第五話 家族のような食卓
2017/1/1 若干修正。
詩織を巻き込むのは嫌だった。
ミス三鷹と行動すると目立ってやっかみを買うという点もあるが、そもそも俺と詩織はそういう仲ではない。
単に知り合いと言うだけだ。
詩織と呼び捨てになっているが、これは単にファーストネームを好む気さくな珠美の影響だ。詩織も自分の名字が好きでは無いそうで、白百合と呼ばれるより詩織の方がいいと言っていた。
それだけだ。
「お前は次、小児科の講義があるだろ」
ひとまず俺は食堂の席に座って言う。
「そう言う真田君は……次、空いてたわね…」
少し悔しそうに言う詩織。
「ああ、俺は二限目はフリーだ。何の問題も無い」
「でも、三限目はどうするの?」
「それは……」
俺は言い淀む。アリスを一緒に教室に連れ込むのは論外だ。悲惨なことになる。だからといって今から警察に連れて行くというのも、良い選択とも思えなかった。
「私、三限目はフリーだから、面倒を見ます」
詩織が宣言したが、正直、ありがたかった。アリスを最優先にすることにして、俺も頷く。
「そうか。じゃ、四限目が問題だな」
「ええ。珠美は当てにしない方がいい気がするし」
「そうだなぁ…サボる……のはなるべく避けたいが」
「駄目ですよ。もうすぐ試験週間ですし、真田君がそこまでする必要は無いです」
「いや、俺は好きでやってるんだ。そこをどうこう言われる筋合いは無いぞ。やましいことでも無いんだし」
あくまで人助けだ。
「ううん……と、とにかく、四限目、どうするかを考えましょう。その後、警察とかに…」
「いや、警察は親から連絡が来るまでは駄目だ。あそこは忙しいし子供の面倒を見てくれるところじゃないんだよ。アリスも放っておくと口にモノを入れちゃうし、煙草があるような所は駄目だ」
「そうですね」
条件は、真面目で責任感があってアリスを任せられる奴。男は避けたい。
「お! 黒崎!」
ちょうど良さそうなのが食堂に入ってくるのが見えた。
黒崎沙希。俺達と同じ四回生だ。友人というわけでは無いが、入学時のオリエンテーションの班で一緒だった縁があり、時々授業の内容について批判や討論をしたりする。
「え? 何、真田君。私を呼び捨てにしないでくれる?」
怪訝な顔をしながらも、こちらにやってくる黒崎。緩やかにウェーブした黒髪をツインテールにまとめ、袖無しの黒のタートルネックに黒のミニスカ。顔も良いからどこかのファッションモデルみたいな雰囲気がある。
こちらをギロッと睨んできたが、コイツは真面目に授業も出てるしノートもちゃんと取ってるからな。
「頼む! 一生に一度のお願いだ。この子の面倒、今日の四限目の間だけでいいから、見ててくれ。お前は四限目、空いてただろ?」
「ええ? 何で私がそんなこと」
「お願いします。他に頼める人がいなくて…」
詩織もお願いする。
「どういう事情かは、聞かせてもらうわよ? 私、犯罪の片棒、担ぐつもりは無いし」
詩織も側にいるのにあんまりだと思ったが、一応、事情は簡単に説明しておく。
「納得行かない。それなら、警察に文句を言って対応させれば良いだけじゃない」
話を聞いた後、腕組みしてそんな事を言う黒崎だが、それで対応してくれる保証はどこにもない。
「そうだな。後で言っておく」
「いや、なんで今言わないのよ。その不届きな警官をここに呼んできなさい」
それもちょっとどうかと思うのだが、何とかなだめて、面倒をみるという約束を取り付けた。根は良い奴だ。
「言っておくけど、本当に様子を見るだけだからね? 私、子供の扱いなんて馴れてないし…」
「それでいいよ。俺だって末っ子だからな。親戚にもそういう子はいなかったし。とにかく、何でも口にいれる癖があるから、そういう時は注意して取り上げてやってくれ」
「ええ、それくらいなら、いいけど」
五限目は、俺と詩織で半分ずつ、交互にサボることにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夕暮れの歩道に三人の影が長く伸びている。
大学の授業を無事に終え、アリスを連れ帰っているが……。
携帯に警察からの連絡は無い。まだ親が見つかっていないのだろう。やる気あるのかね?
