第十四話 絆
蝉がうるさく鳴き始め、もう夏かと俺はちょっと驚いた。
真夏の本格的な暑さに備えなければならず、今からクーラーに頼ってはダメだ。
そんな考えで扇風機で耐えつつ一人で勉強していると、黒崎から電話が掛かってきた。
「真田君、今、何してるの? あ、生々しい話なら詳しく語ってくれなくて良いから」
仮に詩織とそんな事をしてても、俺はいちいち言わないんだが。
「別に何にも変な事はしてないぞ。勉強してただけだ」
「そ。じゃ、学校のプールに一時に集合」
「は? なんで?」
「つべこべ言わず、学校のプールに一時に集合。あ、ちゃんと水着、持って来てね」
「意味が分からんのだが」
「もう、決まってるでしょ。プールに水着って言ったら」
「いや、俺は良いよ、プールなんて。珠美とかを誘え」
「捕まんないんだから仕方ないでしょ。セリアも呼んでおいたから、絶対、来なさいよ。美女二人の水着姿、逃す手はないでしょ」
「んー、だけど、お前がそんな気を遣うって何か変なんだが……」
「来なかったら、アンタの邪魔するから。うふふ、どんなのがいいかしらね」
「おいおい…邪魔って授業のか?」
「他に何があるの?」
「お前、最悪の女だな」
ツインテールの悪魔め。
「何とでも言いなさいよ。とにかく、今日の一時、遅れたら承知しないわよ」
嫌な予感もするが、暑い日にはプールもいいかなと思って、水着を引っ張り出して俺は大学に向かった。
「あ、来た来た、おーい」
確かにセリアと黒崎がいるが、二人とも上にTシャツを着ている。何より――
「おい。水がねーじゃねーか」
プールは空だった。
「あら? 言ってなかったかしら? はい、これ」
長い柄の付いた緑のブラシを渡された。
「なんだこれ?」
「掃除道具。見て分からない?」
真顔で言う黒崎。
「おい…」
「じゃ、ぱぱっと済ませるわよ。セリアはあっち、真田君は向こうね」
「ボランティアやバイトじゃないんだな?」
俺は黒崎に確認する。
「あたしが、そんなくだらない事、すると思う?」
「いいや」
「じゃ、そーゆーコトで」
「待て。説明しないなら帰るぞ」
「もう…ちょっとメスの練習にと思って遺体を出して自習してたら、教授に見つかっちゃってね。ったく、何でプール掃除なんか…」
「うおい! だったら、俺もセリアも関係無いじゃん」
「あら、セリアは関係有るわよ、ね?」
「だから私は許可を得たのかと聞いたのですよ。得たと言うから手伝ったのに。沙希、あなたとは金輪際、自習の手伝いはしません」
「あらら、ま、見つかったのは運が悪かっただけでしょ。今度は上手くやるから」
「お前、懲りてないな。つーか、帰る」
「ちょっとちょっと、この広さを女の子二人に押しつけて先に帰るってわけ? 後で何か奢るから、手伝ってよ」
「何で俺が…」
「だって、アンタしか捕まらなかったんだもん」
「お前、割と敵が多いし、交友関係、広そうに見えて、実は友達少ないよな」
「う、うるさい! 私は移植の権威になるのが目的なんだから、馴れ合いなんていらないのよ」
「権威になるって、そりゃまあ、ご大層な目標だが、こうやって足下すくわれてちゃ、先が思いやられるぜ」
「くっ」
「手伝ってやるが、一つ貸しだぞ。あと今月は俺を敬え」
「うう、分かったわよ」
「申し訳ありません、賢一。助かります」
「ああ。ま、セリアは助けてやらないとな。気にしなくていい」
「はい」
「なんでそこ、えこひいきするのよ」
「そりゃ、親しい友達だからな。な?」
「はい」
「むむ…あっそ」
ここで「じゃあ、私とも友達になってよ」などとお願いしてくれば可愛らしいが、黙々と掃除する黒崎は、どうも堅苦しい生き方だ。
