勝負にならない負け上手:先攻4
「それじゃありがたく、いただきます」
フタバのテーブル席で向かいに座っている新田が手を合わせる。
不二の前には通常サイズのアイスコーヒーが、彼女の前には大サイズのアイスコーヒーにライチ&マンゴームース、抹茶ケーキ、ピーチタルトその他とたっぷり並んでいる。
確かに彼女は「今日は奢り」としか言っていない。だからいくら注文しようと敗者の奢りだ。
と、言われてしまうと、さっきの今である。不二に異論は挟めなかった。
「もう……奢るのは構いませんけど、そんなに食べて大丈夫なんですか?夕飯入らなくなるんじゃ」
「家に連絡して夕飯は無しにして貰った。今日は誰かさんから酷いストレスを受けたからね。心を癒す必要があるんだ」
「それ僕の所為じゃないですからね」
「キミじゃなければ誰がこんな酷い仕打ちをするというんだ」
「主に自業を自得した感じだと思いますけど」
「ううんまあ全面的に否定するのは若干難しいような気もするかな」
下校時刻になってしまったので落ち着く暇もないまま兎にも角にも学校を出なくてはならず、行きつけのフタバに来るまでは如何にも腫れ物というヒリついた空気を醸していた新田だったが、ムースやケーキを選んでいるうちに段々気を取り直し、今やすっかりご機嫌だった。
不二の心の中は「スイーツ凄いなあ! ありがとう!」という気持ちでいっぱいだ。
「いやしかし焦ったよ。まさか正解を当てに来るんじゃなくて私の心を折りに来るとはね。しかもあんなに周到に」
感心したように語る新田に、きょとんとする不二。
「えっ」
「えっ」
気不味い間があった。
「僕は単に『あーもうこれ勝てそうにないから腹いせに時間いっぱいエッチな質問とかしてやろっと♪』くらいの気持ちだったんですけど」
全然悪気のない顔で酷く軽い気持ちを告げられて新田の顔がちょっぴり険しくなった。
「ええ……」
「そもそも周到もなにも全部先輩が付けた条件ですよね。僕が言ったのって回数の確認と、牛歩戦術は無しでお願いしますって念押ししただけじゃないですか」
「う、うん……あー、言われてみるとそんな気もするかな」
「そんな気しかしないですよ」
事実を知って少し落胆して見せる新田。
「そっか……なんか、買い被って損したな」
「もしかして僕、今自分で評価下げちゃいました?」
「公正な評価に修正したんだよ」
「あっはい。まあいいですけど。それで、そういえば結局答えのほうはなんだったんです?」
「ふむ」
新田は片手でケーキを口に運びながら空いた手でかばんを開くと、濃い目のえんじ色の表紙の本を一冊取り出してテーブルに置いた。
「答えはこれ、栗本飛助の白百合姉妹だよ」
「え、かばんの中に隠してたんですか?それはちょっとズルくないです?」
眉根を寄せて不服を訴える不二に、新田はいつもの笑みを向ける。
それはいつものように不敵で、冷笑的な。
「この本は、あの時間ずっと君の目の届くところにあったよ。よく思い出してみたまえ」
「目の届くって……あ」
確かにアイスコーヒーの話を始めるまで、彼女は本を読んでいた。言われてみればえんじ色の表紙だった。どうして気付かなかった?
「もしかして手帳を目線の高さでひらひらさせてたのは」
「机の上に置いてある本から注意を逸らして欲しかったからね」
「時間をこまめに告げて来たのは」
「焦らせるためさ。目論見通り君は慌てて書棚に向かってくれたよ。表紙の色を聞く前に」
確かに、先に聞いていれば気付いたかも知れない。
けれども書棚の前で大量の本を目に、しかも言われた色の表紙が五十も六十も並んでいるのを即座に見つけてしまったあの状況では記憶の端にも浮かんでこなかった。
「読んだのは新学期以降って……」
「今日だって新学期以降だろう?私は事実しか言ってない。あのとき日付を細かく掘り下げられてたら一発アウトだったかもね。ここだけは綱渡りだったよ」
「ああああああああああもう、最初から仕組んでましたね⁉ 汚いっ!汚いですね先輩っ!」
頭を抱えて足をバタバタさせる後輩に得意げな笑みを向ける。
「ふふ、知的と言いたまえよ不二くん」
「ったくもー。はいはい知的知的」
ひとしきり不満をアピールし終えるとぞんざいな返事をしてアイスコーヒーを啜る。
「勝負とはね、始めたときには既に勝敗が決しているものなんだよ」
「どこの軍師ですか。そこまでして後輩に賭けを持ちかけるんだから酷い集りもあったもんですよ……ま、いいですけどね」
なおも上機嫌に語る新田の言葉に、にこーっと無表情な満面の笑みを作る。
「今日は色々聞けましたし、珍しいものも見れましたからね」
ぴくりと新田の眉が痙攣するように動いた。
「ちなみに最後の二分も机の上に意識を向かせないために小芝居を頑張った。なかなかの演技だったろう」
「え、あれはガチだったでしょ」
「演技だったよ」
「嘘だあ」
「嘘じゃない」
「……本当ですか?」
唐突に真面目な表情で念を押してくる不二と一秒目を合わせ、気まずそうな表情でふいっと視線を逸らす。
「嘘じゃないから」
耳が少し赤い。
「じゃあ、そういうことにしておきましょうか」
その様子に、不二は薄笑いで肩を竦めた。
「あーあ、また勝てなかった」
~つづく~