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医師を志す者達  作者: まさな
第二章 もう一人のアリス
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幕間 聖夜の晩餐

(視点が別人に変わります)



 駅前の一等地にそびえ立つ三鷹ロイヤルホテルは三鷹市で最も高く、豪華なホテルだ。

 スイートルームは一泊二百万円。

 その最上階の高級レストランでは、似つかわしくない下品な罵声が飛んでいた。


「さっさと作って持って来い! 俺を誰だと思ってる」


「も、申し訳ございません」


「ふん、無能が」


 平謝りするウェイターに、鼻を鳴らして椅子にふんぞり返った男。身なりの良いスーツに身を包んでいるが、だらしなくたるんだ体型ではスーツもどこか野暮ったく見える。


「ねーパパー、チョコケーキ、まだぁ?」


 おかっぱ頭のスーツを着た小学生が、指に付いたホイップクリームを舐めながら言う。


「ああ、待ってろ、今すぐに持って来させるからな」


 先ほどとは打って変わって猫なで声になった男はどうやら家族を大切にする立派な父親らしい。

 周囲の客が不機嫌そうにちらりと見たが、気にした風も無い。

 

「アタシ、フランスの三つ星ホテルの方が良かったんだけど」


 父親にそっくりな中学生の娘が、ネイルの手入れをしながら言う。


「文句言わないの、お父様も忙しいのよ。市長ですものね」


 やたら宝石を着飾った女はそう言ってステーキ肉をフォークで口に放り込んだ。よく食べる割に妙に痩せている。きっと優れたダイエットドラッグを服用しているのだろう。


「やあ、守屋先生、遅くなって申し訳ありません」


 チタンフレームの眼鏡を左手の薬指で直しながら、弁護士の黒井がやってきた。


「おお、黒井君、遅かったじゃないか。先に始めさせてもらってるよ」


「ええ、ええ、お構いなく。スリップの交通事故に巻き込まれて、まったく、手間を取らされました」


「事故か、そりゃ大変だ。大丈夫だったのか?」


「ええ、私は自分では運転しませんし、怪我もしてませんよ。ただ、人身事故となると、すぐに動けないですからね」


「うむ、困ったものだ。条例で何とかしたいが…まあ、座りたまえ」


「ええ、失礼します」


 ウェイターに椅子を引いてもらい、黒井が向かいの席に着く。べとべとの指を舐めている子供が目に入った黒井は眉をひそめたが、すぐに目をそらして表情を消した。


「今日は、鬼岩さんが来られると伺っていましたが、まだ来ておられないようですね」


 黒井が席を見て言う。


「ああ、それだが、彼は急用で東京に向かったそうだ。君によろしくと言っていたよ」


「それは残念です。鬼岩さんにはテレビに紹介して頂いて色々お世話になっていますし、一度お目に掛かってお礼を申し上げたいと思っていたんですがね」


「アレも忙しい男だからな、ま、正月のパーティーには呼んでおくから、君も同席したまえ」


「はい、ありがとうございます。それから、これはつまらない物ですが」


 紙袋をウェイターに持たせ、手渡す黒井。守屋と呼ばれた男は紙袋を受け取る。


「おお、いつもすまんね。君は最近はテレビによく出てるし、本もベストセラーで儲かってるそうじゃないか」


 守屋は中の札束を全部数えてから秘書を呼び、そのままどこかへ持って行かせた。


「いえいえ、まだまだですよ」


「欲張りな男だ。例の博物館の件だが」


 守屋が声を落として言う。


「はい、審議会の方はご心配なく。委員の大半には話を通してありますし、全会一致とは行きませんが、来月中には答申書として結論を出せると思います」


「急いでくれ。どこから嗅ぎ付けたか、住民が市役所にも抗議電話を入れ始めた」


「まあ、新しいプロジェクトに反対はつきものですよ、先生。彼らには大局が見えませんからね。公共事業が回り回って自分達のアメニティや教育水準や経済的発展に繋がると理解できないのです」


「その辺も、私にじゃなくて、テレビで言ってくれたまえ」


「ええ、そうですね。テレビもですが、ネットの掲示板でも工作した方が効果的ですよ」


「じゃ、それも頼むよ」


「はあ、では、知り合いの業者に頼んでおきます。代わりにと言ってはなんですが、医療事故監視委員へのご推薦も、期待しております」


「分かっている」


「パパ―、まだー?」


「ああ、おい! 早く持って来い! 俺は市長だぞ!」


 こんなのが当選するのだから、テレビと金の力は侮れない。黒井は内心を押し隠し、笑顔でワイングラスを掲げた。


「メリークリスマス」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



(視点が別人に変わります)



