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作者: ANZIN

 ええ、誰もが驚かれます。

 わたしのような細い腕っぷしを、ここらではまず目にしないですからね。つけ加えると肝っ玉だって、ほんの小さな虫のほうがあるかもしれません。

 先日の公判でもあらためて説明をしたのですが……何しろ裁判官が罪状を決めかねるばかり。一向に審議が進まないありさまゆえ、もうしばらくお邪魔することになりそうです。

 いずれにせよ、甘んじて刑に身を委ねる覚悟に変わりありません。


 物心のつく前から医学の道が敷かれてありました。しかしいかんせん、血を見るのが人一倍苦手でして。

 知識は十分、実践となると及び腰。結果、入用な資格をもらえない。後継ぎを待ちわびていた父からは心底失望され、歳が離れた弟からは父以上に疎んじられる始末。

 陰ながらの母の支えで、形ばかりの紙一枚が送られてきたころには青年から壮年。勇退した父にかわって弟が、大病院の長たる地位を揺るぎないものとしていました。

 もはやわたしは周りに波風を立てるだけでしかない存在……どうするのが一番よいか、考える時間だけはいくらでもありましたからね。

 弟夫婦に待望の長男が産まれたと知らせが届いた夜。寝静まった母の枕元に手紙を置きました。覚悟を決めたつもりでしたが、あまりのふがいなさに涙が溢れてしかたありませんでした。

 庭では満開の桜。

 ハラハラと花びらが散るのを眺めていると、漆黒だった空がいつのまにか遠くで薄くなりはじめていました。

 持てるだけの薬を鞄に詰め、聴診器を首にかけただけの勢いで、ほの暗い道を飛び出ました。あのときの夜桜は今でも度々思い出します。

 

 あてもなく歩き続けること数年。

 長く伸びる道にしがらみなく足を委ねるのは何よりよかったのですが、思った以上に気遣いは絶えませんでした。栄えた町には長居せず、かといって人気のない場所でも決して安心ばかりではなかったものですから。

 空が明るくなっては暗くなりのくり返し。

 目が覚めて、まずやるべきことは森や川へ向かい食料の調達。その後付近の家々を訪ね、病人や怪我人を治療。通りすがりで具合が悪そうな人を見かければ薬の処方。貯まった日銭で新たな薬や器具にあて、日が落ちる前には風下で見通しのよい寝床の確保。ところどころにあった廃屋は、次なる場所へ向かう準備を整える拠点として重宝したものです。


 少し前の暑い盛りを忘れ去ったある日、てっぺんにあったはずの太陽がすっかり山間へ沈みかけていました。立ちはだかる峠を前にどうしたものかと思案するうち、みるみる暗闇に。一面広がる田畑を見渡す中、ぽつんと佇む一軒に目が止まります。

 ひと晩だけでも泊めてもらえないかと戸を叩くも、玄関の灯りは消えたまま。気配はあるので裏手に回ると、更地の隅に小屋がありました。もともと畜舎だったのを改築したようです。

 扉の隙間から漏れた光を覗いてみると、大小の頭がひとつの布団を囲んでいたのです。

 中心に寝ていたのはまだ十歳ほどの少女。真っ赤な顔で苦しげに呻く姿に、気づけば駆け寄っていました。

 はじめこそ不審がっていた父親も、わたしの詰問により事情を話してくれました。

 いつもどおり学び舎を終え、兄弟そろって稲を収穫しているときに突然倒れ、動けなくなってしまったとのこと。

 寒い寒いと体を震わせども、額にはびっしり汗の玉。顔色からかなり衰弱しているとわかりました。

 わたしは常備していた点滴を打っては解熱剤を小分けにして飲ませました。単なる風邪にしろ、免疫力が弱まったあげく肺炎を併発、重篤化することもあります。兄弟や母親の抱える乳飲み子に伝染してはたまりません。

 まずは消化のよい食事、氷枕をいつでも交換できる体制を整えました。

 汗で湿った衣服を着替えさせ、喉の乾きを常に潤しました。結局明けがたまで寝ずにつき添ったのです。

 翌日、熱が引きはじめるや重たげな瞼が少しずつ開けられるようになりました。

 ぽつぽつ話ができた次の日には自分で寝起きし、そのまた次の日は家事を手伝えるようになりと、回復することができました。

 喜びのあまりご両親はわたしを「先生」と呼び、二度と頭を高くすることはありませんでした。

 以来手厚いもてなしを受け続けます。

 わたしも経過観察をいいわけに、その小屋にとどまっていたわけです。するとどこで知ったのか、負傷した者が飛び込んできたり、突然「祖父が苦しみだした」と一報を受けては駆けつけたりと、まるで引き止められる状態になったのです。

