第十一話 お説教
「ビール生二つ、それから焼き鳥セット、つくねダブル追加で。あと、サーモンのカルパッチョと軟骨の唐揚げ、生ハムメロンと、ししゃもと、冷やしトマトと、じゃがバターと、チーズグラタン。全部二人前で。あと、何かある?」
個室の向かいに座った黒崎が聞いてくる。
それにしても、食うなぁ、こいつ。体はスレンダーなのに。
俺は抜けてると思ったモノを言った。
「枝豆」
「ああ、それそれ。それも追加で」
俺と黒崎は花火が終わった後で居酒屋に来ている。二人で。
いや、俺はそのまま帰るつもりだったのだが、黒崎がちょっと来なさいと言ってきて、ほぼ無理矢理だ。
「それで、話ってなんだよ」
俺が言うが、黒崎は待てというように手をかざし、メニューに見入っている。まだ食うのかよ。せめて、注文したのが食い終わってからにしろよ。
「はい、生二つ! お待たせしました!」
「じゃ、せっかくだし、乾杯しましょ。真田君、奢ってくれてありがとー」
笑顔でジョッキをぶつけてくる黒崎。
「はっ? マジか」
思わず俺は財布を確認する。一万円札があった。何とかなりそうだ。たぶん。
「お金、足りそう? 足りなかったら貸して上げるけど」
ツインテールの小悪魔が言う。ウェーブがかった黒髪は浴衣姿だと子供っぽく見える。
俺は諦めつつも言っておくことにする。
「自分で払おうという気はさらさらないみたいだな」
「当然でしょ? 女の子に支払わせようなんて、格好悪いわよ、真田君」
「今時、そういう男女差別は流行らんと思うが」
「もう、細かいわね。じゃ、割り勘で良いわ」
そう言うと黒崎はジョッキを一気に呷る。
「大丈夫か? ペース」
「平気よ、これくらい。いつもはワインだし」
酒豪だったか。早く帰りてぇ…。
「失礼します。枝豆と、焼き鳥セット、お待たせしました!」
「あ、来た来た。私、枝豆とつくねが大好きなの」
「あっそ。まあ、俺も好きだけどな」
「ああ、勝手に頼んじゃったけどごめんね。嫌なモノがあれば言えば良かったのに」
「まあ、別に全部嫌いじゃ無かったし」
「そ。ならいいんだけど。すみませーん、お代わり」
ビールを飲み、枝豆を食いつつ、黒崎が話を切り出すのを待つ。
一通り食べたあとでようやく黒崎が身を乗り出してきた。
「あなた、花火の時、アリスちゃんを抱きしめてたわよね」
その話か。
「ああ、花火を見てて、泣き出しちゃったからな。慰めてたんだよ」
「ええ? 何か花火に嫌な思い出でもあるの? 前の彼氏にフラれただとか」
「いや、それは無いと思うぞ。ただ、死んだ家族と一緒に見に来たんじゃないのかな」
「ああ…」
黒崎も事情は察した様子。
「でも、あなた、詩織さんと付き合ってるんでしょう?」
「まあな」
「それなら、抱きしめるのはやっぱり、おかしいと思う」
「ううん、別に、恋人として抱きしめたわけじゃないし、詩織は怒らないと思うぞ」
「ちょっと。あなた、詩織さんが怒らなかったら、何でもやっちゃうわけ?」
「そうは言ってないだろ。それに、アリスは特別なんだ」
「特別って……何それ。最低ね」
「いや、アリスは――」
そこまで言って、俺は特別扱いが正当なのかどうか迷ってしまった。
「ほら、何も言えないじゃない。あんな可愛くて性格の良い子なのに、何が不満なんだか。これだから男は嫌なのよ」
「ええ?」
「成績トップでこの体型とこの美貌、これでどこが不満なのよ」
いったい誰の話をしてるんだと。
「待て待て、お前、酔ってないか?」
「悪い?」
目がちょっと据わってるし、妙な色香を出している黒崎はやはり酔っ払っているようだ。
「悪くは無いが、その辺にしとけ」
ジョッキを取り上げる。
「ちょっとぉ。せっかく人が気分良く飲んでるのに。真田君に文句を言うとなんだか凄くスカッとするわ。ふふっ」
「俺は全然気分良くならないんだが」
「でしょうね。ふふっ」
ったく。
それはどうでもいいが、黒崎の浴衣がだんだん崩れてきているのでそちらは気になった。
「黒崎、浴衣が……」
「んん? 何よ」
「いや、見えそうになってるんだが」
「ええ? 何が?」