「メリークリスマス、か」


 らしくないことを言ってしまった。弟もきっと変な顔をしていたに違いない。


「さて、仕事仕事」


 僕は壁時計を確認し、キーボードを叩いて電子カルテの整理に取りかかった。


「失礼します。先生、ケーキを持ってきたんですが」


 看護婦がショートケーキとお茶を持ってきてくれた。


「ああ、ありがとう。君が買って来たの?」


「いえ、患者さんのご家族が持って来られて」


「ああ。ま、あまり高額な物は受け取らないように」


 本当は何も受け取らないのが一番だが、断っても断っても持ってくる人は後を絶たないし、それで医療の質を変えることは無い。


「はい。一応は断りましたけどね」


「うん。あ、それと、205号室の患者さん、明日は内視鏡検査だから、ケーキやスナックは良いけど、肉は食べないように言っておいて」


「分かりました。野崎さん、おつまみや酒も持ち込んでるんですよ。先生から注意してもらわないと」


「僕が言っても無駄だと思うけどなぁ。まあいいや。後で言っておく」


「はい」


 看護婦がそのままいるので、言う。


「もし、君が欲しければどうぞ」


「ああ、いえ、私はもう頂きましたから。太って糖尿病になっても困ります。一切れでカロリーご飯二杯分ですよ?」


「そりゃいいね。あっと言う間に食事が済みそうだ」


 うちの家系に糖尿病患者はいないので、さほど心配はしていない。喉の渇きも無いし。


「もう、医者の不養生って知ってますか?」


「知ってるよ」


 そう答えて僕はケーキをフォークで切り分けて、口に放り込む。


「…婦長、まだ家に帰って無いそうです」


 看護婦がぽつりと言う。その話か。

 僕は自然と渋い顔になる。この話題はあまりしたくない。


「うん…」


 ケーキを食べる。


「時間に厳しい人ですし、無断欠勤なんてする人じゃ無いですから」


「そうだねえ…」


 責任感もある人だったし、仕事に嫌気がさしてとは誰も思わないだろう。

 家族も心配しているだろうし、困ったことだ。

 ケーキを食べ終え、僕はポケットティッシュで皿を綺麗に拭いた。


「ああ、先生、そこまでしなくても私が洗いますから、貸して下さい」


「ああ、悪いね」


「先生は、そろそろ回診の時間じゃないですか?」


「そうだな。じゃあ、行ってくるよ。ケーキ、ごちそうさま」


 お茶を飲み、立ち上がる。


「はい」


 診察室を出て、入院患者の病室を順に見て回る。暖房の温度が低く設定されているのか、廊下は寒い。


「ああ、先生」


「磯野さん、体の調子はいかがですか?」


「はい、おかげさまで。しかし、クリスマスに入院ってのも、なんだか冴えませんねぇ」


「そうですね。まあ、来年は家で迎えて下さい」


「はい」


「先生、寒いんだけどぉ」


 女子高生の患者が訴えた。顔色は悪くないので、タダの冷え性だろう。


「ううん、じゃ、看護婦さんに毛布、持って来てもらうから」


「お願いしまーす。今年のクリスマスは最低だよぉ。先生はデートの予定は無いの?」


「はは、今日は夜勤だからね、どうやら無さそうだ」


「どうやらって、自分の事じゃん。あ、じゃあ、あたしなんてどう?」


「ええ? そうだねえ、再来年なら、考えておこう」


「ええ? 再来年って」


「まずは病気を治さないとね」


「ケンヤのケチ~」


 点滴の分量を確認する。問題無い。


 別の病室に向かう。


「おっと」


 男がさっとシーツの下に何か隠したが。


「野崎さん、出して下さい」


 僕は言う。


「やぁ、何の事でっしゃろ」


「酒とつまみのことです」


「かー、敵わんなあ、先生には。何でもお見通しでっか」


「そうじゃないですが、明日は検査もやるんですし、お腹に物を入れられるとろくに見えないから検査ができないんですよ」


「まあ、そう言うても、今日は年に一度のクリスマス、大目に見てもらえまへんか」


「じゃあ、検査は明後日にしましょう。それでいいですね」


「おお、話が分かる! おおきに!」


「ただし、お酒はダメです」


 僕はビール缶をさっと取り上げた。


「ええ? そんな殺生な」


「病気が酷くなって、来年も入院しないといけなくなりますよ」


「あー、仕方ない。じゃ、それは僕の奢りっちゅうことで、一つ」


「はは、そりゃどうも」


 勤務中はさすがに飲めないので、給湯室まで持っていって酒を捨てる。


 僕は最後に318号室の衣山を訪ねた。


「衣山さん、具合はいかがですか?」


 返事は無い。

 だが、屍では無い。

 彼女はまだ生きている。

 人工呼吸器を付け、自分で喋れる状態では無いのだ。意識も無く、もう三年もこの状態だ。回復の見込みも無い。

 家族も最近は面会に来ていない。本人も高齢だが、家族もすでに高齢で、しかも今日はこの雪だから、高齢者には出かけることすらキツイだろう。

 寿命より、自立した生活が送れる健康寿命が大切だとしみじみ思う。


 彼女が最後に家族と夕食の団らんを囲んだのは、いつだったのだろう?

 

 僕はいつも通り点滴の分量を確認する。


 もう、充分だろう。


 僕は人工呼吸器の装置のパネルを見た。

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