第十五話 時坂悠里
後ろのドアが開けられ、救急車から美樹を乗せたストレッチャーが降ろされる。白百合総合病院の医療スタッフも外に出てきた。
「バイタルは?」
「脈拍60、血圧上90下55です」
救急隊員が答える。
「ちょっと低いな…よし、運んでくれ」
そう指示した女性の医師。白衣を着た姉貴はちゃんとした医者に見えるから不思議だ。
「ああ、姉さんが担当医なのか」
「んん? なんだ、賢一か。なるほどな。道理で情報が細かいと思った。心肺停止だったそうだな。よくやった」
「ああ」
「アンタ…! こいつは駄目よ! 美樹ちゃん!」
時坂が俺の姉貴を見るなり、血相を変えて美樹を追いかけようとする。んん?
「駄目です、ここから先は入れませんよ」
看護師に止められたが、それでも中へ入ろうとする時坂。
「放して!」
「おい、落ち着け。どうしたんだ、急に」
俺も時坂の腕を引っ張る。
「どうしたもこうしたも、アンタの姉貴があたしのお爺ちゃんを殺したんだから!」
「なっ。まさか、君があの裁判の?」
「そうよ」
そういうことか。時坂という名字を聞いたことがあったと思ったが…。俺は廊下の向こうを見たが、姉貴はもう奥へ行ってしまっている。
「ううん…時坂、一つだけ俺から言わせてもらうが、うちの姉貴は人殺しじゃない。ミスはあったかも知れないが、君のお爺さんを助けようとしていた。それだけは分かってくれ」
「分かんないわよ! 簡単な手術って聞いてたのに。どうなってるのよ」
「君は、手術のビデオを見たか? テレビのカットじゃなしに、全編を」
「全編? ええ、いえ、アンタの姉貴が、ミスしたところはちゃんと見たわよ」
「いや、そこじゃなくて、手術を始めてから終わりまでだ」
「そんなの、病院が隠してるから、見られるわけないじゃない」
「そんな事はない。ネットでも流れてるし、君は遺族なんだから、請求すればいつでも見せてくれるはずだぞ。誰がそんな事を言った?」
「黒井先生よ」
「黒井? ここの医者か?」
「いいえ。弁護士よ」
「ああ…とにかく、一度、手術の全体を見た方が良い。それでも納得がいかないなら、それは仕方がないがな。病院は隠したりしないぞ」
「嘘よ。あなたは身内だから、かばってるだけ」
「そうじゃないんだがなあ…。じゃ、ちょっと、ビデオを見に行こう。どうせ、美樹ちゃんはすぐには出てこない」
「それ、死ぬって事?」
「まさか。あれは助かるよ」
「本当でしょうね…いいわ。ビデオ、見せてもらおうじゃない。ただし、嘘だったらアンタの姉貴を病院から叩き出す」
「まあ、それは好きにしてくれ。そこは俺の範疇じゃない」
「んん? まあいいわ。それで、ビデオは?」
「受付で聞いてみよう。向こうだ」
遺族であることを告げ、ビデオの話をすると、職員は快く応接室へ案内してくれた。六畳くらいの広さで、ゆったり座れるソファーがある。正面にはDVDプレイヤーと大画面モニタがあった。俺達の他には誰もいない。
「真田先生が後でいらっしゃると思います。今は緊急の手術が入ったので。時間は…どれくらいになるか分かりませんが」
職員が説明して去っていく。時坂はビデオの方が気になったのか、職員に対しては怒ったりしなかった。
「じゃ、再生するぞ」
初めからDVDがすぐに出てきたと言う事は、かなり注目の高いビデオなのだろう。テレビでも放映されていたし、患者の顔にモザイクが掛けられている。俺は予断を与えないように、彼女から質問があるときだけ答えた。
「ほ、ほら、やっぱり病院のミスじゃない」
見終わった彼女が言う。
「ふうん? 真田静香のミスじゃ、無いんだな?」
「そうは言ってないけど。あの男の先生も、ちょっと問題有りじゃない?」
「下田先生、麻酔を担当した麻酔科の人だな。俺もまあ、問題が有ると思うが」
「あれ? あなたは病院の味方じゃないの?」
「俺は姉貴の味方。それだけだよ。君のお爺さんが亡くなったのは残念だった」
「ふん、口だけね」
「そう思われても仕方ないけど、俺はあの手術を隣の部屋で見てたからね」
「見てたって…アンタも医者なの?」
時坂の目が険しくなる。
「いや、医大生だと言っただろ。窓から見学してたんだ、ちょうどその時は。手術には関わってないけど」
「ふうん。そう…アンタはその下田って先生が悪いと思うのね?」
