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医師を志す者達  作者: まさな
第三章 難しい一歩
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第五話 失恋

 二月の半ば、美樹は松葉杖無しでも歩けるようになっていた。


「うん、問題無いね。佐伯さん、リハビリもこれで終わりにしましょう。通院も、もう結構ですよ」


 医師が言う。


「やった。ありがとうございます、森先生。それに志穂さんも」


 美樹が拳を握って軽くガッツポーズをした。嬉しそうだ。


「うん、良かったねえ、歩けるようになって。これで、デートだね」


 志穂がウインクして言う。


「あ、は、はい…あ! 静香先生にもお礼を言いたいんですけど」


「あー、真田先生は今日は出張でおられないんだ。私から後で伝えておこう」


 森医師が約束してくれた。俺が伝えるよりはありがたみが増すかも。


「はあ、そうですか。お願いします。残念」


「まぁ、また今度、顔を見せに来てよ。静香先生も美樹ちゃんの状態、気にしてたから」


 志穂が言う。


「はい。そうします。じゃ、先輩、私、手続き済ませてきますから、玄関で待ってて下さい、先に帰ったら駄目ですよ」


「ああ、待ってるよ」


 俺は頷く。


「なあに? すっかり尻に敷かれちゃってるじゃん、弟君」


「いや、尻にって。志穂さん、あのねえ…」


「あはは、冗談だって」



 それから日を改めて美樹とデートをしてやったが、学校の勉強で、日曜の午前中も補習と忙しそうだった。


「もー、プリントとか、もの凄い数なんですよ」


「そりゃ、お前が入院中にサボってたせいだろ」


「う、いやあ…そこは突っ込まれると、あはは…ふう」


「さて、じゃ、そろそろ出ようか。帰ってレポート終わらせないと、だろ?」


「えー、ダメダメ、今日は先輩の家に連れていくって、約束したじゃないですか」


「つーか、俺の家に来ても面白い物はなんもないぞ」


「いいんですよ、そんなの。楽しみ~」


 と言っていた割に、実際に俺の部屋に上がると、妙に大人しい。


「ああ、そうだ、クッキー、あるぞ。食べるか?」


 俺は器に入れてあるクッキーを出してやった。


「あ、は、はい…」


「何、借りた猫みたいになってるんだか。ほら、遠慮せずに食べろよ」


「い、頂きます……あ、美味しい! でも、これって、どこのメーカーだろう? なんか変わってますね」


「ああ、これ、市販のじゃなくて、アリスが作った手作りクッキーだから」


「あー、確か、記憶喪失がどうとかの」


「そうそう」


「ふうん、手作りかあ…へー…えっ! じゃあ、先輩とアリスさん、付き合ってるんですか?」


「どうしてそうなるんだよ。ただの友達だな」


「良かったあ…こんなの相手だったら、敵わないよ…」


「言っておくが、お前と恋人になるつもりもないぞ」


「えっ、あ…そ、そうですよね…ふう…」


「悪いな。お前の気持ちは、分かってるんだが」


 美樹にどう声を掛けていいのか、俺は少し迷った。だが、茶化すのもどうかと思ったので、ストレートに言ってやった。


「むう、それ、なんか…うあー、振られたぁ…ショックー」


「ま、振られたうちには入んないだろ。お前も、学校の友達とか、これから高校、大学と進めば、彼氏なんて選り取り見取りだぞ」


「そんなの、先輩が付き合ってくれないなら、意味ないよ…」


「まあ、そう言うな。じゃ、ほら、帰って課題、済ませないと。留年は嫌だろ」


「うーん。はあー…」


 ちょっと早まったか。こいつが勘違いしたまま、後で傷が深くなるよりは、と思ったが、もうかなりのめり込んでいたようだ。適当にあしらってきたつもりが、変に期待を持たせたか。どのみち、中学生相手に付き合えないし、振る、と言う選択しかないなら、遅いよりは早い方がいい。