だが、言っても仕方が無い。今は待つだけだ。
「アリスちゃん、今日は何が食べたい?」
「んー、ハンバーグ!」
先ほどから詩織が話しかけているが、アリスもまともに答えている。
「お前、子供の扱い、上手いな」
「そう? 珠美にはお子様だから、なんて言われてるけど」
「いや、アイツの方がお子様だろ」
「ふふ、そうかも。あ、そこのスーパー、寄っていってもいいかな?」
詩織が聞いてくる。
「んん? それは構わないが」
「じゃ、行きましょう、アリスちゃん」
「なー!」
アリスを連れて行くのか。じゃ、俺も付いて行くしかないな。
「野菜もちゃんと食べないとね」
「ピーマン、やー」
「ええ? 好き嫌いは駄目だよ? ニンジンは大丈夫?」
「少しなら平気だよ。あ、味が無いのは、やー」
アリスは日本語が不得手なのかと思っていたが、思ったよりかなり話せる様子だ。
ハンバーグも既製品では無く、ミンチ肉から買い込む詩織。
「じゃ、私は精算してきますから、お二人は先に向こうで待ってて下さい」
「ああ」
アリスが備え付けのポリ袋のロールに手を伸ばすので、俺はその手を掴んで止めさせる。
「お待たせしました」
「荷物は俺が持とう」
「はい」
アリスを真ん中にして三人で手を繋ぎながら帰宅する図。
周りから見たら家族に見えるのだろうか。
少なくとも、通報は無いな。そこは安心だ。
公園を突っ切り、アリスの両親らしき人物がいないか注意して見回してみたが、それらしき人物はいなかった。
銀髪で青い瞳の外国人なら、すぐ見つかりそうなもんだが。
俺のアパートに着いた。
「じゃ、詩織、悪かったな。もういいぞ」
「何を言ってるんですか。料理、私が作りますから」
「ええ? 悪いな。あ、じゃあ、金も払うよ」
「いえ、いいです。お小遣い、有り余ってますし。こういう時くらい、使っておかないと」
「俺も小遣いくらいはあるんだが、まあいいか」
アリスが退屈そうにしているので、ここで「いや、俺が」「いえ、私が」の押し問答をやって待ちぼうけを食らわせるのも可哀想だ。
「じゃ、散らかってるけど上がってくれ」
「し、失礼します」
そこで緊張されると変なところに意識が回りそうだが、アリスがいるから大丈夫。
「ただいま!」
アリスが無人の俺の部屋の中に向かって元気に言う。
「ふふ、お帰りなさい。本当に昨日、保護したの?」
詩織がそんなことを聞いてくるが。
「そう言ったろ。だいたい、ずっと匿ってたら、今まで大学や授業、どうしてたんだと」
「そうですね。うわあ、思った通り、綺麗にしてある」
詩織が部屋に入るなり言う。
「そうか? まあ、余計なモノは置かない主義だからな」
殺風景な部屋だ。
「手強い…仕方ない。じゃ、私、ご飯作りますね」
「ああ。悪いな」
「いいえ、これもアリスちゃんの為ですから」
「そうだな」
詩織は恋人よろしくご飯を作りに来てくれたわけでは無く、迷子のアリスに気を遣ってのこと。そこは勘違いしたら駄目だろう。
あくまで善意だ。
「よし、アリス、さっそく、買った塗り絵をして遊ぶか」
スーパーに寄ったときに、子供向けの色鉛筆と塗り絵の本も買っておいた。詩織の提案だ。将来は保母か小児科医になりたいと言っているが、天職だろうと思う。
それに比べて、俺は……。
「なー!」
アリスは楽しみだったようでさっそく色鉛筆を掴んで夢中になって色を塗り始める。
コイツは将来、芸術家とかいいかもしれないね。昨日作っていた砂場のお城、凄いレベルだったし。
「エプロンまであるし……。これ借りて良いですか?」
詩織がキッチンの方で言う。ふふ、俺だって料理くらいはするぜ? 時々だけどな。
「ああ、いいぞ。使いたいモノは自由に使ってくれて良いから」
「はい」
詩織がエプロンをして、野菜を洗い始める。こちらに背を向けたまま、ニンジンをまな板でトントントンと小気味よいリズムで切り始める。
こういう彼女がいて、毎日ご飯を作ってくれるのもいいなあ、と思ってしまった。
「じゃ、頂きます」
「頂きます!」「頂きます」
三人で合掌してから、食事を囲んだ。一人用の小さなこたつのテーブルなので、少し手狭な感じだが、食事に支障は無い。
「お、これはトマトケチャップにセロリを入れて煮込んだのか。へえ」
新鮮なソースの味にちょっと俺は感心した。刻んだセロリの食感も良い。
「ええ、本当はもっと煮込みたかったけど、早く作ってあげたかったから」
「ま、そんなに手の込んだものじゃなくていいよ」
「駄目です。最初が肝心なんですから」
「んん? 何で?」
「い、いえ。…何でもありません……」
詩織は目をそらすと真っ赤になってしまった。
「これ、美味しい! 詩織、美味しい!」
アリスは少し大人向けの味にも拘わらず、気に入った様子だ。
「良かった。辛めにはしてないけど、スパイスも入れちゃったからどうかなって」
ほっとした様子の詩織。
「良いと思うぞ。肉の臭みも綺麗に消えてるし」
「ええ。そういうスパイスを用意してるところが小憎らしいですけどね」
「んん? まあいいだろ。安肉でも美味しく食べられるんだから」
「あ、ああ…」
詩織は少ししまったと言う顔をしたが、俺は別に貧乏じゃないし? 貧乏性ではあるけれど。
ま、大病院のご令嬢から見れば、俺も貧乏かもね。
「ふう、食った食った。ごちそうさん」
「ふう、食った食った。ごちそうさん。ゲフ」
アリスが俺の真似をしてしまったので、ふむ、父親も結構大変そうだな。
「もう、アリスの前では気を付けて下さいね?」
詩織も皿を片付けながら、母親みたいな事を言い出す。
「ああ気を付ける。皿はいいぞ。後で俺が洗うから」
「いえ、すぐ洗った方が片付けやすいですし」
「悪いな」
ちょっと食い過ぎて、動く気になれない。
「お茶をどうぞ」
「おお、ありがとう」
「それで、私から提案なんですけど」
俺がお茶を一口飲み終わったところで、詩織が姿勢を正して言った。