逃亡犯の少年
その村では領主の圧政が行われており人々は苦しんでいた。度重なる重労働、重税で人々は生きていくことでやっとであった。
ダレムはそんな村で働く役人である。農民たちを働かせて税を集める仕事をしている。40歳代半ばになるまで約20年間、度重なる理不尽や嫌がらせに耐えながらもなんとか働いてきた。
彼の妻はヨラといった。彼女は今日も夕食を作ってダレムが帰って来るのを待っていた。
「帰ったぞ」
ダレムはいつも通りやつれた顔で帰ってきて、そのまま居間に寝転んだ。
「ご飯を作ったわよ。それにしても今日はいつもよりお疲れのようね」
「まったくだ。領主様の屋敷から米を盗んだガキがいたらしくてな、領主様がそいつを捕まえるって躍起になってるんだ。俺たちはそれで1日中そのガキを探してるってわけだ」
「まあそんなことがあったのね。やけに外が騒がしいと思ったけど」
「そうだろうな。役人はみんな入れ替わりで外を捜索してる。俺も少し寝たら行かないといけない。何せそのガキを村の外にでも逃がしたら一大事だからな。まったく迷惑なことをしてくれたもんだ」
「でもその子を見つけて領主様はどうするつもりなの?」
「そりゃ当然これだよ」
と言ってダレムは手で首もとで切る仕草をした。この村では領主を怒らせた人間の末路はそれしかなかった。
「ひどいわ。まだ子どもなんでしょう?」
「今に始まったことか。この村は昔からそうじゃないか。無事に人生を終えたいなら領主様には逆らわないことだ。そのガキも愚かなことをしたもんだ」
ご飯を食べてすぐダレムは眠りにつき、ヨラは洗濯をしようと家の隣の小屋に入った。すると後ろの方で人の気配がした。
「誰?」
ヨラが覗き込むとそこには、痩せ細った男の子が座って怯えた目でこちらを見ていた。ヨラは一瞬で状況を理解した。この子がダレムが言っていた逃亡犯の少年に違いない。
「怯えなくていいわよ。こちらへいらっしゃい」
ヨラは彼のことを反逆者である前に1人の子どもとして接しようとした。しかしその子どもは気を許した様子はなく、ただただ怯えた目でこちらを見ている。
その時だった。
「何だ?騒がしいぞ」
と言ってダレムが小屋の中に入ってきた。ヨラは急いで少年を隠そうとしたが間に合わず、ダレムの視界にその少年の姿が映った。
「このガキ、こいつだ。領主様の米を盗んだのは。待ってろよ、今とっ捕まえてやる」
少年は逃げようとしたが体を立ち上げようとしても上手く動けない。どうやら体が弱りきっているようだ。
「待って」
ヨラは少年を守るようにダレムの前に立ちふさがった。
「何で止める?このガキを捕まえることが俺の仕事なんだぞ」
「こんな小さい子どもなのよ。あなたには情がないの?」
「お前は昔からそうだ。何かといえば人助けだの優しさだのと言ってやがる。俺の事情も分かってもらいたいね。このガキを見つけたにも関わらず逃がしたなんて分かったら今度は俺が死刑だぞ」
「そんなのあんまりよ。領主様はあんなに好き放題人の食べ物を持っていくのに、少し子どもが米を盗んだら死刑だなんて」
と言ってヨラは耐えきれなくなって涙をこぼした。ダレムは呆れ顔で告げた。
「おいそういうことを言うのはよせ。外に聞こえたらどうするんだ。どちらが正しいか悪いかなんて俺にはどうでもいい。俺の興味は生活だけだ。このガキを匿えば死刑、突き出せば昇進だ。ならば答えは決まってるだろ」
「あなたは人間じゃないわ」
「何とでも言え。人間でなんていたらこんな村でやっていられるか。非情になりきれないんじゃこっちの身がもたねえってんだよ」
しかしヨラがひたすらに泣き止まないのを見てダレムも折れるしかなかった。
「分かったよ。じゃあそのガキを外に放り出しておけ。こんなとこにずっといられたんじゃあらぬ疑いをかけられる。とにかく俺は寝るからな」
