1話:贄になりまして
なろう版です。
Nola版とは用語や言い回しなど一部差異があります。
辰尾乃 ミヤは、異世界人だ。
仕事を少し早めに上がった帰り道、突如ミーユ大陸に落とされた。
落ちた先で待ち構えていたのは、大陸一の領土を持つ国【デザリア王国】の兵士たち。
途方に暮れる間もなく【神竜教】の大聖堂へと連れて行かれ、白い法衣を着せられた。
「貴方は本日より【竜の使い】として、ここで働いていただきます」
そう告げられ、早3年。
竜の使いとは、神竜教の神官の中でも【竜力】という特別な魔力を持つ者の呼称だ。
竜力はこの世界を守護する【神竜】に愛された存在の証明である万能の力であり、使用者が明確なイメージさえできれば、あらゆる不可能を可能とするとされる。
一応この世界には魔法があり、誰もが自身の魔力を使って魔法を使用できるが、それには呪文や術式が必要不可欠。使いこなすのはかなり難しい。
その万能の力により、救われた国や人々は数知れず。
年に数人だけ産まれるとても貴重な存在であり、デザリア王国ではかなり丁重に扱われる立場であるらしい。
(……思えば、あれで大事にされているのか疑問だったけど)
実際にミヤが受けた待遇は、大聖堂に閉じ込められ、日々数時間にも及ぶ神竜へのお祈りと大量の雑務を強いられる窮屈なもの。
丁重さには疑問を抱きつつも、それはそれで良いとミヤは思っていた。
だから、文句を言わず働いた。
右も左もわからない異世界。ミーユ大陸の殺風景な平地に取り残されるよりはずっとマシだ。
幸い大聖堂の中には図書室があり、デザリアや周辺の文化を学び、順応していくのに丁度良かった。
月に二度程、ボランティア活動で町へ出て、街の人々と交流する機会もある。
折角手に入れたこの生活を、なるべく長く続けられたら良い。
祈りの隅で願う事は、それだけ。
本当に、それだけだったはずだというのに──
「グロシュリウス王よ、約定に則り、贄を捧げに参りました」
今、ミヤは全身を覆い隠すヴェールを被せられ、白い花が飾られた輿に乗せられている。
ここはデザリアの宿敵、グロシュリウス王国の城塞。
厳かな城門を抜ければ、禍々しい黒い炎のような鎧を纏ったこの城の主が待ち構えていた。
体躯は大きく、禍々しい。人間らしさを感じられる要素は全て隠している。
そして、背後に隊列を組んで待機する兵士たちが霞むほどの殺気を放っていた。
(ほ、本当に、人なの……?
悪魔みたいだ……)
彼の名はティーガ・ウル・グロシュリウス。異名は【餓虎王】。
贄は例外なく喰らい、その血肉で空腹を満たす。
大陸中で恐れられている覇王だ。
ミヤはこれから、このグロシュリウス王へ贄として捧げられる。
彼の率いるグロシュリウス王国は、少数部族たちが寄り添いあって出来た弱小国だ。
長らくデザリアの属国の1つだったが、ミヤが落ちて来たのと同時期に、急激に頭角を現し独立を果たした。
そのままデザリア侵略に移るかと思いきや、グロシュリウス王は自ら斬り捨てたデザリア兵たちを背に、ある要求をして来たのだ。
――半年に一度、デザリアは竜の使いを一人選び、両国の平和の維持のために贄を捧げよ。
――断れば、7日の内にデザリア王国および神竜教を滅ぼす。
デザリアは100年ほど前の大陸戦争の勝者だが、平和ボケをして戦い方を忘れてしまっていた。
国境には竜力による強力な防護結界が貼られているが、グロシュリウス王の武力は、それをも打ち破るだろうと思わせる迫力がある。
真正面から戦えば、確実に甚大な被害を出してしまうだろう。
デザリアは、渋々従わざるを得なかった。
(何とか助かる方法は、何か……)
ミヤが贄に選ばれた理由は、自分の良心に従い、神竜教の戒律を破ったから。
(いや、1回だけ戒律破ったくらいで本当に馬鹿らしい。
あれは私が悪いのではなく戒律が悪いよ……絶対に、倫理的にもおかしい)
3年間、ミヤは保身と現状維持を第一に生きて来たが、それが揺らぐ程に許せない事が起きたのだ。
やってしまった事について後悔はない。
だが、グロシュリウス王が目の前まで迫ると、思わず身体が竦み上ってしまう。
(竜力……いや、万が一暴発したら……)
イメージが出来れば発現させる事ができるが、イメージ出来なければ何も起きない。その上うっかり周囲一帯の人間を葬り去るイメージなどしてしまったら、本当にその通りになってしまう。
閉鎖的で自由時間の少ない環境だった事もあり、ミヤは自身の竜力を殆ど試してみた事がなかった。
(いやいやそれはダメ、人を巻き込む暴発絶対ダメ……そ、それに、こんな怖いのに勝てる気しない……!)
ちょっとでも不審な動きを見せた瞬間殺される。
死をもたらすであろう存在が、そこにいる。
自分にもう少し度胸があれば真正面から対峙できたかもしれないが、無理だ。威圧感に潰されそうだ。
(何とか穏便に、助かる方法を……!)
