「お前とは、こんやく……はっきだ!!」とか言ってましたよね、昔。
「お前とは、こんやく……はっきだ!!」
目の前にいるダリルが空を指さして厳しいまなざしでそう口にした。向かいに座っていたシンディーは何事かと彼を眺めてから少し間をおいて問いかける。
「何ですか、それ」
「王太子でんかの決めセリフだ!」
「決め台詞?」
「そう。この間、大教会で王太子でんかのけっこん式があっただろ? その時の皆を驚かせた王子でんかのひっさつワードだ!」
何故だかダリルは楽しそうにもう一度、同じ言葉を繰り返す。それにシンディーは、苦笑しつつなるほどと思う。
この間の王太子殿下と公爵令嬢の結婚式、たしかにそんな一場面があった。
女神によって召喚された聖女に心を奪われた王太子殿下は、彼女と結婚するためにあんな公の場で公爵令嬢を貶めて罵り、最後には登場した聖女に花嫁を変えて結婚式を挙げていた。
そんな横暴を貴族たちはただ茫然として眺めていたし、公爵令嬢にはたくさんの味方がついた。
あんなまずい事をやってしまう王子が、次期国王でいいのかという懸念まで生まれている。彼が王太子でいられるのも今のうちだけだろう。
しかし、ダリルはそんなことは理解できていない様子でシンディーに楽しそうに話しかける。
仕方ない。彼はまだ、十歳にも満たない子供だ。皆を静まり返らせたあのセリフがかっこいいと思っても不思議ではない。
しかし、ふと気になった。
「かっこいいと思いますけど、なんだかイントネーションがおかしくありません?」
「そうか?」
「婚約はっき、ではなく婚約破棄と言ったのですよ」
金髪の髪を揺らして可愛く首をかしげる彼に、シンディーはそう教えてあげた。
次男とはいえ、彼は公爵家の生まれなのだから、変な話し方は直してあげた方がいい。
割とほっとかれ気味で、よく公爵家邸にやってくるシンディーとしょっちゅう庭のガセボでおしゃべりしている。
いくら第一子ではなく、大人の邪魔さえしなければいいと思われていようとも、将来困ったら可哀想だ。
ちなみにシンディーがよく公爵家邸を訪れているのは、ぜひダリルの嫁にと両親がシンディーの婚約を打診しているからだ。
そんな事情も露知らず、彼は「合ってるぞ!」とテーブルに乗り上げて口元に手を添えてナイショ話をするときの格好をした。
それにシンディーも、テーブルに身を乗り出して耳を貸す。
すると小さな声で、ダリルは言った。
「こんやくをはっき、されたから、王太子妃はわんわん泣いてたんだ」
「はっき……発揮?」
「うん。だって王太子でんか、クソやろうだって皆、言ってる。だから”こんやくはっき”されて嫌だったんだ!」
言い終えるとダリルは椅子に座り直して、サクサクとクッキーを食べた。その発言にキョトンとしてしまったシンディーはしばらく考えてからくすっと笑みをこぼす。
……婚約発揮って、どういう事?
「ふふっ、うふふっ」
明らかに間違っていて、その後の展開とも、まったく合っていなかっただろうその解釈だが、たしかに一理ある。
王太子殿下はお世辞にも性格がいいとは言えないし、貴族たちから好かれてもない、女性に対しても酷い言葉を投げかけるような人だ。
そんな人と婚約を破棄できて普通なら喜ぶはず。
それなのに、あんなに公爵令嬢が泣いていたのを見て、婚約の効果を発揮されたから辛くて泣いてしまったと思うのも少しだけ納得できる。
本来なら訂正して、王族の事をそんな風に言ってはいけないときちんと言わなければならないが、柔軟で子供らしい発想を叱る必要もないかと思い「そうね」と返す。
「うん! だから、俺は、”こんやくはっき”しても泣かれないような、りっぱな男になる」
「……ええ、そうしてください」
気合いを入れるようにぐっと拳をにぎるダリルに、シンディーは落ち着いて答えた。
本当は少しだけ、ごめんねと謝りたかった。
だってこんな風に言うということは誰か好きな子がいるのだろう。それなのに、きっと今年中か、来年にでもダリルとシンディーの婚約は成立してしまう。
子供の幼い恋愛感情のことなんか大人は考えてくれない。だから、シンディーがやめてあげてほしいとお願いしても意味はないのだ。
……これでは、私が婚約発揮して彼に泣かれる女になってしまいますね。
彼の言葉を使ってそんな風に思う。
シンディー自身はもうずっと前から彼が婚約者になるのだと言われ続けて、初めて言葉を発するぐらい幼い頃から彼を見ているので気持ちは固まっている。
