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春暁ペナルティ2

「君が来るだろうと思っていながらうたた寝していた私にも非が無いとは言わないけれども」


「はひ」


「キミのそういう自分に正直なところも嫌いではないのだけれども」


「はひ」


「け、れ、ど、も、キミの男の子を容認するのと同様に、遠慮なく私は女の子を行使したいと思う。目を閉じて歯を食いしばりたまえ」


 声のトーンがいつもとまったく変わらないところがかえって怖いが口に出す余裕はなかった。

 新田が左手で抑えていた本を閉じて右手にぐっと握りこぶしを作る姿を見て「ひっ」と引き攣れた短い悲鳴を上げ、慌てて言われるままに目を閉じて歯を食いしばる。

 椅子が軋む音、立ち上がった気配を感じる。殴り方を吟味しているのだろうか、まだ衝撃は来ない。衣擦れの音。近い。ふわりと甘い香り。


「ふっ!」


「うわぁっ!?」


 げんこつの衝撃に備えて身を固くしていた不二は、不意をついて力いっぱい耳に息を吹き込まれ、驚いて尻もちをつく。目を開くと真横に新田がしゃがんでにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。


「げんこつでは私も痛いからな、今日はこの辺で勘弁しておいてやろう」


 彼女は真っ赤な顔で爆発しそうな心臓を抑えている不二を尻目に自席に戻ると足を組み背伸びをする。彼もよろよろと立ち上がって向かいの席に腰を下ろした。

 目覚めた新田に先ほどまでの隙は微塵もなかった。

 穏やかな目元も緩んだくちびるも静かな迫力とも感じられる気配を湛えた不敵で冷笑的な表情に取って代わられ、女性らしい柔らかさを感じさせた身体は校則通りにきっちりと着込まれた厚いセーラー服に阻まれてその面影もない。


「陽射しと窓から入って来る風が心地よくてね、ついうとうとしてしまったよ。春眠暁を覚えずというやつさ」


 確かに陽射しは強からず弱からず、風も爽やかでひとりで居たらつい眠ってしまっても不思議はないかも知れない。


「ちなみにいつから起きてたんですか?」


「キミが私のおへそ辺りを凝視しているときには気付いてたよ」


「結構早いですね!?」


「女の子は視線を物理的に感じるんだ。すぐに気付くよ?でもまだ目覚めたばかりで眠かったから、不二くんも男の子だしな私をいやらしい目で見るくらいは良いぞ苦しゅうない、とか思っていた」


「怖いなー女の子!」


「これに懲りたら女の子を不躾な目で見るのはほどほどにするように」


「そうですね……あ、でもちょっと待ってください。先輩が苦しゅうないとか思ってたなら僕は今回無罪なんじゃないですかね」


「なんだか私が何もかも容認したかのような言い方はやめて欲しいな」


「だいたい先輩が早めにたしなめてくれれば、僕も汚れた決断をせずに済んだんですよ」


「とりあえず意識の無い先輩の肢体を舐めるように眺めている時点ではまだ汚れていないと思っているのであればそれは甘えた幻想だと釘を刺しておく」


「そんな。こんな可愛い先輩が無防備に居眠りしていたら誰だって見ちゃいますよ」


「今あからさまに心にもないことを言っただろう」


「正直に言えば今日まで先輩のビジュアルに肯定的な感想を持ったことは一度もなかったです」


「今日まで」


「……」


「……」


 沈黙。ふたりとも虚無の顔でしばし見つめ合う。


「なんで黙るんですか先輩」


「それは私の台詞なのだが。まあいい。ともあれ、寝ている女の子のパンツを覗こうとするのはひととして蔑まれる所業だぞ」


「結局は覗くまでもなく足を振り上げたときに全開でしたけどね」


「全開」


「……」


「……」


 沈黙。ふたりとも虚無の顔でしばし見つめ合う。


「無地の白は予想通り過ぎてなんだか拍子抜けです。少し捻りが欲しかったですね」


 その言葉に新田が珍しくムッとした表情を浮かべた。不二のすねに、コツコツと上履きのつま先を当てて目を細める。


「鼻先を掠る程度に抑えたのは一応私なりの優しさだったのだけれど、これは鼻が凹むくらい蹴り込むべきだったかな。いや、新事実が発覚したからには改めてもう一回叩き込んでもこれはセーフなんじゃないかな」


「ちょっとやめてくださいよさっきのもまだ痛いんですから」


 新田の不穏な言葉に赤くなった鼻先を隠しながら逃げるように上半身を逸らす。


「それに先輩が自分で見せたようなもんですから、僕蹴られ損じゃないですか?」


「私をパンツ見せたい女子みたいに言うのはやめて貰いたいな」


「違うんですか」


「よしちょっと椅子から降りて頭を下げたまえ」


「あ、それは本当に蹴る流れですねやめてください傷害沙汰になったらいくら先輩でも勝ち目は無いですよ三年で事件を起こすのはヤバ過ぎるでしょ」


「くっ、小賢しい」


 新田が渋々諦めた様子を見せたのでなんとか危険を回避したと内心胸を撫でおろす。

 しかしほっとしたのも束の間。


「しかし私はキミの発言になんらかのペナルティを課さねば気が済まない」


「いつになく表現が直接的ですね」


「私の憤りを察したまえよ」


「あっはい」


 普段ならあまりしつこくない新田が珍しく食い下がるので、もしかして寝起きが悪いタイプなのかな、などと思いつつ不二は大人しくしていることにした。

 一方新田はあごに指を当てたポーズで目を閉じて眉間にしわを寄せて唸っている。


「先輩もうやめましょうよ。こんなことしたって誰も幸せになれませんよ」


「絶対やだ」


「あっはい」


 言い方は普段より可愛いのに声がドス重かった。まあこんな先輩も滅多に見られないし、と気を取り直して待つこと数分。


「よし、決めた。たまには文芸部員らしいことでもしようか」


「え、なんですか急に」


「春眠暁を覚えず、これに続きがあるのは知っているかな」


「えーと、聞いたことあるような、ないような」


「処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落つること知りぬ多少ぞ、と続く」


「詩だったんですね」


「古い中国の詩人が読んだ漢詩だね。さて、というわけで」


「というわけで」


「春眠暁を覚えず、の後ろを新たに作りたまえ。期間は今日と明日いっぱい」


「ええ、漢詩を書けってことです?それに期間もちょっと厳しくないですか?」


「四行になる詩であればあまり細かいことは言わない。ただし期間は厳守だ。まさかいやとは言うまいね?」


 朗らかな笑顔と楽しそうな声色のときは少なくとも黄信号。その矛先が自分に向いたことはほとんどなかったけれど、一年彼女を間近で見てきた彼はよく理解していた。


「図書室なら漢詩作法の入門講座みたいな本もあったはずだ。借りて来るなら早いほうがいいよ」


「ううん……まあたまにはいいか。わかりました。ちょっと行ってきます」


「荷物を置いていくなら適当に切り上げて帰って来るんだよ」


 新田は荷物を置いたままぱたぱたと出ていく不二を見送ると、スマホを取り出してぽちぽちと通販サイト巡りを始める。見ているものは女性物の下着。


「可愛いパンツ買おう。見せるわけではないけれど」


 ぽろりと口から零れた言葉を吟味して、仏頂面で大きなため息を吐く。


「べ、つ、に、見せるわけではないけれど」


 誰も聞くものの居ない文芸部室で、念を押すようにひとりごちた。



~つづく~

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