 聞けば一番近い診療所は峠を越えた隣村。

 少女を看病した小屋が、ひとり分の住処として手ごろだったのも奇遇でした。そうです、田舎の町医者なんていうのは藪でなければいい。擦り傷から頭痛、腹痛に相応の処置をすればこと足りるのです。

 木の葉が落ちはじめているとわかってはいましたが、再び見るとすっかり枯れ葉が地面を埋めつくし、一段と冷える朝に外を見ると、景色が白一面になっていました。

 ようやく寒さが収まったとひと息つくうちに花が芽吹き、連日の雨。鈍色の雲の切れ間からしばらくぶりの青空を望んだときには、あちこちから蝉が鳴き出し……と、まばらだった白髪が大半を覆うまでになっていたのです。


 月日は流れ、わたしは零奈(れいな)という女性と出会います。実のところ、村で最初に診た少女ですがね。

 零奈は天性の明るさ、気だてのよい村一番の働き者となっていました。華奢な身ながら誰も手をつけなかった荒れ地を耕し、立派な畑としていました。

 そうですね、零奈の成長は一目置くものがありました。好奇心と表現するならば、正直初めて見たときから抱いていたでしょう。いっさい汚れのない瞳を決して悪に染めてはならないと誓わせました。

 今や病弱な子供ではないひとりの女性へと変貌を遂げた零奈。そのうちどこからともなく花婿候補を自負する輩が群がりはじめます。

 幸いにも最初からすべてを見る機会に恵まれていました。

 女子のほうが男子より成長が早いというのはよくいったもので、当初は冗談のように面皰(にきび)面の坊主頭が次から次に“病”と称し、わたしのもとへやってきたのですから。

 いかにも重病そうな顔で診察を終え、外へ出るや表情が一変。零奈本人が覿面(てきめん)の“薬”でした。

 これが、先に触れた零奈との本格的な出会いとなります。医者であり居候。自身の生活が賄えるようになっても、食事に呼ばれれば断る理由なく母屋に上がるのが恒例でした。

 軽い受け答えする程度から次第にいろいろな話を交わすようになり、ついには途中で終わった話を続けるために小屋へ顔を出すのがふつうになっていきました。

 零奈にとっては誰にも打ち明けられない深刻な悩み。よって問診の範疇を越えた言葉も自然に投げかけていました。何せ年ごろでしたからね、零奈は。

 最近やたらいい寄ってくる(なにがし)を注意したら、遠くからじっと見られるようになった。すると某の変化から女友達も急に元気をなくしてしまった、など。

 長い睫毛を下に向け、神妙に打ち明ける零奈。

 某の行動の理由、女友達の気持ちを丁寧に教えてあげました。零奈は大きく目を見開き、頬を赤らめてはうつむいてしまうのでした。

 零奈は人のよいところを見つけ、溶け込む性分。そのため話を交わし、一度心を満たされると悦に入り、笑顔をもっと見ようと求めてしまう。純粋さを持て余すようにふるまう零奈に、わたしのほうが気に病むほどでした。


 やがて零奈に運命というべき者が現れます。それが(つとむ)です。彼は元来逞しく働くべき男でした。

 昔とある診療所の代診にて、幼子だった彼を診た覚えがありました。慢性的発作を投薬にて抑えたに過ぎなかったのですが、彼もわたしを先生と仰いでは忘れることなく再会を果たした次第です。

 勉はすっかり堂々たる体躯となっていました。しかし先天的な持病は無理がきかず、都落ちせざるをえなかったようです。それでも「先生がそばにいれば、安心して本分をまっとうできるはず」と、強い眼差しで話してくれました。

 零奈と恋仲になるのはあっというまでした。

 自信なさげに映っていた姿も、まさに零奈によって生気を取り戻すかのようでした。

 年の似通う豊富な感受性、何より互いに理解したいと思う心が深い結びつきを作り出したのです。

 さしずめ医者と患者とでは雲泥の差。

 そんな画に描いたような鴛鴦(えんおう)関係に、ふとわたしがもう少し若ければ、なんて愚の骨頂を巡らせたのはあまりに浅はかだったと思います。

 畦道(あぜみち)を並んで歩く後ろ姿。見つめあって笑う首の角度。そんなときは決まって長く伸びる足元の影まで楽しげでした。

 ただ、考えてみると零奈もやがて誰かと契りを結ぶ。どこの馬の骨かと(いぶか)るならば、気心が知れた勉がいくらかでもよいではないか。最初こそ村の男衆と同じ俗な感情を持っていたわたしですが、さざめく胸の内をそうして撫で下ろすことに決めたのです。


