政略結婚で嫁いできた私にだけ冷たい旦那様が私の食事に惚れ薬を盛っていたと判明したのですが
かなり短いSSになります。
政略結婚で嫁いできたのだが、旦那様が私にだけ冷たい。
触れようともしない。
私の旦那様──アスター男爵家の跡取りであるレオ様──はその政治的手腕が買われて王都でも注目を集めている優秀な方だ。
それに美しいブロンドの髪と海のように蒼い瞳を持つ凛々しい容姿の好青年でもあった。
そんな彼がこれからのし上がっていくのには不足しているものがあった。
それが「家格」と「人脈」である。
きっと旦那様は野心があったのだろう。
言い寄ってくる数多の男爵令嬢や、家格が上である子爵令嬢や伯爵令嬢ではなく、公爵令嬢である私──アイリス──を妻にすることを選んだのだ。
もちろん普通の公爵令嬢ならいくら優秀とはいえ男爵と婚姻を結ぶことはない。
「家格」という壁が立ちふさがるからだ。
では何故公爵令嬢であった私が……男爵家に嫁ぐことができたのか。
それは私がとある大きな事件を起こしてしまって──具体的に言えばとんでもない不敬を働いてしまった結果、社交界での評判が地に墜ちて嫁の貰い手を無くしたからである。
嫁の貰い手がいない……実家のレイン公爵家からしたら恥以外の何物でもない。
そんな時、「家格」と「人脈」が不足している絶賛ブレイク中のアスター男爵家と、さっさと私をそれなりの所に嫁がせてしまいたいレイン公爵家の思惑が合致した結果が今の状況だ。
いわゆる政略結婚である。
そういう事情があるから旦那様が私に目もくれないのは当然と言えば当然だった。
私の存在価値は、「ただそこにあること」
アクセサリーのように着飾るためのものでしかない。
私はそのことを十分に理解していたし、それに逆らうつもりもなかった。
この国の王子に思いっきりビンタを喰らわせておいて、不敬罪に問われなかっただけでもありがたいことなのだから。
幸いなことに使用人は皆私に優しかったし、新しい生活は悪いものではない──そう感じ始めていたとある夜のことだった。
旦那様が唐突に、
「晩酌を共にしないか」
と誘ってきたのだ。
私は困惑した。
困惑のあまり思わず「え?」と聞き返してしまいそうになった。
それでも私は淑女の端くれ。
そんなことを思っても表情には一切出すことはない。
「承知しました」
困惑の代わりに淑女の笑みを浮かべながらその誘いに応じた。
そもそも私には最初から断るなんて選択肢は用意されていなかったが……。
一足先に寝室へと向かった旦那様の元へ、使用人にワインとチーズを用意させて向かった。
「失礼します、旦那様」
「入れ」
扉越しに低い声がする。
私はゴクリと喉を鳴らして、旦那様の待つ寝室へと足を踏み入れた。
旦那様がどうして私を晩酌に誘ったのか……私には全く見当もつかなかった。
これまで食事の時もポツリポツリと会話を交わすだけだったのに、ここにきて突然二人きりでの晩酌に私を誘うなんて。
一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
可能性として考えられるのは仕事でのストレス発散。
その捌け口として酔った私を乱暴に消費しようとしているのではないか、と私は考えた。
そういうことをする覚悟なら嫁いできた時にはとっくにできている。
むしろ今まで私にそういうことをしない──触れもしないことに驚いているくらいだ。
私は怯えながらも旦那様の隣に座った。
「それでは旦那様、こちらをどうぞ」
「ああ、いただこう」
そして夫婦水入らずの晩酌が始まったのだが……。
会話が続かない。
「お仕事で何かあったのですか?」
「いや、別段特別なことはなかった」
「でしたらお疲れなのですか?」
「いや、体調ならすこぶる良い」
私が必死に話題を振れば、それに答えてはくれるのだが、その返答は素っ気ないものばかり。
旦那様の手と口はワインとチーズを飲み食いするのに忙しく動かされている。
まるで急いで食べ終えてしまいたい、と思っているかのように……。
ならどうして私を晩酌に誘ったのか。
私はいよいよ旦那様の考えが分からなくなっていた。
「む……もうなくなってしまったな」
旦那様が空の皿を見て、私に視線を送ってきた。
どうやらまだ食べたりないらしい。
あまり大食漢というイメージはないのだが、お腹が空いていたのだろうか?