「おい、落ち込むのは、帰ってからな」


「…はい…」


「また電話するから」


「それ、残酷ですよ…」


「ああ、悪い、じゃあ、やめとく」


「それ、もっと残酷」


「むう、どうしろと。ま、悠里と仲直りもしたんだろ。あいつと一緒にカラオケでも行くなり、慰めてもらうなり、発散しとけ」


「………はあ」


 見事に落ち込んだ美樹には可哀想だが、俺がしてやれることは何も無い。



 二日後、携帯が鳴った。


「もしもし、時坂ですけど」


 いつもとは違う固い声。


「ん? 悠里?」


「そうだけど。美樹ちゃん、どこにいるか知ってる?」


「うん? いや…今は学校じゃないのか?」


「それが、昨日今日と、無断欠席したらしくて、さっき美樹ちゃんの学校の先生があたしんちに電話かけてきたの。あいつ、出席日数、もうぎりぎりだってのに…じゃあね」


「あ、おい…むう」


 風邪を引いて休んだか。だが、悠里のところに先生から電話が行くのはちょっと妙だ。


「つながらないか…」


 携帯の番号は飯を食ったときに交換してやったが、電源を切っているようだ。さっき、悠里は外にいるような感じだったが、ひょっとしたら探しているのかも知れない。


「あー、もう、なんだよ、あいつ…そんなにショックだったってか? 思春期の女子中学生って難しいなあ…」


 俺はため息をつくとオーバーコートを羽織り、外に出る。雪こそ降ってないが、かなり寒い。


「ま、こんな日に公園で一人悩んでるとも思えないが…」


 あいつの場合、友達とパーッと騒いだり、カラオケやボーリングで遊ぶような発散の仕方をするとばかり思っていた。ひょっとしたら、友達と学校をサボって遊んでいるのかも知れないが、それなら、学校の先生も悠里には電話をかけたりしないと思う。

 白百合総合病院のリハビリ室に行ってみた。


「あら、弟君。静香先生に用? それとも手術の見学? あ、私に会いに来てくれたんだー。嬉しいー」


「いや、だから、抱きつかないで下さいよ、志穂さん。患者さんも見てますし。それより、真面目な話なんですが、美樹ちゃん、ここに来てませんか」


「ああ、いなくなってるんだってね。さっき、悠里ちゃんがここに来たわよ」


「そうですか。ふむ…」


「大丈夫、ちょっと勉強に嫌気が差して、サボってるだけよ。あたしも、高校の時は良くサボったなあ」


 志穂の言うとおりなら、心配は要らないが、中学生が学校をサボって遊び歩くと言うのはちょっと考えにくい気がする。美樹は見た目は遊んでるように見えるが、結構真面目な子だ。

 今度は商店街を回ってみることにした。


「あら、真田君じゃない」


「ああ、黒崎か」


「ちょうど良いところに。今、私、荷物持ち、募集してるんだけど」


 服でも買っていたのか高級そうな紙袋を両手に持っている黒崎。


「悪い、忙しいんだ。他を当たってくれ」


「ちょっとー。忙しいように見えないんだけど。あ、デート?」


「いや、そうでもない」


「だから…誰か探してるの?」


「このくらいの髪の毛の、横の髪をこう、昔の日本のお姫様みたいにカットした、八重歯の中学生、見なかったか?」


「見て無い。その子がどうかしたの?」


「いや、留年ギリギリなのに、学校サボってるみたいなんだ」


「ほっときなさいよ、そんなの。あ、ちょっと。もー」


 美樹が車に轢かれた場所にも行ってみたが、誰もいない。まあ、ここに来ているとは思えなかったが。


「うーん、ここだと思ったんだが」


 デートの途中、ちょっと寄った公園。ひょっとしたら、もう家に帰っているかもしれない。

 悠里に電話をかけてみる。


「何? この番号、あんまり掛けないで欲しいんだけど」


「悪い。美樹のことだ。見つかったか?」


「ううん。あたしと先生、美樹ちゃんの担任だけど、捜索願を出した方が良いんじゃないかってご両親に電話したんだけど、放って置いて大丈夫だって…少し、無責任というか、冷たすぎない?」


「いや、そんな気もするが、あいつなら大丈夫じゃないかな」


「どうしてそう言えるのよ。また事故でも遭ってたら…」


「いや、それは…」


 無いとは言い切れない。


「じゃ、あたし、忙しいから。あとは駅前かな…」


 悠里はまだ探しているようだ。美樹の携帯に電話してみたが、やはり繋がらない。

 俺は姉貴に電話してみた。


「調べてみたわよ。この近辺の病院で、女子中学生の緊急搬送はないわね。昨日今日だけだけど」


「ありがと、助かったよ、姉貴」


 これで、美樹の無事は証明された。いや…?


