第三話 彼氏の力
二日後、セリアが俺に電話をかけてきたので、遊びのお誘いかとも思ったが、違っていた。
「賢一、テレビを」
「んん?」
「いいからすぐに付けて下さい」
「付けろと言ったって。何か、面白いのでもやってるのか?」
俺はパソコンのスイッチを入れた。詩織との話題に困ったときのためにテレビチューナーも買い込んでしまった。それほど使う機会は無いのだが。
「いえ、逆です」
「逆って。どれだ? あっ」
チャンネルを切り替えていると、セリアの見ていた番組が分かった。『またリピーター女医、後遺症で歩けなくなった女子中学生!』とセンセーショナルなタイトルが踊っている。
姉貴も美樹も出てこず、インタビューは近所の人を中心に行われていたが、完全に姉貴のミスと断定した上で、糾弾するような内容だった。
「何だよ、これ…」
「酷い内容です。医療ミスと断定する根拠もないのに。この医者と名乗っている男、本当に医師なのですか? なんだか用語もおかしいし、事故の状況も知らなければ、負傷による麻痺か、手術による麻痺かなど、分からないはずですが」
「ああ、医者じゃないだろうな。医療関係者ってテロップが出てるし、薬剤師か、下手したら医大生の中退者かもしれない」
「それでは報道と言うよりタブロイドですが」
「んー、まあ、ワイドショーはこんなもんだよ」
どうしたものかと思ったが、今、俺が美樹に会いに行ったら、姉貴の策を台無しにしてしまう。必要なら向こうから連絡が来るはずだと思い、姉貴を信じることにする。
「あ、あの、真田先輩ですか」
数日後、電話を何気なく取ったが、美樹からだった。番号を見なかった自分の迂闊さに内心で舌打ちしたが、病院の番号だと誰かまでは分からなかっただろう。
「あ、ああ、美樹ちゃんか。久しぶり。足の方は…」
「先輩、来て下さい。私、私、もうどうしていいか、うう」
いきなり泣き出す美樹に、今すぐ駆けつけたくなってしまうが、俺は自制心を保つ。
「ええ? ど、どうしたの? 君らしくもない。ほら、元気出して」
「静香先生、担当を外されちゃうし、時坂先輩と喧嘩しちゃって、私、このままなのかな、うう」
「ええ? 時坂と…そうか」
たぶん、姉貴のことで口論になってしまったのだろう。そこは容易に想像が付く。
「だから、相談に乗ってもらえるといいかなーって」
少し落ち着いた様子の美樹は控えめな言い方だが、俺が来ると信じているのだろう。
「相談に乗っても良いが、姉貴の担当はどうにもできないぞ。俺は部外者だしな。それに、退院すれば時坂とも仲直りできるはずだから。リハビリ、ちゃんとやってるのか?」
「それは…いえ、最近は。だってー、痛いんですよぉ」
甘えている。精神的に追い詰められているのかと心配したが、この分なら平気だろう。
「それじゃ良くならないな。痛いのは当たり前だ。じゃ、俺、勉強の方で忙しいから」
「えっ? あ、ちょっと、き、来てくれないんですか?」
「どうして俺が?」
「えっ、あ、う、それは…」
「じゃ、切るから。電話も止めてくれるかな」
「あ、せ、先輩、待っ――」
俺も酷い奴だなと思いつつ、電話を切る。
これで「酷いですよ先輩~」と言いつつ美樹が大学に会いに来たり、「もうあんな奴知らない!」と俺を忘れれば、彼女は自ずと歩けるようになるだろう。
……なるだろう、たぶん。
……。
翌日、俺は白百合総合病院にいた。
「はあ、俺も心配性だな。こっちには専門のスタッフだっているってのに」
ただ、姉貴の治療方針に背くつもりはない。ちょっと様子を見に来ただけだ。美樹に見つからないように周囲に注意しつつリハビリ室に行く。午後のこの時間帯、美樹がリハビリをしているはずだ。
「あれ、いないか…」
「おっ、弟君じゃん」
「うわっ!」
「ちょっと、何よ何よ、そんなに驚かなくったっていいじゃない。あはは」
いつもの明るい笑顔を浮かべる相馬志穂。美樹のリハビリ担当の理学療法士だ。相馬さんと呼ぶと「それ男っぽく聞こえるから志穂って呼んで」と言われている。
「ああ、志穂さん、ちょうど良いところに」
「ん、デートのお誘い? 参ったなぁ、モテる女は辛いよ」
「いや、冗談はその辺にして、美樹ちゃんは、時間、変えたんですか?」
「ああ…あの子か。うーん、それが」
肩をすくめて申し訳なさそうな顔をする志穂。
「え? まさか転院したとか?」
「ああ、違う違う。ま、そんな話も出てるみたいだけどね…ちょっと、屋上で話さない? ここじゃちょっと」
「あ、はい」
「あー、志穂の奴、まーたサボろうとしてる。先生に言いつけてやろーっと」
カーペットの上に座った小学生くらいの男の子がこちらを見て言う。
「うるさい! ちょっと用事があんのよ。ほら、あたしが帰ってくるまでにそのボール、全部入れ替えとけよ。ズルしたら飯抜きだかんね」
「えー、おいおい、患者のケアがなってねえぞー」
「何が患者のケアだっつーの。ったく最近のガキと来たら」
「あの子も腕の骨折か何かですか?」
「ううん、筋ジストロフィー」
遺伝性の疾病で、筋力が落ちていき、多くの場合、心不全などに至り長生きが難しい難病。完治する治療法はまだ確立されていなかったと思う。