 そんな折、村に流行病が蔓延しはじめまして。

 何十年かに一度、寒暖差により突如猛威をふるう細菌性感染症の一種です。

 前年の酷暑や秋の長雨などが前触れとして予見できる程度。潜伏期間が長く、いったん発症してしまうと発疹が全身を覆い、あげく死に至るという極めて悪質な病です。

 わたしはこれまでの経験から、免疫力の維持と初期症状におけるすみやかな処置によって予防できると信じていました。よって村の者には週に一度、かならず診察に来るよういい聞かせました。

 しかし勉は生来の免疫不足もあり、村でただひとりその病に罹ってしまったのです。

 わたしは都へ出向き、治療法を探しました。

 実家を出てからついぞ見ることのなかった、弟のなれの果てのような医者に頭を下げ、万が一にも助かる方法はないか尋ね回りました。そして少しでも可能性のある薬を片っ端から試しました。

 ただし勉は、零奈との時間を少しでも謳歌したいからか、それともすでに治らない病と悟っていたのか、新しく構えた住まいに満足することなく農作業に明け暮れるばかり。

 ついに悪い予感は的中します。

 安定するかに思えた勉の症状が急変、全身発疹まみれになるや昏睡状態。一時は快方の兆しも見えたかという未明、あっけなく帰らぬ人となりました。それは二人が暮らしはじめてちょうど一年。初めて一緒に田を耕し、植えた苗がみずみずしく実をつけた晩秋のことでした。

 村の皆が、かなしみを分かちあいました。

 若者が率先して田畑を守り、年長の夫婦からは晩御飯のおすそわけを持ち寄るなどして零奈を励ましたのです。

 零奈は決して人前で涙を見せることなく、気丈にふるまっていました。あい変わらずわたしのもとに来ることも欠かしませんでした。今ふり返ってみると、このときの皆の一途な思いが神様に届いてしまったのかもしれませんね。

 

 勉が亡くなってからもうじき一年という盆の折。ふと奇妙な噂がささやかれます。大きな人型の土の塊が墓から出ては、夜な夜なさまよい歩いているというのです。

 古くから伝承されている死者が舞い戻る説話だと、わたしははなから信じませんでしたし、むしろ質の悪い冗談だと腹が立ちました。

 しかし実際、夏祭りに向けて皆が集まる中、若い男が血相を変えて「雑木林の奥で、ふらふらと歩く姿を見た」などと証言されてはかないません。

 たちまちその話でもちきりになると、さすがに眉唾ではすませられなくなってしまいました。

 零奈は大きな目を丸くして、興味津々に聞くばかり。というのも勉の死後、零奈は飲み慣れない酒を呷っては徘徊していたとか。

 心配する両親の声を受け、長老を筆頭とした会合が急遽執り行われました。結果、噂話の戒めもあり勉の墓を別の土地に移すことが決まります。

 翌日の早朝には体力自慢の数人を引き連れて墓を掘り起こし、棺桶ごと山の反対側へ埋め直しました。

 作業を終えて帰宅後、すぐに両親は零奈を呼びつけ、諭します。零奈は珍しく落胆した表情を見せたものの、その日を境にきっぱり夜の外出をやめ、騒ぎは収まったように見えました。

 それからまもなくのことです。

 祭りの前夜、男衆の集う場において、例の証言をした優男が赤らめた顔で臆面もなく口にしたのです。零奈は隣村の名主との縁談を進めているらしいと。

 あくる日すぐに零奈に問うてみると、はにかみながら笑顔で認めるのです。

 わたしは絶句し、考えました。考え直しました。

 勉は死に、零奈は生きている現実。

 両親の思いはもちろん、自ら幸せを望んでのこと。かなしみを乗り越えようとしているに違いないのですが……そうですね。何ともいえない、悔しさのような感情が芽生えました。それがあの晩、わたしを無意識に突き動かした一因と思っています。


 零奈と話をしたとき、約束を交わしました。季節がら、祭りにでもくり出さないかと。

 わずかに震えた声に気づかれることなく、零奈はにっこりとうなずきました。そのときの天にも昇る心地は、とうてい言葉ではいい表せません。すでに越えてはいけない感情に達していたのです。

 零奈は夏のために誂えていたという浴衣で現れました。

 童心に帰ったようにはしゃぐ姿に、わたしも痛いほど口角を上げて応えました。

 浴衣と同じくおろしたての草履は、最初の歩き出しから転びかけ、気がかりでした。零奈はお礼の言葉を述べるまもなくすぐによろめき、しばらく体を支えてやらないといけませんでした。

 縁日を練り歩くころには足になじみ、華やかな暖簾や提灯に目を輝かせます。

 あんず飴を食べたそうに見ていたのでふたつ買い、川原で並んで食べました。口元から蜜が垂れそうになり、すぐに袖を捲ってあげて難を逃れるとまたもお礼を述べられました……このあたりはきりがありませんから先へ進めましょう。