「まさか、自殺?」


 ぞっとする考えが浮かび、心配になってきた。線路や道路ではすぐ病院に運ばれるので、それ以外、見つかりにくい湖や山を中心に、探してみる。


「ふう、疲れた…どこに行ったんだ、あいつ…」


 携帯が鳴った。


「賢一さん、セリアですが」


「ああ、セリアか。どうした?」


「さきほど、あなたの部屋の前を通ったのですが、女子中学生くらいの子が、立っていました」


「えっ! ひょっとして、髪の長い子か」


「ええ。用事があるなら、寒いから私の部屋で待つかと聞きましたが、断ってどこかに行ってしまったもので」


「くそ、何で捕まえて…いや、サンキュ」


「あ、ちょっと――」


 家に戻ってみるが、美樹はいない。もう一度、公園に行ってみる。


「はあ、見つけた…」


「あ、先輩…や、やー、奇遇ですね」


「バカ! 何で学校サボってるんだ!」


「いや、そんないきなり怒鳴らなくたって。ありゃー、バレたか」


「悠里と先生が心配して、捜索願を出すって話になってるぞ。早く連絡入れろ、アホ」


「えっ、えーっ? そ、そうなの? ヤバ」


 電話を入れて謝る美樹を見る。


「じゃ、送っていく」


「え? あ、いいですって。ちゃんと帰りますよ」


「駄目」


「むう、じゃ、送って下さい」


 下手に話しても彼女を傷つけそうなので、黙って歩く。


「あのー、そんなに怒った?」


「いや。でも心配したんだぞ。悠里や先生だってそうだ」


「うん…心配、してくれたんだ?」


「当たり前だろ。可愛い後輩だからな。俺がお前の命を助けてやったんだぞ?」


「うん…」


「命は粗末にするなよ」


「はい? いや、ちょっとサボったくらいで別に…」


「ならいいが」


「ここです。あ、お茶、飲んでいきますか?」


「いや」


「そうですか、そうですよね。どーせ、あたしなんて」


「そうじゃなくて、ちょっとトイレは貸してくれ」


「わ」


「勘違いするなよ。別に気が変わったとか、そんな事はない」


「もー、変えて下さいよ」


 すぐ帰るつもりだったが、お茶を入れたと言うので、ご馳走になる。


「じゃあ、そろそろ」


「あの! 初恋とファーストキスの責任、取って下さい」


「ええ? いや、それは…ノーカウントだ。初恋は知らん」


「酷っ。はあ……じゃ、もういいです」


「明日は学校に行くんだぞ」


「あー、もう、学校とか、どうでも良くなっちゃったなぁ」


「そう言うな。後で困るぞ」


「別にどうだって」


「投げやりだな…新しい恋を覚えたら、俺への初恋なんか、馬鹿らしくなるぞ」


「絶対、そんなことないですよ。命も助けてもらって、リハビリも手伝ってもらって、そんな風になるくらいなら、私、一生、恋なんてしなくて良いです。ううん、こんな力が抜けるように辛いなら、もう恋なんてしない!」


「おい…恋ってのはもっと楽しいもんだから。フラれた経験と恋は違うぞ」


「同じです」


「違うって。お前は知らないだけだから。まだ片思いじゃないか」


「知ってますよ。ちょっとは恋人気分だったんだから。でも、もう私の事は放っておいて。帰って下さい」


「おい、ちゃんと、学校は行くんだな?」


「行きません」


「ええ…?」


「関係無いでしょう? 赤の他人なんだから」


「そうじゃないだろ。命の恩人だ」


「それ、卑怯ですよ…私ばっかり、言いなりじゃないですか」


「うん、まあ…」


「帰って下さい。もう、二度と、会いたく、うう、言いたいわけじゃないのに、うう」


「落ち着け。悪かったな」


 美樹を引き寄せ抱きしめてやる。


「そこで優しくされても…でも、あったかい…」


「風邪引いたんじゃないのか? 暖房、強くした方が良いぞ」


「もー、ムード無いなあ。男の人の腕の中で、幸せな気分だったのに」


「それくらいの軽口が言えるなら、大丈夫だろ。じゃ、俺は帰るから」


「はい」


「ちゃんと学校は行くんだぞ?」


「…それは約束できないです」


「ええ? どうすんだよ、留年して」


「学校なんて…」


「義務教育だろ」


「先輩には関係無いですよ。そんなに私に学校に行って欲しいですか?」


「ああ、そりゃあな」


「どうして?」


「そりゃ…ちょっとは気になるからだろ」


「ふうん、少しは脈があるんだ」


「ああ、そうだな。お前がちゃんと学校に行って、きちんとした大人になれば、こっちからデートの誘いに来るかもな」


「絶対、来ないよ…」


「来るって。約束する」


「…約束ですよ?」


「おう」


 美樹の期待には応えられないが、期待を完全に否定することも俺にはできなかった。

 これも詩織に報告が必要だなぁと思いつつ、俺はアパートに帰った。

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