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医師を志す者達  作者: まさな
第四章 本当のスタート
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第十話 珠美と二人っきり、最高に緊張するシチュエーション

手術中です。

 軽く言ってくれる。


「マジで? あたしらがやんの?」


 俺も珠美に同感なんだが、この出血は早く止めないとまずい。


「いいからやるぞ。お前、一度、顔面の術式は実習でやってたよな」


「やったけどさあ、あれはご遺体さんだよ?」


「同じ人間の体だ。とにかく、鼻腔の止血をしないと手術を終えられないぞ。マーカー」


 しかし、CTも計画も無しでぶっつけ本番とは。


「院長、切り込みの予定、見てもらえますか」


 スキンマーカーで印を付けて、確認してもらうことにする。


「今忙しい。顔に傷を付けて文句を言われるのはお前だ。好きにしろ」


「知りませんよ、訴えられても…」


「ふん、そのマーキングの通りなら、問題あるまい。任せたぞ。別の患者を待たせている。わしはここを縫合したらそっちに行く」


「えっ? 指導医がいないとまずいんじゃ…」


「すぐに誰か来る。来なかったら呼べ」


「えー…」

「無責任です」


「じゃあ、待たせている急患、死なせて良いんだな?」


 院長が聞いてくるが。


「そうは言ってませんが。そんなに危険な状態なんですか?」


「おい、第七の患者、状態はどうだ?」


「脈拍安定しません。肺の出血が酷くて、チアノーゼが出ています」


 看護師が答えた。

 

「だそうだ。お前ならどう見る」


「分かりました。早く行って下さい」


「賢明な判断だ」


 院長が出て行く。


「賢一、大丈夫?」


「こっちの患者の方が安定してる。チアノーゼの患者の方が良いか?」


「冗談。あたしゃ、殺したくはないよ」


「俺だってそうだ。じゃ、メスを入れるぞ…上手く行くよう、祈ってくれ」


「オーケー。大丈夫、賢ちゃんってそこそこ器用だし、真面目に練習してたじゃん。刺繍までして」


「器用じゃないから、練習してたんだがな。くそ、感じが違うな…柔らかすぎる。このくらいか?」


 下手に深く切りすぎると、筋肉まで損傷させてしまう。


「いいじゃん、深く切った方がいいよ。二度切りで傷を残したら可哀想だし」


「お前も、まあ、そうだな」


 完璧を目指すなら耳の後ろを切るべきだが、耳の縫合が上手くいくか自信がないので、もみあげの辺りを切る。セックスの時に耳を注意して見れば気が付くという程度になると思うが、ま、そこまでの技量を新人に求められても困る。彼女には運が悪かったと諦めてもらう事にしよう。