「なあ、適当に手を抜いても良いんじゃないのか?」
「駄目です。これは罰なのですから」
「ダメダメ、後で教授がチェックして、汚れてたら停学とか抜かしやがったもの。絶対、手を抜かないでよ。あたしがあとで真田君のところ、チェックするからね。そこ、やり直し!」
「くそ、何の拷問だよ…」
セリアが真面目にやっているので、俺もぶつくさ言いつつもブラシを動かす。
「セリア、もう時間じゃない?」
「ああ、そうですね。では、申し訳ありませんが…」
「んん?」
「選択の授業、あるんですって」
「何ぃ? これ残り、俺たちだけでやるのか?」
「他にどうするのよ。アンタ一人でやる?」
「アホか。セリア、ちょっと、Tシャツ脱いで、水着を見せていけ。納得いかん」
「は、はい…では、これで許してもらえますか?」
白のビキニ。汗が滴り、艶めかしい。セリアは恥ずかしいのか、姿勢がいつもと違って縮こまっている。
「よし、いいぞ」
しっかり眺めてから俺は言う。
「ありがとうございます」
「やらしいわねえ」
「うるさい。お前も後で見せろよ」
「ええ? ふふ、いいわよ」
掃除を終え、黒崎は黒のビキニを披露した。自分でポーズを取る彼女は、羞恥心はあまりないらしい。
「どう?」
「いや、もういい」
「何よ、その反応の薄さは」
「疲れたんだよ」
「…そう言うことにしておいてあげるけど。今日は悪かったわね。後でうちに来なさいよ。飲み物と食べるもの、ご馳走するわ」
「ああ、それくらいは当然だよな」
黒崎は実家暮らしだった。黒を基調とした古い洋館だが、造りはしっかりしているように見えた。
「へえ、立派な家だな」
「見た目ほど良くないわよ。古い上に無駄に広いから冬とかキツイんだけどね。暖炉って不便なだけだし。でも割と涼しいでしょ?」
「ああ、そうだな。今日は、家の人は?」
「ああ、いないわ。基本、一人暮らしなの」
「え? ああ、出張とか?」
「ううん、私の母は私が幼い頃に亡くなってるし、父も高校の時にね、交通事故で」
「そうか…ごめん、悪い事聞いたな」
「ああ、いいって、別に気にしてないし。じゃ、麦茶出すから、待ってて」
それから黒崎と二人で医学について議論していると夜になってしまった。
「うえ、もうこんな時間か。帰らないと」
「そう? 今から夕食、作ろうと思ったんだけど。真田君、食べて行きなさいよ」
「いいのか?」
「ま、それくらいはね。昨日、下ごしらえしたのがあるから、すぐできるわよ?」
「じゃあ、お言葉に甘えるか」
黒崎のお手製ビーフシチューをご馳走になった。
皿の下に丁寧に敷物までして木のスプーンで食べる本格派。
「どう?」
「う…まさか、お前が家事ができる女だとは思わなかった」
どこか生活感の無いオシャレな女、そんな認識だった。
「失礼ねえ。伊達に一人暮らししてるわけじゃないわよ」
「そうみたいだな」
「あ、そうだ。地下のワインセラーにワインが何本かあるんだけど、飲む?」
「いや、激しく遠慮しておく。お前、酒癖悪いし」
俺がアパートまで連れ帰る羽目になった挙げ句、縛られて放置されたからな。
「む、何よ、あれはちょっと飲み過ぎただけじゃない。あと、記憶から抹消しておきなさい」
「そうしたいんだが、全部忘れると、また同じ失敗を繰り返す可能性があるからな」
「無いっての。私だって反省はしたわ。まさか、男の家に一泊するだなんて…一生の不覚だわ。トラウマになりそう」
そこまでかよ。
だが、ふと俺は、一泊した黒崎が「お母さん、行かないで!」と寝言で叫んでいたのを思い出した。
「なあ、ちょっと聞いてみるんだが……黒崎は思い出したくないことってある?」
