父上」
クロエが頷くと、今度はトリスタンが発言を求めた。
「私からも一つよろしいでしょうか、閣下」
「何だい?」
「前回の私が時戻しの魔道具を手に入れた方法についてです。状況からしてクロエ様が命を落とす前後に発動したと考えてはおりますが……自分でも苦しい説明だと思って」
「ふむ、確かに。私と陛下が存命で、事情を話したわけでもないのにあれを手に入れるのは、いかに君が優れた魔術師だといっても無茶だろうね」
「一つだけ、これはという方法がなくはないのですが……」
「実際に盗み出せるかどうか試してみるわけにはいくまい。気になるのはわかるが、その件については忘れなさい。失敗してもまた時を遡れば良い、という思考に陥っては危険だ」
トリスタンが同意したのを見て、ディアナが手を打った。
「さて、大体の方針は決まったわね。あまり深刻な話を続けてもいい考えは浮かばないわ、そろそろ上に戻りましょう」
五人が地下の広間を後にすると、窓の外には夕闇が広がっていた。
「いつの間にかもうこんな時間か。ラザロ、トリスタン、今夜は泊っていくといい」
ラザロたちははじめ恐縮して遠慮していたものの、ディアナが家令を呼んで晩餐の準備やリシャール家への言伝を命じると、深々と頭を下げて受け入れた。




