写生と創出
文章を書く時、被写体を文章で表す場合と、被写体なんかないのに文章で勝手に『あるんだ!』『存在するんだ!』と被写体をでっちあげる場合と、ありますよね?
小説を書く場合、ふつうはこの両者を織り交ぜての描写がされるように思います。
りんごを文章で表す練習をしたことがあります。
具体的な文章は忘れましたが、りんごの色、形、ざらざらしてるようでツルツルしてる触り心地、回して見たり、上や下から見たり、光を当ててみたり暗くしてみたり、中の白さやタネや味を想像したりしたものを、まるでピカソのキュビズムみたいに一緒くたにして描きました。
他人に読んでもらいました。
「わけわからん」と言われました。
実際、自分でも『ゴテゴテしてて下手くそな文章だなぁ』と思いました。
それとは真逆に、私はよく自分でもどんなものだかわからない、架空の物を文章中に登場させます。
描いてみろと言われても描けません。どんなものだか私にも見えてないからです。
架空の乗り物だったり、動物だったり、食べ物だったり──
そんなわけのわからないものをシンプルに一文で、『カエルに羽根がついたような乗り物だった』『ガチムチのハムスターみたいな何か』『脳みそがとろけそうなジュワトロの野菜』とか描きます。
他人に読ませると……
「ありありとイメージできました」
好評だったりします。
昔、詩を書いていた時、言われたことがあります。
「しいなさんは描写がうまいね」
「描かれたものが目の前に浮かび上がってくる」
ごめんなさい……。私、描写してるつもり、なかったんです。
言葉を並べてるうちに、なんかそれっぽいものが出来上がって行くんです。
しかも他人に言われて初めて「あっ! 私、りんごを描いたのか!」とか気づきます。
私は言葉で物をでっちあげたほうが上手に描写が出来るのだろうか……。
目の前の物を言葉にすることと、言葉で『ないもの』を創り出すことと──
小説ではふつう、両者を織り交ぜて使うものだと思いますが……
私は後者しか出来ないなと思っています。
両方出来るようになったほうがいいんだろうなm(_ _;)m