それでもミヤは自分の正しさを信じ、拳を握った。
グロシュリウスの兵士たちにより輿から降ろされてすぐ、デザリアの兵士と神官たちは踵を返しはじめる。
ミヤはそれを気配で感じ取りながら、促されるままグロシュリウス王城の中を進む。
――デザリアには頼れそうもない。
贄に選ばれた時点で分かり切っていた事だが、改めて突きつけられた。
荒々しい石積の廊下に響く足音が鳴るたびに、焦りと恐怖が深まっていく。
倉庫のような部屋に通されたと思った瞬間顔のヴェールがはぎとられ、ミヤは眩しさに怯んだ。
「随分とまぁ、とぼけた顔の奴が来たな」
まず初めに、青年のハキハキとした声。
次に、琥珀色の瞳。猫の目のような美しい色を認識する。
続いて気風の良さがにじみ出た端正な顔立ち。鋭い犬歯が光る口元。緩く後ろへ撫でつけた麦色の短髪。
とんでもない美青年が自分を覗き込んでおり、ミヤは思わず飛びのこうとしたが、青年はミヤの背中に腕を回して動けなくしていた。
「グ、グロシュリウス王……?」
「ティーガと呼べ。片っ苦しいの苦手なんだよ。
あーもう必要とはいえ本当面倒くせぇ行事だなぁ」
先程の雰囲気とは全く違う、気さくな対応だった。
青年が纏っているのは紛れもなくあの黒い炎のような鎧であり、グロシュリウス王で間違いない。床には脱ぎ捨てられた兜が転がっている。
(ギャップ……!)
彼は竦んでいるミヤを一旦放し、更に鎧も脱ぎ捨てていく。
息が苦しくなるほどの威圧感はどこへやら、暑いと愚痴を零しながら軽装になっていく姿は、元の世界にもいた体育会系の爽やかな青年のようだ。
一般兵士が着るようなシンプルな軽装になったところで、グロシュリウス王ことティーガは、改めてミヤと向かい合った。
「さて、お前には死んでもらうわけだが」
気さくな態度ではあるが、方向性は儀礼で対峙した時と変わってなかった。
態度と放たれた言葉の温度差に、ミヤは聞き間違いかと勘違いしかけた。
「斬られて死ぬか、痛くないが生き恥晒して死ぬか、選ばせてやる」
「ひっ……」
さらっと提示された最悪の二択に、ミヤはカタカタと震えてしまう。
生きるという選択肢は元から用意されていない。絶望感が凄まじい。
(ダメだ……怖がってる場合じゃない!
なんとか考えないと……!)
痛みで少しでも恐怖を散らすべく、唇を噛み締めた。
血の味がするのも構わず思考を回す。
周囲を観察して必死で生き延びる術を探すが、そんな彼女の心境などティーガは露知らず、ずいと顔を近づける。
「もったいねぇ」
そうして、ミヤの口の端から零れる血を舐めとった。
「~~~⁉︎」
ミヤは声なき悲鳴を上げ、情けなく尻もちを付いてしまった。
混乱と困惑で思考もままならない。
これはもう、お終いかもしれない。
ミヤは涙目になって震えていたが、ティーガは剣を取ろうとしていた手を止めた。
「ん……?
お前まさか、落とし子か?」
琥珀色の獣の瞳でしっかりとミヤを捉え、そう尋ねた。
落とし子とは、この世界における異世界人の総称だ。
大陸中央部に広がる平原の空に、輪状に広がる雲が生まれた時、その輪を潜り抜け文字通り落ちて来るためそう呼ばれる。
「あ、は、はい……」
「……アホのデザリアとはいえ流石に愚行すぎるだろ」
「それは、何故……?」
「お前、何も知らねぇのか!?
……はぁ、落とし子の竜力は、この世界出身の竜の使いのものとは比べ物にならねぇ程強い」
この世界出身の竜の使いが持つ竜力は非常に微弱だ。
イメージできても実現できるだけの力がない。精々薪を燃やすための小さな火種を出したり、コップ1杯の水を出したりが精一杯だ。
比べて、落とし子の竜力は限りなく強大であり、イメージさえできれば、ほぼ全てを実現できると言っても過言ではない。森の木々を焼き尽くすような炎を発生させたり、滝のような水流を操る事なども容易だろう。
それこそミヤが懸念していたような、周囲一帯の人間を葬り去るような事も可能だ。
「かつてこの大陸を救った勇者も、落とし子だった。
他にも何人かいたらしいが、誰もが奇跡のような力を振るって、人々を救ってきたって知ってるだろ。
どれだけ貴重で、可能性を秘めた存在かって……」
「ふ、ふんわりとは」
「……」
(絶句しちゃった……)
使い方次第では、窮地に立たされているデザリアを、一気に立て直す事だってできるだろう。
「はぁ……びびっちゃいるが命乞いしてこねぇのは、そういう」
(まだできてないだけで、命乞いはしたいんだけど……)
戦闘慣れしていないミヤには、竜力で反撃しようとしても、その前に首を切られるイメージしか湧いていない。
そして恐らく、この王に命乞いできるのは一度だけ。
心に響く内容でなければダメだ。ただ助かりたいと喚くだけでは、この王を納得させる事など到底無理だろう。
「それにしたってなんで……」
思わぬところで緊張が少しだけ緩まった気配を察知して、ミヤは口を開く。
「何と言いますか、私は身代わりで来たのです」