「でしたら、私が何か取ってまいりますね」
「ああ、頼む」
心なしか、旦那様はソワソワしているように見えた。
私は立ち上がって、部屋のドアを閉めて……そして思い出した。
「そういえば、ワインももう無くなりそうだったわね」
思い出した私はワインをもう一本持ってきましょうか? と尋ねるために閉めたばかりの扉を開けると……
旦那様が私のグラスに何かを入れようとしているところだった。
旦那様と目が合う……その目は驚愕の色に染まっていた。
いくら都合のいい婦人であろうとしても……さすがにこれは見過ごせるものではない。
私は淑女の仮面を上手く被っているだけで、元の気性は荒いのだ。
小さい頃はお転婆娘として使用人を困らせていたし、激情に任せてこの国の王子を殴り飛ばしてしまう──そんな女だ。
だから、私は驚愕したまま固まって動かない旦那様の元へとズンズンと歩み寄って……その手に持っている物を取り上げた。
私のグラスに入れようとしていたのは毒か、或いは媚薬か……。
旦那様が握っていたのは小さな瓶だった。
中はピンク色の液体で満たされている。
「旦那様、一体これはどういうことなのですか!?」
「違うんだアイリス……これは……これは」
旦那様の口調が突然しどろもどろになる。
毒の可能性だってあるのだ。
いくらお飾りの妻だからと言って大人しく死んでやる気はなかった。
「旦那様、ちゃんと説明してくださいませ!」
弱気になったのを好機と見て、私は更に詰問した。
鼻と鼻がぶつかりそうになるくらいまで詰め寄って、ジッと旦那様の目を見つめる。
その勢いに飲まれて旦那様は目も逸らすこともできないようだった。
そして、少しの逡巡の末、ガクッと首を折ると白状した。
「これは……惚れ薬だ」
と。
「はい?」
これにはさすがの私も素っ頓狂な声をあげずにはいられなかった。
惚れ薬……?
旦那様が? 私に? 何故?
疑問符が山のように浮かぶ。
そんな私の様子を見て、旦那様は乾いた笑いをこぼした。
それは何かを観念したかのようだった。
「情けない男だろ……せっかく好いた女性を娶ったというのに、いざとなればロクに声をかけることもできないなんて。だから酒と薬の力に頼ろうとしたんだ」
旦那様の力無い告白で、私の疑問符の山に更に疑問符が降り注ぐ。
好いた女性……というのはつまり旦那様が私を好いている、と?
確かにそれなら惚れ薬を盛ろうとした、という事実と辻褄があう。
だけど、何故私を……?
私は旦那様とお会いしたことは確か無かったはずなのだけれど。
聞きたいことは山のようにあった。
複雑に入り組んだ疑問を解き明かすために、私はまず一つ一つ旦那様に質問をしていくことにした。
「なんでまた……私を? 私がしたことをご存知ないはずはないでしょう?」
「ああ、もちろん知っているとも。そもそも私はあの場にいたのだから」
「そうでしたか……」
私の社交界での評判が地に墜ちることとなったキッカケは、とある夜会での出来事にあった。
その夜会で私が幼いころから仲良くしていた従妹が、婚約者であったこの国の第四王子から婚約破棄を言い渡されたのだ。
理由は第四王子が婚約者がいるのに他の女性と親しくしていたのを咎めたから。
第四王子の言い分によると、私の従妹はその女性に悪辣な言葉やイジメを行ったんだそうな。
それを理由に王家に嫁ぐには相応しくない! と婚約破棄を言い渡したのだ。
私は婚約破棄を言い渡された従妹のことを幼いころから知っている。
虫も殺せないような心穏やかな優しい令嬢だ。
私が妹のようにかわいがっていた従妹がそんな理不尽な理由で婚約破棄を言い渡されたものだから私は激昂して勢いに任せて……その第四王子をぶっ叩いてしまったのだ。
結果的に全てはあのアホ王子の自業自得……王家にとっては何て愚かな真似をしてくれたんだ、と散々頭を悩ませたらしい。
そして捻りだした手段が、私の不敬な行いを不問とする代わりに夜会の参加者に第四王子の振る舞いについてかん口令を敷くこと。
それが守られた結果、私が王子を手をあげたという事実だけが社交界に伝わることになり、私は不敬罪について不問にしてもらう代わりに社交界での評判を失った──というのが事の経緯だ。
しかし……まさかあの場所に旦那様がいたなんて……思いもしなかった。
「私はあの時の貴女の行いを見て一目惚れしたのだ……何てカッコいい女性なのだ、と」
まあ何ということだろうか。
旦那様が言うことが事実だとすればいろいろと辻褄が合ってしまうのだ。
アスター男爵家がレイン公爵家の令嬢である私に婚姻を申し込んだことも──旦那様が私に惚れたから。
話から推測するに旦那様が私に冷たいように見えたのは──ただ緊張していたから。
話のタネが分かってしまえば……何とまあ……何と言うか……単純なことだ。
「想いが溢れて、それが変な形になって……薬を盛ろうなどと考えてしまった。本当に悪かった!」
旦那様はそう言って私に深々と頭を下げた。
どうやらこの旦那様は……。
「旦那様、顔をあげてくださいませ。そして本当に私のことを好いてくださるのでしたら、正面から正々堂々と向き合ってくださいませ」
「許して……くれるのか?」
「旦那様の評判は使用人たちから聞いています。身分の差に関わらず優しく接してくれる良い方だ、と。女の情報網を舐めないでくださいな」
「それじゃあ……」
怯えた小動物のようだった旦那様の目に期待交じりの光が灯る。
「ですが……次はありませんからね? 私、薬なんかに頼ろうとする女々しい殿方を好きになんてなりませんから」
「ああ……ああ……もう二度としない、約束する!」
……どうやら私の旦那様は、とんでもなく不器用な人だったらしい。
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