未知との遭遇:性癖編1
「そういえば先日二年生の男子に校舎裏に呼ばれてね」
カフェチェーン店フタバのカウンター席でそう切り出した先輩の新田に対して、後輩の不二は露骨に訝しげな視線を向ける。
「今度は何をやらかしたんですか」
制服を校則通りに着こなして、ひとつ結びの三つ編みに紺色でフルリムのセルフレーム眼鏡という組み合わせの絵に描いたような文学少女。
という地味な見た目とは裏腹に問題行動は枚挙に暇がない。
クラブ紹介でガラの悪い新入生にわざと恥をかかせて部室に乗り込まれたこともある曰くつきの先輩だ。当時現場に立ち会っていた不二にしてみれば当然の反応と言えた。
「失敬だなキミは。好意的な呼び出しだよ、人前では話せない類のね」
ふふん、と得意げに胸を反らす彼女とは対照的に顔色を失う不二。
「ま、まさか告は……」
「踏んで欲しいって頼まれた。土下座で」
うへぇ、と半眼で引きつり気味の笑みを浮かべた彼女の隣でコーヒーが変なところに入ってむせる不二。
「そ、それは……けふっけはっ……なかなか、ええと、ひとを見る目がありますね」
新田は組んでいた足を下ろすとローファーを脱いで笑顔で不二の足を踏んだ。
「ちょっと周りの喧騒でよく聞こえなかったな。もう一回言ってくれるかい」
笑顔のまま足の甲をぐりぐりと丁寧に踏みにじる。
「ちょ、ま、なんでもないですっ。それはそのなんと言えばいいのか……痛い、痛いです先輩」
後輩の態度に満足して足を上げるとそのまま組み直してホットコーヒーをすする。
「まあ、ええ、確かに人前では話せない類の好意的な話でしたね。嬉しいかどうかはさておき」
「幸か不幸かあんまり嬉しい気持ちにはならなかったかな」
「そうですかー」
「なんだね」
「なんでもないです。で、踏んだんですか?」
向けられたジト目に、にこーっと笑顔を返して話を戻す。
「結論だけ先に言うと踏まなかったよ」
「その手のひとって断っても結構食い下がるイメージありますけど」
「うん、結構食い下がられた」
「やっぱり……」
「正直気持ち悪いと思いつつ妥協して踏もうかとも一瞬考えたんだけど」
「頑なに拒否したんですね」
ですよね。先輩も一応普通の女の子だったんですね。などと思っている不二の心中に反して新田は言葉を続けた。
「いや、そこはそうでもない」
「ええ……どういうことです?」
「確かにほぼ見ず知らずの後輩ひとり、よくわからないが踏んで満足するのであれば踏んであげても気持ち悪いとはいえそれだけの話だし、とは思ったよ。野良犬に噛まれたどころかちょっと追っかけられた程度の出来事さ」
「それはそれで怖いですね」
「まあ校舎裏で人目もなかったし思い返してみると結構怖かったと言えなくもない。ともあれ」
「ともあれ」
「わかってないことすらわかっていないなら仕方がないけれど、わかっていないとわかっているのにわからないまま相手の要求を飲むのが癪だった」
「理屈っぽいひと特有の持って回り過ぎて他人には意味がわからないやつですそれ。もう少し簡潔にお願いします」
「すまない。自分だけその行為の意味を理解しないまま相手の要求を飲むのが癪だった」
「あっはい」
また踏まれそうなので、そういうとこ偏屈ですよね!とは口にしなかった。
「なので私は答えを出す前にいくつか彼に質問して意見を交わしてみた。彼の求める【踏む】という行為は突き詰めればただのコミュニケーション形式のひとつに過ぎない。ならば当人の見解やそこに内在する感情をヒアリングして解析出来れば自分の感覚に落とし込めるんじゃないかと思ってね」
「ぶっちゃけ言いますけど変態相手にそこまでする必要あります?」
「全ての根源は理解と再構築だよ。訳のわからないモノでも理を識り分けて見極め己なりに組み直せれば賛否はさておき血肉にはなる。不愉快なものを盲目的に拒否するのは確かに楽だが私の趣味ではないかな」
理解した結果新田がうっかり新しい趣味に目覚めるのではないかと、そちらのほうがよほど心配な不二である。