「えっ、ああ…元気そうに見えたけど」
「うん、前はもっと元気だったんだけどねー。あの子、自分でもだんだん動けなくなってるのが分かってるみたいで、いつまでモチベーションが持つことやら…やっても無駄だって分かったら、誰でも怠けちゃうでしょ。あの子には内緒にしておいてね、賢一先生」
「まだ医者じゃないですって」
「でも、ここに見学に来る子って、国家試験がすぐなんでしょ? 高山君なんていつの間にか先生になってたし。それに…なんだっけ、アスキーじゃなかった…」
「オスキーですか?」
「そうそう、あれの試験、通ってる子ばっかりで、診察とか色々、分かってるみたいだったけど」
「やり方は教わりましたけどね。実際を見ないと。さっきの子にしたって、オスキーなら不合格ですよ、志穂先生」
「いやー、あたしはタダのピーティーだし。だから期待してるぞ、健太を治療してやって、賢一先生」
「え? ううん、診るのは研修医で来年にはできるかも知れないけど、治療は…」
「ああ、そこまでは期待してないよ。やあねえ、マジに受け取るなんて、ふふっ」
「ああ、そうですよね。すみません」
「うはー、可愛い!」
「いや、ちょっと、抱きつかないで下さい」
「あ、ああ、ごめんごめん、む、そんな嫌がらなくたってー。志穂、傷ついちゃうな~」
「いや、美人の看護婦さんに抱きつかれたら、誰でも緊張するんですよ」
「わ、美人って、もー、弟君たら、プレイボーイなんだからぁん」
「いや、プレイボーイって、そんなの言われたの初めてですよ。あ、それより、美樹のことですけど」
「うん…正直、あたしも手を焼いてるのよねえ、あの子。君が通ってくれてたときは、真面目にやってたけど、先週からは完全拒否。静香先生から無理矢理にはやらせるなって指示が出てたから、困っちゃって」
「でも、担当、替わったんですよね」
「ああ、うん…新しい先生はさ、整形外科の森先生なんだけど、精密検査が終わるまでは本人の意思を最優先って、これまた同じなんだよね。あの子がやるって言わないと、それに、ほら…、マスコミが」
「ああ、ええ。うちの姉がご迷惑をおかけします」
「い、いやいや、いいから。あれって神経に傷が行っちゃってるなら別だけど、どうも、私の責任っぽいのよね…。少しくらいなら自力で曲げられるしさ、打診で神経反射も取れてるし、ちょっと過度の痛みが気になるんだけど、歩けないってのは変だよ」
「やっぱり、心肺停止のトラウマでしょうね」
「あー、静香先生もそう言ってたね、心因性って。でも、どうなんだろ。あの子、サボってるって感じじゃ無いんだけどな…何となく怖がってる?」
「ふむ…」
そうなると、心肺停止が直接の原因で、俺は全然関係無いことになる。となると…。
「あの馬鹿」
姉貴の奴、俺がマスコミに晒されることを懸念して先手を打ったか。
「ん?」
「いや、何でも無いです。じゃ、今から美樹を連れて来ますから」
「え? ああ、うん、そうしてくれると助かるよ。頑張って、彼氏君。ヒューヒュー」
「いや、彼氏じゃないですが…」
森先生の話を聞いてみようかとも思ったが、俺は一介の医学生、治療方針には口を出せない。だが、単なる友人、見舞客として、あいつを励ませば、問題は無いだろう。
美樹の病室にノックして入る。
「よっ」
「あっ…え? え? どうして…」
美樹は目をしばたたかせた。
「いや、あんまりお前が落ち込んでたみたいだからさ、様子、見に来た。有りがたく思えよ」
「わ。は、はーい。うわ…ありがとうございます!」
「今、どうしてたの?」
ベッドの上では暇だろうに、テレビも見ていなければ、本も読んでいない。
「あー、いや、何にも」
「暇だったんだな?」
「ええ、まあ」
「じゃ、リハビリに行こう。志穂さんが首を長くして待ってたぞ」
「ああ…私、本当に歩けるようになるんですか?」
「バカだな。歩けるに決まってるだろう。お前がリハビリをサボってるからそうなるんだ。先週から、やってないんだって?」
「だって…」
「いいから、来い。ほら、支えてやるから、車椅子、乗れ」
「あ、は、はい…」
完全拒否と志穂は言っていたが、素直に美樹は車椅子に乗ろうと、体を移動させてくる。
「きゃっ!」
「おっと。悪い」
人を車椅子に乗せるのは馴れていないので、少し勝手が分からなかった。
「あは、抱きついちゃった…」
「さっさと降りろ、アホ」
「えー、そこは、お互い、ドキドキして見つめ合って、キスするところじゃないんですか~?」
「中学生相手にどうしろと。ま、もうちょっと胸があったら、モミモミしてたかもな」
「も、モミモミって、うわ…」
「ああ、ちょっとお前には早すぎるな。今のは無し。忘れろ」
「早すぎるって、私だって、そう言うことくらい、もう知ってますよ。せ、セックスとか」
「ああ、そうやって顔を真っ赤にしてる子に、キスやらペッティングは百年早えな。じゃ、行くぞ」
車椅子を押してやる。
「うん。ゴーゴー」
明るい美樹は特にリハビリが怖いと言うわけでもなさそうだ。だとしたら、やはり無意識か。そうなると、少し厄介な気がする。