「さて、上手くいけばいいが…手伝ってくれ」


 剥がれないところはメスを入れつつ、皮剥に掛かる。


「ラジャー。む、結構固いねえ…うりゃ」


「おい…お前、度胸有るよな…千切れたら、って思わないのか?」


「いや、千切れても死ぬよりはマシでしょ。最善を尽くしましたって言っておけばいいのよ」


「俺が患者だったら怒るぞ」


「だって、ホントの事じゃん」


「ふむ…」


「この辺で良いんじゃない? 額までやっちゃう? その方が目も開けるし」


「いや、今は鼻さえ切れば良いからな。そこで鉗子で固定しておこう。だいたい、開いても縫合するの、俺たちだぞ」


「うーん、誰か来るんじゃない?」


「当てにするな。俺たちが借り出されるくらい忙しいってことなら、望み薄だ」


「ああ、それはそうかも。って、何悩んでるのよ」


「いや、鼻孔開大筋の筋に沿って…」


「んなもん、鼻なんかどうでも良いでしょ、うりゃ」


 珠美がざくっとメスを入れてしまう。


「あ! お前な…そこ、上唇鼻翼挙筋の真上じゃねえか…まあいいか」


 鼻をめくり、そこから鏡を通して、鼻腔の状態を確かめる。


「ああ、やっぱり、突き刺さってたな。なるほど、眼窩の骨折がここに突き抜けてるのか。くそ、厄介だな…」


「もうさあ、チェーンソーでざっくり半分にしてそれからくっつけたいよね」


「そうするか?」


「いえ、冗談です…」


「ちょうど、上手い具合にここが骨折してるから、外れるんじゃないか?」


 俺は指差して言う。


「おお、なるほど、動くし。どれどれ…」


「うあ。お前、容赦ないな…女の顔だぞ?」


「別に、アンタの恋人じゃないんだから、構わないでしょ。よし、取れた。おほほ、行ける行ける、ナイス。こっから切開できるよ。これなら楽勝、任せといて」


「動脈、切らないように気をつけろよ」


「切ったら、縫合よろ」


「お前ね…」


「じゃ、抜くよ…それ。あっ!」


 動脈を傷つけたのか、ふさがっていた動脈が破片を動かしたことで開いてしまったのか、かなりの血が噴き出す。


「くそ。吸引!」


 看護師に指示する。


「は、はい」


「あわわ、ど、どうしよう」


「落ち着け。ここの動脈の根元は…確か…ここか?」


 見当を付けてメスを入れ、動脈を探り当てて鉗子で挟む。


「おお、当たりだ。凄い、さすが賢一」


「ふう。勘弁してくれよ」


「いやー、申し訳ない」


「ま、そうなると思ったんだけどな。これだけ大きな破片なら、動脈も切れてて当然だ。縫合するぞ」


「アイアイサー」


 何度も顔を開くのはまずいと思ったので、しっかりと縫合を済ませる。


「出血は?」


「ゼロ! やったね!」


「ふう、じゃあ、顔を戻すか…戻るかな?」


「戻らなかったら、アンタが嫁にもらってあげなさいよね」


「俺のせいかよ。くそ」


 慎重に元の位置に戻し、縫合する。


「ねえ、あとはまぶたなんだけど…これ、どうしたもんかしら?」


「ううむ…しかし、お前、眼球、上手く縫合したな」


「まあねえ。何度もやらされたから。まー、ちょーっとずれてるかも知れないけど、知ったこっちゃないし。それより、まぶた」


「うるさいな。今、考えてる。皮膚移植しかないだろう、これは」


「どっから?」


「足、かな」


「えー、ミニスカ、穿けなくなっちゃうじゃん」


「じゃあ、腕か?」


「ダメダメ、夏に半袖、切れなくなるじゃん」


「じゃあ、どこなら良いんだよ」


「うーん」


「お疲れさん、状態はどうだ?」


 二人、応援が来てくれた。


「ああ、はい、だいたいの止血は終わらせて、状態も問題有りません」


「そうか。へえ、顔を剥いだのか、こりゃ、皮膚移植だなあ。いったん、人工皮膚を使おう。じゃ、あとは本職に任せてくれ。君ら、整形じゃないだろ?」


「そりゃもう、眼科と心療内科の新人で、しかも研修医ですもん」


「ええ? 研修医? ふむ…その割には綺麗に縫合してるな」


「どもー」


「見てみろよ。こっちの腎臓なんて、完璧だぞ」


「あ、そっちは院長が執刀されましたから」


「ああ、なんだ。院長か。残念、俺がアシをやりたかったなあ。あの人、海外からも見学が来るくらい、まさに天才外科医だからな」


 確かに非常に優れている縫合だが、天才肌と言うよりは粘り強い努力家のように見えた。出血もすぐには見つけられなかったし。


「じゃ、後はお願いします」


「はいよ。ガーゼは腎臓だけ?」


「ええ、三枚です」


 ガーゼを腹の中に忘れるという事がよくあるので、引き継ぎは大切だ。ただ、今回は腎臓がある程度修復するまで、ガーゼを入れたままになると思う。


「了解」


「やー、終わった終わった。疲れた~」


「ああ。そうだな」


 緊張の糸が切れ、どっと疲れが出てきた。

 更衣室で着替える。


「うげ、もう八時? 八時間も手術してたのか。疲れるわけだわー」


 珠美が時計を見て驚く。

 三時間くらいだと思っていたが、そんなに時間が過ぎていたとは。かなりの大手術だった。


「あっ、あの、先生、うちの娘は、歩美は無事でしょうか」


 着替えて廊下に出ると、中年の女性に必死な感じで掴まれてしまった。患者の家族だろう。


「ええと、歩美さんですか? お前、名前、聞いた?」


 覚えてないので俺は珠美に聞く。


「うんにゃ。ちなみに、歩美ちゃんって、高校生ですか?」


「はい。そうです」


「ああ、じゃ、大丈夫ですよ、お母さん、お母さんですよね?」


「ええ、ああ、良かった…」


「いずれ、主治医の方から詳しい説明があると思いますが、内臓破裂のいくつかと、肋骨の複雑骨折、それから眼球破裂、少し顔にメスを入れたので傷は残ると思いますが、ああ、あと、視力も戻るかどうか…」


 俺は説明しかけたが、言葉に詰まる。


「えっ、失明ですか?」


「バカ。いえいえ、ほんのちょっとだけ、視力が落ちるかも知れませんが、失明はないですよ。安心して下さいねー」


「ああ、それなら。ありがとうございます、看護婦さん」


「いえいえ」


「ああ、こいつ、医者ですから」


「えっ、あ、ああ、申し訳ありません、私ったら。白衣、着てらっしゃるのに」


「いやいや、なっはっは」


 何度も頭を下げる母親を後にする。



「いやー、なんか、いい事したね」


 珠美が言う。俺も頷く。


「ああ。なんか、疲れが吹っ飛んだというか…報われた感じだな」


「報われた、かあ。私は単に気分が良いって感じだけど。外科医もいいかなあ」


「それは止めておいた方が良いと思うぞ」


「む、何よ」


「お前、どうしようって、慌ててたじゃないか。出血したとき」


「ああ、あれはね…むう。いいのよ、終わりよければ全て良し! じゃっ、あたし、こっちだから」


「おう」


 初めての手術を問題なくやれたと思う。

 俺は確かな手応えを感じていた。 

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