桜想えど筆は奔らず2
「ところでさっきの四季報なんですけど」
不二は校庭の桜並木をくぐりながらチラシの内容を思い出す。
「夏季報、ってことは春の分はもう終わってるんですか」
「そうだよ。三月の中頃に締め切られてたんだったかな。春季報はゴールデンウィークまでには届くと思うけれど、なんでだい?」
「ええと、この」
言いながら手のひらを差し出すと、その上に桜の花びらが舞い落ちた。
「桜を見ていたら、春のテーマには桜も含まれていたのかなと思いまして」
「なるほど」
校門で一度足を止めた先輩はきょろきょろと辺りを見回してひとり頷くと、普段とは違う道を指さした。
「少々遠回りになるけれど今日は向こうから行かないか」
「構いませんけど、なにかあるんですか?」
「途中の大通りに桜並木があるんだ。今が見頃なんじゃないかな」
「へぇ……」
「なんだい? なにか言いたそうだね」
意外そうな声をあげた不二の顔を並んで歩きながら横目に見ると、彼は屈託ない笑顔を浮かべた。
「先輩も桜の花に関心が向いたりするんですねと思って。ひとの心があったんだ!」
張り付いたような無言の笑顔でわき腹に加減のない肘鉄が刺さった。うめき声をあげて“く”の字に折れる不二を振り返りもしない。
「そういえば先ほどの質問の答えだけれど」
不二が半泣き半笑いといった風情で追いついてきたところに歩調を合わせ、先輩は桜の木を見上げながら舞い散る桜の花びらに手のひらをかざす。
「春季報のテーマに桜は入っていたよ。私も一本書いてみようかと思っていた」
「あ、やっぱり。でも思っていた、ってことは実際には書かなかったんですか?」
先輩は珍しくやや浮かない神妙な表情を見せた。
「私はなにか斬新なものが書きたかったのだけれど。なぁ不二くん、桜をテーマにして斬新な物語、キミならどんな話を書く?」
「斬新な、ですか。うーん」
考え込む彼に合わせてゆったりと歩き、やがては立ち止まり、桜を見上げて黙って静かに答えを待つ。
風が吹くたび薄桃色が舞い落ちて視界を染める。そんな景色に心を委ねてぼんやりと。
「難しいですね、ぱっと出てこないや」
さほどもしないうちに、煮詰まった彼からギブアップの宣言が出た。
「というか色々書きたいものが閃かないわけでもないんですけど、でも少し考えると結局どっかで見たような話になっちゃうんですよね」
その感想に先輩は意を得たりと頷く。
「そう、私もそうなった。考えてみれば桜を題材にした作品はとても多いんだよ。それだけこの花が古くから多くのひとに愛されてきたということでもあるのだけれど。まあだから書かなかったというか、書けなかった。ひとより斬新な作品を書きたい、そんな執着を捨てられなくてもたもたしている間に締切りだったよ」
「へぇ……」
「なんだい?なにか言いたそうだね」
意外そうな声をあげた不二の顔を横目に見ると、彼は屈託ない笑顔を浮かべた。
「先輩も悩んだりつまづいたりするんですねと思って。ひとの心があぐっ」
言い終わるより先に張り付いたような無言の笑顔でみぞおちに少しだけ加減されたげんこつが刺さった。うめき声と共にくの字に折れる不二を見下ろしてため息を吐く。
「私がキミの想うような完璧超人だったら良かったのだけれど。ともあれ」
「と、ともあ、れ……」
まだダメージの残る体を辛うじて起こした彼の頭に乗った花びらを払ってやりながら彼女は続ける。
「次からは変な見栄を張らずに自分が書きたくなったものを思うさま書こうと、一周どころか何周も回ってから当たり前のところに落ち着いた」
納得顔で頷いていた不二だが、ふと頭をよぎった言葉が口をついた。
「あのー。もしかしてこれって懺悔的なやつでした?」
先輩はしばしの間きょとんとしていたものの、不意にいつもの不敵で冷笑的な表情を浮かべる。
「いや、そんな高尚なものではないさ。私は単に、お気に入りの後輩と桜の木の下でお花見デェトがしたかっただけなのだよ」
「えっ」
彼女は不意を打たれて出遅れた彼を振り返りもせず歩き出す。
「ふふふ、置いていくぞ不二くん。フタバのランチタイムが終わってしまう」
「あ、ちょっと、もー。誤魔化さないでくださいよ」
その顔色は、舞い散る桜の花びらに紛れて見ることが出来なかった。
~つづく~
名 前 :不二 直
よみがな:ふじ すなお
白に近い灰色に染めたおかっぱ頭に垂れ目気味の柔和な表情。少し猫背気味の短身痩躯。
相手と状況で積極性と消極性を使い分ける振れ幅の広い中庸。あるいは単に聞き上手な陽キャ。友人は多いが付き合いは浅く内面を見せる相手は限られる。
わかる者にはわかる無表情な満面の笑みを浮かべるときは悪いことを考えていたり都合の悪いことを誤魔化していたり静かにキレていたりと様々だが、なんにせよそれがなにかを隠すためのポーカーフェイスなのは間違いない。