……大人になって真に愛する人を見つけて、婚約破棄を言い渡されたりするかもしれないですね。
「でも”こんやくはっき”ってどうやるんだ? 魔法みたいに使えるのか?」
「……どうやるんでしょうね」
真剣に婚約発揮について考えだしたダリルは、椅子からぴょんと飛び降りて彼の持っている魔術である水の魔法を使って、シンディーの周りに小さな水滴をいくつもつくる。
「シンディーもやり方を知らないなんて、きっとむずかしいことなんだな!」
「きっとそうですね」
昼過ぎの柔らかな日差しが水滴にいくつも反射して美しい水の影を落とす。キラキラと輝く水滴はなんだか幻想的でダリルは、子供らしく心底嬉しそうな顔で、シンディーの手を取ってチュッと軽くキスをした。
「いつかぜったい、シンディーをよろこばせてやる!」
男らしくそう言い切って、しかし、シンディーの手を見るとどうしても撫でてもらいたくなるらしく、ダリルはその手をそのまま自分の頭の上に乗せた。
「でもきょうは、なでていいぞ! シンディー!」
「……知ってたんですか」
可愛いダリルの柔らかな金髪を撫でつける、そうすると嬉しそうに微笑みつつ「なにが?」と聞いてくる。
「私がダリルの婚約者だという事」
「この間のけっこん式のあとに、教えてもらったぞ!」
「……嫌では、ありませんか」
犬のように頭を手に押し付けて撫でられてる彼を抱き寄せて、幼くまろやかな頬に触れてよしよしと撫でる。ダリルは耳の裏に指先が触れて少しくすぐったそうに肩をすくめた。
「よく遊んでくれるから、シンディーは姉さまだと思ってたけど、こんやく者ならずっと一緒だって言ってたからうれしいぞ!」
「……」
「しあわせにするからな!」
拙い舌足らずな声で、そういわれてシンディーはなんだか可笑しくてまたくすくすと笑った。
姉だと思われていたことは知っていたし、きっと彼は婚約者と姉の明確な愛情の違いに気がついていない。彼の今の気持ちは姉に対するものと変わらないだろう。
でも今はそれでいい、シンディーだって、彼が大人になってシンディーを愛してくれるような男の人になる想像など出来ないのだから、嫌い合っていない今はそれで十分だ。
「ええ、もう少し大人になってもそういってくれたらうれしいわ」
「うん! 約束だ!」
そんな約束をした昼下がり、子供らしく二人はじゃれ合って過ごすのだった。
━━━━ってこともありましたわよね」
「?……なんて言ったんだシンディー!」
少し離れた位置で金髪の髪が靡く、彼は振り返りつつシンディーに呼びかけた。
その反応にもう少しそばに寄りつつも、シンディーは傘を少し傾けてダリルを見上げる。
「婚約発揮しようとしてたダリルのお話です。あの頃はダリルを見上げるだなんて想像もしていなかったけれど……」
そこまで言ってから言葉を切る。
あんなに小さく可愛く幼かったはずのダリルは、ここ数年でめきめきと身長を伸ばし、あっという間にシンディーを追い越して見下ろされるようになった。
「っ、親目線でそういう事言うな」
「仕方ないではないですか、初めて言葉を発した時から知っているんですよ」
「それも言うな! 今は子供っぽくなんかないだろ!」
「……ええ、そうね」
むきになって否定してくる彼に対して、シンディーはまだまだそういう所が子供っぽいなんて思いながら、彼の降らせる雨を見ていた。
気を散らしたからか、ところどころ水滴が大きくなって庭園に咲きほこっている花を散らした。
「あっ、ちょっと待っててくれ、シンディー」
言いながら、公爵家邸の大きな庭園のすべてに彼の魔術で均等に雨を降らせて、サァァと心地よい音が響く。
あの幼い日と同じ庭園、同じ場所、ふと思い出したので口にしたが、今日が何か特別な日というわけではなかった。
婚約どころか結婚して、公爵家邸で静かに過ごすなんの変哲もない休日だ。
水やりはダリルの日課で、魔術を自在に操れるようになってからこうしてずっと続けている。水の魔術で生み出す水は特別で癒しの効果も持っている。
庭木にやれば活力にあふれ花は美しく瑞々しく育つ。公爵家邸の庭園はどこの貴族の屋敷の庭よりも美しかった。
雨粒が日の光に照らされて、空に小さな虹をかける。見ると幸運を呼ぶという虹も彼がいれば毎日見る光景だった。
「……それで、なんの話だっけ?」
