桜想えど筆は奔らず1
実習棟の三階の一番端の教室、文芸部室は静かな場所をという設立者の希望で文系部のなかでもまさに校舎の僻地、端の端といった立地にある。
ともすれば悪い生徒たちの溜まり場にもなりかねないそこは、しかしいつ訪れてもせいぜいひとりふたりの大人しい生徒が本を読んでいるだけの空間だった。
今日は始業式だけで下校となる。にもかかわらず職員室に鍵は無かった。それはつまり今日も彼女が部室にいるということだ。
「こんにちわー」
文芸部室の広さは教室ひとつ分。教壇の黒板から部屋のなかほどまでは通常の教室と同じように机が並び、後ろ半分は図書室のように書棚が並んでいる。
その一番窓際の一番うしろ、書棚に手が届く席で彼女は本を開いていた。
制服を校則通りに着こなして、ひとつ結びの三つ編みに紺色でフルリムのセルフレーム眼鏡という組み合わせは絵に描いたような文学少女、ありていに言えばただひたすらに大人しく地味なのだけれど、だからこそ彼女の浮かべる不敵で冷笑的な表情がアンバランスに際立つ。
「やあ不二くん、こんにちわ。新年度早々部室に顔を出すとはキミも物好きだね」
不二と呼ばれた少年は苦笑いを浮かべて部室に入り、後ろ手に扉を閉めて彼女の前の席にカバンを置いて腰を下ろす。男性としては小柄で華奢な部類に入る不二の目線は、同じ高さに腰を下ろしてしまうと先客の少女とほぼ変わりない。
「新年度早々僕より先に部室で本を読んでいる先輩がそれを言いますか」
「私の事は司書さん、と呼びたまえ。敬愛を込めて」
本を閉じて机の右に寄せると「我を称えよ」と言わんばかりの大仰な仕草と表情で言い放つ。
「なに言ってるんです、司書さんなら図書室にいるし先輩図書委員ですらないじゃないですか」
「私は本を読んだり綺麗に並べて悦に入ったりしたいのであって本の貸し出し係になりたいわけではないんだ。そうだな……よろしいならば神だ。私を神と崇めよ」
「いや部長でしょ。なんで部長って名乗らないんです?」
「キミと私くらいしか活動してないのに部長もないだろう」
「なぜ部長は無いのに神は有ると思ったのかとても興味があります」
興味がありますと言いながら不二はその実あまり関心なさそうに部室を見まわす。目にとまったのは黒板に貼られた一枚のチラシだ。
「よっと……なんですこれ。夏季報掲載作品募集要項……?」
テーマ、ジャンル、文字数、締め切り…などなど。
「文高連の四季報に載せる作品を募集してるんだそうだよ。昨年もあっただろう?」
やれやれ忘れたのかい? と口には出さずとも溢れかえるほどニュアンスを含ませて答えた先輩に対して不二はきょとんと首を傾げる。
「初めて聞いたんですけど。そもそも文高連ってなんですか」
「えっ」
「えっ」
そうでなくとも静かな部室が水を打ったように静まり返った。
「静かな部室に運動部員の走り込みの掛け声だけが遠くに聞こえる。校門付近に植えられた桜は今が満開、ふたりの間にある空気は、まさに春の学校といった風情だった」
「そういうのいいんで文高連の話を」
「つれないなぁ。文高連っていうのはこの辺にある高校の文芸部がやってる連絡会みたいなものだよ」
「高野連みたいなもんなんですね」
「あんなご大層なものではないけどね。文芸部なんてウチに限らずどこも幽霊部員だらけであるんだかないんだかわからないような有様だから、他校と連帯してでもなんとか盛り上げようってことらしい」
先輩は文高連について説明しながら立ち上がると書棚に目を走らせる。
「作品募集も毎季やっているよ。去年も…貼ってなかったかな。貼ってなかったかも。でも四季報は、と、あったあった。ここに何年分か入っているよ。キミだって見たことあるだろう」
先輩の手招きにチラシを置いた不二が横から書棚を覗き込むと、確かに年度ごと季節ごとにA3サイズで厚み三センチかもう少しはあろうそれらがずらりと並んでいた。
「見たことあるだろう?」
「あー僕これ図鑑かなにかだと思ってました」
「なんてことだ。背表紙のタイトルにも目を通さないなんて文芸部員にあるまじき怠慢だぞ。改めたまえ」
「す、すみません……」
自分の腰に両手を当ててふくれっ面を作って見せる先輩になにも言い返せず、不二は背を丸めて申し訳なさそうに頭を下げるしかない。
彼女はその従順な態度に満足したのか構えを解くとその丸まった肩をぽんぽんと叩いて自席へ戻って足を組む。
「さて、冗談はさておき」
「冗談なんですか、僕それなりに落ち込んだんですけど」
「もちろん部室にある本の背表紙くらい目を通してくれたほうが良い」
「あっはい」
「ぜんぶ私のオススメだヨ☆」
少し空気を重くしてしまったことを憂慮した先輩はめいいっぱい茶目っ気を盛り込んで横ピースしながら言ってみたけれど、ふたりの間を悪魔が通り過ぎただけだった。
「あー、こほん。なにか言いたまえよ」
「えっと、すみません」
「そこで謝られるの逆にキツいのだけれども」
ほほを赤らめた仏頂面で静寂に飲まれかけた先輩だったが、その空気を振り払うように目の前で両手をぱんっと合わせる。
「よし、この話はやめだ。今からフタバ行こう。今日は私が奢るよ」
「ええ…また急ですね」
「始業式の日から部室にこもっていることもあるまい。それに今思い出したが昼食を用意していない」
「あ、実は僕もです」
「よし、今日は好きなだけ食え、おかわりもいいぞ。とまでは言えないが、好きなコーヒーとサンドイッチくらいは私持ちだ。存分に崇めたまえ」
「ははーお供しますお大尽さま」
一連のやりとりにくすくすと笑いあって荷物を手に早々に部室を出ていく。先輩も本気で叱っているわけではないし不二も本気で落ち込んでいるわけではない。それがわかる程度の信頼関係はあった。
名 前 :新田 立香
よみがな:にった りつか
制服を校則通りに着こなして、ひとつ結びの三つ編みに紺色でフルリムのセルフレーム眼鏡。絵に描いたような文学少女。
不敵にして冷笑的。敵対者への攻撃や悪意への反撃を躊躇わない気性の激しさを持つ反面、好意的な者に対しては性格のわりに対応が甘く、また未知への好奇心を抑えきれないタイプ。
その自由なメンタリティによって時折奇行に出る。
友達が少なく、そのことを自認してもいるが苦痛は感じていないし恥じてもいない生粋のボッチ。
後輩の不二を可愛がっているものの恋愛偏差値はゼロである。