と言ってダレムは寝室へと戻り、4時間ほど仮眠をとってそのまま再び仕事に向かった。
ヨラはこの子どもを家で匿うことを決心した。見張りが大勢いる状況でこの子を外に出せばすぐに見つかるのは明らかだ。心優しい彼女にはそんな真似はできなかった。
やがてダレムが再び帰宅した際、例の子どもが自分の食卓でご飯を食べているのを見て彼は激怒した。
「どういうつもりだ。外へ放り出せといったはずだぞ」
「そんなことをしたらこの子は捕まって殺されるわよ」
「知るか。このガキを匿ったとばれたら俺たちが殺されるんだぞ。お前は分かってるのかよ」
「分かってるわよ。でも困った人がいたら助けるのよ。それだから私たちは人間なんじゃない?」
「もういい。話にならない」
その間も少年は一言も発さずにひたすらご飯を食べ続けている。それを見てダレムはしびれを切らした。
「おい、お前も何かしゃべったらどうなんだ?なんで米を盗んだんだ?そんなことしたら死ぬのは分かってんだろ?」
「そんな言い方するのはやめて。おびえてるでしょ」
とヨラが割って入って彼を止めた。
ヨラはダレムが帰ってくるまでに少年から事情を聞いたらしい。彼は名をレオといった。幼い頃に両親は病気で亡くなり、それからは1人で生計を立てていたがついに働く場所がなくなってお金も尽きてしまった。そんな中で食べるものもなくなり、明日には死ぬかもしれないという状況の中で彼は領主が大量に貯蔵している米を盗んで食べることで命を繋いだ。
「なるほどな。つまり米を盗まなければ死んでいたが、盗めば死ぬ可能性は高いが生き延びれるかもしれないと考えたわけだ」
ダレムはレオの方を見たが、レオはまだ怯えている様子で彼には何も話そうとしない。
「おいガキ、俺にどうしてほしいんだ。ずっと黙ってたんじゃわかんねえだろーが」
レオは唇を震わせながらゆっくりと口を開き始めた。
「何もしなくていい。ご飯を食べたらここを出ます。自分の力で逃げ切ってみせます」
ヨラはあまりの答えに驚いて諭すように告げた。
「何を言っているの?逃げ切れるわけないでしょ?村中の大人が今躍起になってあなたを探してるのよ」
レオは再び黙り込んだ。
「いいじゃないか。このガキが自分でそうしたいと言っているんだ。今度こそ外に放り込んでやろう」
そう言ってダレムはレオの瞳を覗き込んだ。
「助けてほしいなら助けてほしいと言ってみろよ。そうしたら考えてやらないこともない。」
「助けてなんてほしくない」
レオがそう言うとダレムは彼の頬を激しく打った。
「何するのよ」
とヨラが訴えたが、ダレムは聞かずにレオに冷静ながらも激しい口調で迫った。
「お前は人に頼らないことを偉いことだと思ってやがる。思い上がるなよ。そんなのは傲慢なやつの考え方だ。」
すると堰を切ったようにレオは声を出して泣き始めた。
「頼れなんてしない。これまで人を信じて頼ったって裏切られてきたんだ。誰だって領主様を怒らせるのは怖いに決まってる。僕を助ける人間なんているはずがない。捕まって死んだらそれも運命さ。きっと僕は生まれてこない方がよかったんだ」
それを聞いてダレムは、さっきまでの冷めきったトーンから一転してレオのことを怒鳴りつけた。
「いい加減にしろ。さっきから聞いてたら泣き事ばかり言いやがって。生まれてこない方がよかっただと?せっかく生まれてきたんならそんなもったいないこと言うもんじゃねえよ。生きて生きて生き抜くんだよ、どんな辛い目に遭ってもな。人間はな、人に見捨てられたくらいで簡単に終わりはしねえんだよ。でもな、自分で自分のことを見捨てたらお終いだろうが」
レオは泣き止んでひたすら聞き入っていた。ヨラもレオの手を握って優しく語りかけた。
「そうよ、諦めちゃいけないよ。実際あんたは私たちに出会えたじゃないか。過去は過去よ。そんなものはもう忘れなさい。あなたには今と未来しかない」