水やりが終わるとダリルはわざと覚えてないような顔をしてシンディーにそう聞いてきた。
それに、シンディーは傘をたたみながら笑みを浮かべて答えた。
「婚約発揮の話です。覚えていますか?」
「……」
「ダリル?」
シンディーの問いかけにダリルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せて黙り込む。
それもこれもあのころとは違う所だとシンディーは思った。昔はにこにこ笑ってばかりいたけれど今は難しい顔をすることが多い。
静かに待っていればダリルは絞り出すような声で言った。
「……流石に、その話は恥ずかしいんだが」
「恥ずかしがる事なんてありません。ただの子供らしい勘違いじゃないですか」
「……」
「私は、可愛いと思ってましたよ」
言いながら、シンディーは静かになってしまったダリルの頭を撫でようと手を伸ばした。しかし頭の上を撫でるのは手を伸ばさなければならなくて面倒なので頬に手を添えて、すりっと撫でた。
あの頃と同じように頬はなめらかで、綺麗な金色の髪も変わっていない。
大きく成長してもやっぱりダリルはダリルだと思っていると、視線を逸らしながら彼は言う。
「シンディーにそんなこと言ってたなんて、俺は昔の俺を殴り飛ばしてやりたいんだぞ」
「そうなの? 可愛い勘違いではないですか」
「婚約破棄と発揮を間違えて、発揮しても喜ばれるようになりたいなんて言って、周りの人間が聞いてもぎょっとするだろうし、シンディーに変な勘違いをされてたらと思うとぞっとするし」
「……」
「何よりシンディーに子供らしいと思われていたことが一番、嫌だ」
頬を撫でていた手を制止してダリルはシンディーの事を見つめた。
ダリルは少し怖い顔をしているけれど、シンディーはまったく怖くはなかった。こうして大人の男の人になるまでの成長を全部見ているので、恐れるという感情はない。
「俺はあのころからずっと、シンディーが大切で、子供だから構ってくれる人が好きだとかそういう話ではなく、シンディーだけが俺の一番だった」
「……」
「幸せにするといった言葉も嘘は一つもないぞ。今でもその途中だ」
珍しく自分の心を吐露する彼を意外に思ったが、シンディーは最後の言葉を聞いて納得する。
「シンディーと結婚できて嬉しい、今でもそう思ってる」
きちんと言い切ってダリルはシンディーを真剣に見ていた、しかし彼はしばらくして耐えられなくなったとばかりに顔を赤くしてふっと目を逸らす。
それをやっぱりシンディーはくすくす笑って言った。
「ありがとう。約束を果たしてくれて」
「な、なんのことだかわからない!」
「私を一人の女性として好きになるなんてできないと思ってたけど、月日の流れというのは不思議なものね」
強がる彼にシンディーがそう感想を述べる。すると彼はまた険しい顔をして、少し乱暴にダリルはシンディーの事を抱き寄せた。
ぎゅうときつく抱かれて胸が苦しい。
「シンディーの方こそ、そろそろ俺を男として見てくれ! もう君に撫でられて喜んでるだけの子供じゃない」
身長差のせいで、彼の胸元に顔がうずまってドキドキと大きく鳴り響く心臓の音が聞こえた。
「……好きなんだ、シンディー」
「……」
囁くみたいな声にシンディーは少しだけ黙って、それから「うふふっ」と笑った。
「苦しいわ、ダリル。ハグがしたいなら私からいくらでもしてあげるから、少し離れてください」
「っ、……わ、分かった」
シンディーの言葉にダリルは落胆して離れていく、身を翻して数歩進んでシンディーの提案を拒否する意志を示した。その背中を見てシンディーははぁっと震える吐息を吐く。
……もう少しで、女の子みたいに彼にしなだれかかるところだった。
ドキドキとうるさくときめく胸の鼓動。それは明らかにダリルに向けられていて、シンディーだって彼の事をきちんと意識しているのだと伝えてくる。
しかし、うまく処理できていないというのが本音であった。
「……シンディー、屋敷に戻ろう。今日という今日は、シンディーを甘やかして絶対に頭を撫でて、弟みたいな俺を脱却するぞ!」
まったく余裕などないのにそういわれて、もう折れてしまうのも時間の問題だと思うが、それまではシンディーは姉らしく気丈に振る舞うのだった。
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