「一つだけあるわ。アンタの部屋に一泊したこと」
「そうじゃなくて、トラウマというか…家族を失って悲しいとか、そんなような話」
「ええ? 無いわよ、全然」
「そうか。ふむ」
「なんで急にそんな事を聞くわけ?」
「ああ、いや、お前が俺の部屋に泊まったときに、お母さん、行かないでって結構必死な感じで叫んでたから」
「えっ、ええ? 言ってないわよ、いや、酔ってた…?」
「ああ。酔いというか寝言なんだけど」
「そ、そう。他にどんな事、口走ったの?」
「いや、心配しなくてもそれだけだ。ちょっと、今、医学的なトラウマについて俺は興味があってな」
「そう。うーん、母さんかぁ。正直、あんまり覚えてないのよ。私がまだ小学校に入る前の事だったし。でも、病院に行くといつも私の頭を撫でてくれた」
思い出したのか、黒崎は優しい顔で微笑んだ。
「お母さんは、そのまま病気で?」
「ええ。だけど、ずっと病院に入院してたし、子供ながらに助からないんじゃないかって薄々思ってたから。たぶん、行かないでって叫んだの、それよりもっと前の時の話だと思う。夢で無いならね」
「夢、ああ、そうか、記憶の改変もあるのか…」
心理学者ロフトフが行った『ショッピングモールの迷子』という実験では、簡単に人の記憶をねつ造できることが証明された。
大人の被験者にその家族が「お前が5歳か6歳の頃にショッピングモールで迷子になった事があっただろう」と嘘の話をする。
思い出せない被験者に「泣いていたお前を老人が助けてくれただろう」などと吹き込むと、25%の人は本当の事だと思い込んでしまう。
さらにはその情景まで本当の記憶のように思い出せるようになるため、種明かしをされて被験者達は驚くことになる。
「そこは思い出せないし分からないかな。あ、あれ? ごめん、ちょっと待って」
目を拭った黒崎は、感情が高ぶったようだ。涙が床に落ちた。
「思い出した?」
「ううん…。今、ぱっと浴衣姿のお母さんの後ろ姿が浮かんだの。境内…お祭りかしらね。きっとはぐれそうになって必死に追いかけたとか、その程度の事よ。でも、たぶん、それがお母さんと最後にお出かけした記憶かも。と言っても、お父さんももういないから、確かめようが無いけどね」
「そう。余計な思い出じゃなければいいんだけど」
「怒るわよ? 私はお母さんが好きだったから、大事な思い出に決まってるじゃない。たとえそれが悲しい思い出でも、私にとっては一つ一つが全部大切な記憶なの。それがお母さんとの絆なんだから。思い出せて良かったわ」
「そ、そうか…」
嫌な記憶なんて思い出さなくても良いと思っていた俺は、その独りよがりな考えを引っぱたかれた思いだった。アリスの家族の件とダブって見える。
「でも、今、あんたの前で泣くとか、最悪の気分。恋人でもないくせに」
「そりゃあ、悪かったな。今から恋人でも見つけて、話して泣けば良いだろ」
「冗談、他の人にはもう一生、涙なんて見せないわ。私は強くなりたいの。誰よりもね」
その覚悟はどうなのかと思ったが、黒崎の信念なら、俺が口を出すことでも無いだろう。
俺自身も、アリスの絆をどうにかしてやりたいという想いが芽生えたが、他人にどうこう言われる筋合いは無い。
それは正しいとか、間違ってるとかそんな話では無く、それが自分にとってやりたいことだと信じることなのだから。
静かな星空の下、俺は洋館を出て家路に就いた。その足取りはいつになく軽く、そして力強かった。
あとがき
参考
『エリザベス・ロフタス: 記憶が語るフィクション』
『アメリカでは否定されている「トラウマ理論」
”わかりやすい説明”ほど危険なものはない
〔橘玲の世界投資見聞録〕』