「とっとと答えろよ。どうしてほしいんだ?」
「助けてください。ここに匿ってほしいです」
レオは再び泣き始めて、声にならないほどのかすれた声で言った。
「よく言った。不本意ながら匿ってやるよ。だが3日後になったらここを出てもらう。3日後に領主様の生誕祭が開かれる。この日は役人たちもそこに出なければいけないから警備は手薄になる。逃げるとしたらチャンスはそこしかない。ここから12キロ西へ行けば隣町に抜けられる。そこから先はもう追手たちはどうすることもできない」
そう言ってダレムは隣町への道が書かれた地図を手渡した。
翌日のことだった。家に突然役人たちが6人で押しかけてきた。
「ダレムよ、いるか?」
と言ってドアを何回も叩いている。
「まずいわ。レオのことがばれたのかしら?そんなわけないわよね?」
ヨラは青ざめた表情でそう言った。
「落ち着け、そんなはずはない。レオは押し入れの中に隠れていろ。ヨラは寝室で布団を被って寝ていろ」
「どうして?」
「説明してる時間はない。いいからそうしてくれ」
ダレムはドアを開けた。彼はマスクをしている。
「どうした?」
ダレムは動揺を悟られないように落ち着いた口ぶりで対応した。
「実は例のガキのことで領主様から命令が出たんだ。全ての家に立ち入って中を調べ尽くせと言われている。だから中を覗かせてもらうぜ」
と言って一人の男が中に入ろうとしたが、ダレムはそれを遮った。
「待ってくれ」
「何だ?領主様の命令だぞ?それともやましいことでも何かあるのか?」
「あるわけがないだろ。ただうちの女房が伝染病にかかって昨日の夜から寝込んでいるんだ。だから俺もマスクをして距離をとって話してるんだ。入ってお前たちに移すわけにはいかないだろ」
「そうだったのか。それじゃお前の奥さんには悪いんだが一度家の外へ出てもらえるか?その間に中を探る」
それを聞いた途端にダレムの目力が強まり、その瞳が6人全員を睨みつけた。
「俺は二十年来この村のために身を粉にして働いてきたんだ。お前たちはそこまで俺が疑わしいというのか?」
普段のほほんとしている男だけに、ダレムがこうなるとみんな怖気づいてしまった。
「いやそういうわけじゃないんだ。だが一応命令で」
「黙れ。だいたいなんで俺がそんなガキを匿わないといけないんだ。そんなガキが目の前に現れたなら喜んで領主様のもとへ連れて行くさ。こんなにも領主様や村のために尽くしてきたのに、俺の信用とはそんなものなのか」
ここまで言われると役人たちも引き下がるしかなかった。彼らは大人しく帰っていった。
生誕祭の日が来た。ダレムもそこに出席するために家を出なければならない。
「いいか?生誕祭が始まれば今うろちょろしてる見張りどももそのうち姿を消す。そのタイミングを見計らって外へ出ろ。そこからはもう俺たちは何もできない。何が起きてもお前の手で何とかしろ」
するとレオはここへ来た時には決して見せなかったような笑顔を浮かべて
「ありがとうございました。この恩は生涯忘れません」
と頭を下げた。
「うるせえ。お前を手放せられると思うとこっちもせいせいするよ。とっととどっかへ行ってくれ。じゃあな」
ダレムはそれだけ言って振り返らずに歩いて行った。
生誕祭が終わりそれから1週間が立った。領主の米を盗んだ少年が捕まったという知らせは入っていない。とはいえ無事に隣町へ入れたのかどうかも分からない。この村では外部からの情報が遮断されているため、隣町のことは全く分からないのだ。
「あの子無事に逃げられたかしら」
ヨラは心配そうに呟いた。
「俺たちの知ったことかよ。変に人助けなんかしたせいで神経使って疲れちまったよ。今日は早く寝るぜ」
ダレムはとっとと寝室へと入っていった。
疲れ切ってすぐに眠り込んだ彼の寝顔は、どこか満足気で充実感に溢れているようだった。