勝負にならない負け上手:先攻1
梅雨が明けると文芸部室では部長の定位置が変わる。
校舎外側の窓際を定位置と決めている彼女だが、強い日差しに耐えかねて夏の間だけは日の当たらない廊下側の窓際に席を移していた。
室内にはエアコンがあって一応自由に使えるのだが、強い日差しは空調などものともせず肌を直接焼く。
何事にも限度というものがあった。
「梅雨よりはずっとマシだけれど」
隣に座る彼女は、手にしていた本を閉じて机に置くとうんざりした表情で強い日差しを取り込む窓に目を向けた。
「こう暑いのも勘弁して欲しいものだ」
制服を校則通りに着こなして、ひとつ結びの三つ編みに紺色でフルリムのセルフレーム眼鏡という組み合わせは絵に描いたような文学少女。
夏服で上着が紺から白に変わったことで少しばかり爽やかな雰囲気ではあるものの、ありていに言ってただひたすらに大人しく地味なのだけれど、そこに浮かぶ表情はどうにも不遜でふてぶてしい。
「まあまあ、もうすぐ日暮れですし、そしたらちょっとは涼しくなりますよ」
後輩の不二が宥めるもあまり芳しい効果はなく、部長の新田は大きなため息を吐いた。
「そうは言っても、日も長くなったからね」
「夏ですからねえ」
冬にもなれば早々に切り上げてフタバでゆっくり時間を潰すことも少なくないふたりだったが、この時期は少しでも日が落ちる下校時刻ぎりぎりまで部室で過ごすのが常だった。
もっとも、焼け付いたアスファルトと熱された空気がそう簡単に冷めるはずもなく、気分的な慰めでしかないのだが。
「あーフタバでアイスコーヒーが飲みたい」
うっかり外の気温に思いを馳せてしまい気分的に暑くなった不二がボヤくように呟く。
「私も……こう暑いとたまには、アイスを頼んでもいいかな……」
予期せぬ新田の同意に目を丸くする。
「珍しいですね。去年はずっとホット頼んでた気がしますけど」
「うんまあ、アイスコーヒーはねえ……」
「なんですか」
「氷が溶けると薄まるのがなんか好きじゃない」
「前に味はそんなに拘ってないって言ってませんでしたっけ」
「味に対する拘りはそんなにないよ。豆の名前も積極的には覚えてないし。でもそれはそれ、これはこれ」
「そういうもんですか」
「言ってる私も『なんか好きじゃない』ってだけで明確に嫌いなわけじゃないんだけど。ただ、いざ選ぶとなるとそれがふっと頭をよぎって選択肢から外してしまうんだな」
「アイスコーヒーを選べない呪いでもかけられてるのでは……」
「いやいや実際注文したこともあるよ。今日だってアイスにしようと……まあ、自分で払うのは癪だなという気持ちは……」
「あるんですね」
「ううん……」
決意の揺らいだ新田が腕を組んで眉根を寄せた顔で俯く。
これは今日もホットコーヒーを飲みそうだな、と思いながらその様子を眺めていると、彼女は何を思い付いたのか、ぽんと手を打って顔を上げた。
「不二くん、帰りのフタバを賭けてひとつゲームをしないか」
「あ、もう行くのは確定なんですね」
「行かないのかい?」
「行きますけど。そんなに払いたくないんですか」
「うん」
間髪入れない即答にぼそりと小さく呟く。
「素直にホットコーヒー飲めばいいのに……」
「なにか言ったかい?」
「いいえなんにも。で、勝負の方法は?」
新田はかばんから手帳を取り出し、何かさらさらと書きつけて閉じるとふたりの目線の高さにかざした。
「今この部屋の中にある本から一冊選んでタイトルをここに書いた。それを当てたらキミの勝ち、今日は私のおごりだ」
「で、当てられなかったら僕の負け、先輩に奢ると。これあまりにも僕に不利過ぎません?」
「もちろんノーヒント一発勝負とまでは言わないよ。そうだな……」
ちらりと時計に視線を向ける。もうすぐ下校時刻だ。
「ヒントとして質問を受け付けよう。制限時間内ならどんな質問にも答えるよ。ただしわかってると思うけど作品のタイトル、作者の名前、置いてある場所については無しだ。なお制限時間は五分。これ以上は下校時刻に引っかかるからね」
「なるほど。時間内なら何回答えてもいいんですか?」
「さすがにそれはちょっと。うーん、二回、だと少ないかな?でも三回だとなあ」
「ですよね。じゃあ二回までは僕の勝ち、三回目は引き分けでどうでしょう」
「引き分けか、その発想は無かったな。いいよ、それでいこう」
「あ、質問をはぐらかしたりわざと返事に時間をかけたりしないでくださいよ」
「わかってるよ。時間制限を設けたのはこっちだからね、牛歩戦術なんてしないさ。それじゃあ秒針がゼロから。三、二、一……スタートだ」
手帳を指先に摘まんで弄びながら彼女は笑った。不敵に、冷笑的に。