「うーん、問題は有ったけど、彼が直接の原因とは言えないんだよ。胃潰瘍の出血を見逃した主治医、代理を務めたうちの姉貴も問題なんだろう。ただ、あれを見つけるのはちょっと難しかったかも知れない。運が悪かった」
「簡単な手術だったのに、死んじゃっても運が悪いで済ませるわけ? あなた、言ってる事が全部無茶苦茶よ」
「うん…自分でもそう思うな。ごめん」
「謝られたって…もう」
「さて、どうする? うちの姉貴が後から来るって言ってるみたいだけど、美樹ちゃんの手術で結構時間は掛かるだろうし……コーヒーでも買ってこようか?」
「あたしに気を遣っても、訴訟は取り下げたりしないわよ」
「いや、そんな事は考えてないよ。早く決着が付けば良いとは思ってるけどね。俺にはどうにもできないことだ」
「ふん…じゃ、カフェオレ。これ、お金。アンタからは一円ももらいませんから」
「ああ」
殺気立っているが悪い子ではない。こんな子に恨まれるとはちょっと姉貴が可哀想だ。
俺は廊下に出て自販機があるところまで向かった。帰りに手術室の方を見たが、手術中の赤いランプが灯っていた。まだ手術中だ。
「持って来たぞ」
カフェオレを時坂に渡してやる。
「毒とか入れてないでしょうね」
時坂は受け取った紙コップをまじまじと見つめた。
「お、おいおい…そんなことするわけ無いだろ」
「どうだか」
「じゃ、毒味してやろうか?」
「まあ、できるなら…やってみなさいよ」
「うん。ふむ、美味いな。ほれ」
俺は一口飲んで、返してやる。甘いカフェオレは体に染み渡るように温かさが広がった。
「むう、致死量が違うとか…」
「もっと飲んでやろうか」
「いいわよ、別に。私のが無くなっちゃうじゃない。一円」
時坂が俺に向けて手のひらを差し出した。
「え?」
「一口飲んだ分。それで負けておいてあげる」
「せこいな…」
「どっちがよ。それくらい、奢れっての。カフェオレの一杯くらい」
「ああ、それも…いや、だってお前が金を受け取らないって言うから」
「あー、そ、そうだったわね。ふん。じゃ、お金もいらない」
「さよけ」
「あ…むう、口、付けた…」
「ええ? それくらい死にゃしないから、気にせず飲めよ。俺は変な病気は持ってないぞ」
「そ、そういうことじゃなくて、気にならないの?」
「何が?」
「か、かか、間接キッス…うう」
「あー。はは、まあ中学生なら、うおっ!」
笑ったら時坂が怒ってパンチのそぶりを見せた。
「あ、危ないな、ひっくり返ったら、火傷するところだぞ」
「ふん、からかった罰」
「いや、からかったわけじゃないが…まあ、純情な女子中学生には配慮が足りなかったか。コップをくるっと回して、俺が口付けてないところを飲めばいいだろ」
「カフェオレには口付けたじゃん…もう」
そこまでは気にしても仕方ないと思ったか、おずおずと口を付ける時坂。
「べ、別に、間接キッスだとは思ってないんだからね」
「思ってねえよ。つーか、お前が…ああ、いい。黙って飲みやがれ」
「何よ、偉そうに…あ、そうだ、美樹ちゃんは? 何か分かった?」
「いや、まだ何も。ただ、安心しろ。バイタルは安定してたし、たぶん大丈夫のハズだ」
「ハズじゃ困るわよ。アンタのお姉さんに殺されたらどうするのよ」
「あのな…うちの姉貴は人の命を助けるためにここにいる。いや、ここにいる医者や看護師の全員がそうだ。徹夜明けだろうがなんだろうが、必死になってできることをやってる。考えてもみろ、ここで殺すために仕事してたら、退院できる奴は一人もいやしない。そんなことしてたら、今頃とっくに刑務所行きだ。美樹ちゃんだって必ず退院できる。俺が約束する。だから、頼むから、人殺し呼ばわりだけは止めてくれ。それは俺が許せない。もちろん、藪医者だと言うのはいくらでも結構だがな」
「でも…じゃあ、良いわよ、藪医者で」
「悪いな」
「謝らなくたって…ふん」
時間が過ぎるのを二人で黙って待つ。俺は時坂や美樹ちゃんとは何の関係も無いので帰ってもいいと思うが、帰れと言わない時坂は、何となく、誰かが側にいて欲しいのだろうと思ったので、一緒にいてやることにする。
俺はコンビニ弁当を食うことにしたが、すっかり冷めてしまっていた。ま、食えればいいさ。
「…美樹ちゃんは、あたしと学校、違うんだ」
ぽつりと時坂が言った。