 楽しいひとときもあっというまに過ぎ、夜中。

 零奈はふと、勉の墓へ行ってみたいとつぶやきます。

 (たが)が外れていたわたしは、いくらかのお返しとばかり案内したのです。零奈はいっそう喜びを満たし、わたしは心躍らせました。

 足元暗い中を並んで歩くことしばらく。

 獣道を切り開いたばかりの鬱蒼とした茂みの奥、とり急ぎ平坦にしたとわかる一四方に辿り着きます。

 中央には周りと明らかに違う不自然な起伏。それを証明する数本の卒塔婆と簡素に手向けられた花。

 木々の間から月明かりで照らされた墓標を目にしたとたん、浮かれきった気持ちを猛省することになりました。

 零奈はまるで待ちあわせでもしていたかのような自然さで、墓の前にゆっくり膝を落とします。その姿はまさに他者を寄せつけない世界。

 零奈は無造作に放置されていた線香を手にしてこちらを見上げます。わたしはかぶりを振るも、前夜の酒席で使っていた燐寸を袖の中に見つけ、火をつけてやりました。

 零奈は三度礼をいうも今度ばかりは笑みはなく、盛り土の端に立ててから手をあわせ、しばらく目を(つむ)ります。

 ほそく立ち昇る煙を何げなく目で追っていたわたしはふと、妙な恍惚に包まれました。

 意識するや、止めどなく全身に行き渡っていました。まるで朽ちた枝木が新たに根ざし、再び芽吹くくらい凄まじいものでした。

 零奈の望みに応えてやれるのはわたししかいない。いつだって、いくらでも、思いのままに手を差し伸べることができる……と、零奈の丸まった背中を見下ろしながら感情を高ぶらせたとき。

 地震のような、ただならぬ鳴動がどこからともなく伝わってきました。

 それが目の前の盛り土からだと気づいたときにはみるみる膨らんでいて、小高い丘に変化。さらに頂を増してゆく中、裾は削ぎ落とされ縦長へ、ついには五体を浮かび上げました。

 落ち葉や木の実を尻に敷いたわたしは呆然と見上げるばかり。ぼろぼろと土をこぼしながら、在りし日の姿へ変貌を遂げる黒い塊。

 わたしは後ろ手で何とか体を引きずるだけで精一杯。

 ことに零奈はと、硬直した顔を必死で向けると表情は真逆。ふだんの笑みをゆうに凌ぐ神々しい顔つき。それでいて瞳からは涙が流れていました。

 零奈のことは何もかも知っていると信じて疑わなかったわたしが、初めて目にする美しさだったのです。

 その瞬間でした。

 気づいたときには勇ましく立ち上がり、横倒しにされた卒塔婆を手にしました。視界はただ一点、ゆらゆら蠢く黒い塊。わたしは無我夢中で突進、ありったけの力を込めて木の先端を黒い塊に突き刺したのです。


 それから夜が明けるまでのことはまったく覚えていません。

 わたしはひとり泥だらけ。盛り土の横で、どす黒い鮮血をつけた卒塔婆を手にしばらく眠りこけていたそうです。

 零奈はいつのまにか家に戻っていて、朝から日常と変わらない畑仕事。あの夜起こったできごとは、脱げて置きっ放しになった草履もろともきれいに忘れ去っていました。

 いくら問うても、勉に抱えられるように夜道を帰ったという夢の片鱗を語るくらい。

 確かに現実では考えられない、まったく不可解な現象でしょう。それでも、ふたりのかけがえのない純粋な思いをなきものにしたことに間違いはありません。


 ああ、零奈は今どうしているかですか。

 わたしにはわかりません。一度証言を得るために訪れたようですが、それきりです。ただわたしが会いたいといえば、きっときてくれるでしょうね。何せ心やさしい、いい子ですから。

 ささやかながら、例の名主やらと仲睦まじく暮らしていれば、なんて願っています。いつまでも笑顔を絶やさず、幸せでいてほしい……

 長話が過ぎました。

 もしよろしければ、あなたのことを知りたい。いったいどんな罪を償うためにここへこられたのか、お聞かせいただけますか。


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― 新着の感想 ―
[一言] 一体次はどうなってしまうんだろうとハラハラしながら読ませて頂きました。 零奈と勉の純粋な思い。 つらい境遇であっても笑顔を見せられたのは、もしかしたら勉に逢えると知っていたからなのかな、とも…
[良い点] ∀・)不思議な余韻が残る作品でありました。零奈っていう少女、いや、女性と彼女を取り巻く者たちのお話。それが人間とは何か?というテーマに展開されていった作品だと感じました。 [気になる点] …
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