「何がってお前。とにかく服を直せよ」
「うるさいわねえ」
ジョッキに手を伸ばす黒崎。
「いやいや、もう飲まない方が良いぞ」
「ちょっと。私が注文したんだけど」
「それは分かってるけど」
黒崎はもうふらついているし、完全に酔っている。これ以上は飲ませるわけには行かない。
俺はテーブルの反対側にジョッキを避難させた。
「もう、意地悪」
飲める奴かと思ったら、ったく、男と飲むならそれくらい自分で注意しろよと。
「きゃっ!」
黒崎はなおもジョッキに手を伸ばそうとこちら側に回ってきたが、足をもつれさせて俺に向かって倒れてきた。
「おい。大丈夫か?」
「あはは、なんか気持ち良くなってるぅ」
「お客様、お皿を……あっ! し、失礼しました!」
女子学生のバイトらしい店員がやってきたが、俺達を見て慌てたように逃げていくし。
「あっ! ちょっと! くそ、今の思い切り勘違いされてるぞ、黒崎」
「何をよ。ふう、ビールって、結構来るのね、知らなかったわ」
「知っとけよ」
居酒屋もあまり来たことが無い様子。堂々として注文してたから馴れてるかと思ったのに。
「オホン、お客様、失礼します。当店では飲食のみとなっておりますので、それ以外の行為についてはご遠慮下さい」
店長っぽい人が来てしまった。
「ああ、はいはい、いや、これは違うんですが。おい、起きろっての」
「ご精算の方、よろしくお願いします」
「分かりました」
さっさと出て行けという雰囲気だったので、黒崎を抱えるようにして店を出る。
「どこかで休むか…。おい、しっかり歩け馬鹿」
「ううん、どこ行くのぉ?」
「いや、どこでもいいんだが、休めるところ。お前、家は近くか?」
「む、教えない」
「あっそ。さすがにホテルはまずいだろうしなあ…」
「行かないわよ、ホテルなんて。ねえ、真田君、それより水くれない? 喉渇いちゃった」
「ああ、ちょっと待ってろ」
自販機が近くにあったので、ミネラルウォーターを買う。ビールには利尿作用もあるから、水分補給は必須だ。
「ほれ」
「ありがとう。んー、お水が美味しい!」
「俺にもくれ」
俺も喉が渇いた。
「いいわよ」
ペットボトルを黒崎から受け取って飲む。
「あっ、間接キスじゃない。ちょっとぉ」
「ええ? 細かい事は気にするな」
ペットボトルを返す。黒崎は不満そうにペットボトルを見つめたが、喉は渇いているようでまた口にした。
その間、俺は休めそうな所を探したが、この辺には無いようだ。座れるベンチがあればいいんだが。
「って、おい、そこに座るんじゃ無い」
歩道に座り込んでいる黒崎。
「だってぇ、あはは」
この酔っ払いめ。
通りかかった人がチラッと見ていくし、このままここにいさせるのもどうかと思う。
仕方ないので、少し落ち着くまでは俺のアパートで休ませることにした。
「黒崎、俺のアパートがそこにあるんだが、そこで休もう」
「ああ、うん、ちょっと横になりたいし、そうしましょ」
あっさりと了承。どうせ酔いが醒めたらキーキー文句を言ってくるだろうが、仕方ない。
「スゲーな、女子をお持ち帰り二人目とか、俺は本当にプレイボーイかもしれん。これが噂のモテ期ってヤツか」
「なに訳の分からないこと言ってるのよ。へえ、ここが真田君のアパートなんだ。狭いわね」
「うるさいな。家賃は安いし、俺にはこれで充分だ」
「そ。でも、彼女を連れ込んだとき、これじゃベッド、狭いと思うけど」
「ほっとけ」
実際、二人で寝ると手は広げられないんだよな。だからといってダブルベッドなんて買う気にはならんけど。
「んー!」
黒崎はベッドに倒れ込むように寝転んだ。
「じゃ、ちょっとそこで休んでろ」
「ええ。あーでも、気持ちいいー」
足をぱたぱたと無邪気に動かしている黒崎は、いつもは他人に見せない一面だろう。ま、見なかったことにしておいてやるか。後が怖いし。
俺は座って、少しぼーっとしていたが、どうやら黒崎は眠ってしまったようだ。
「おーい、黒崎」
返事が無い。ただの睡眠のようだ。
「寝ちゃったか…。意外にと脇が甘いな、こいつ。ここで俺が襲ったら……」
後で訴訟とか警察とか駆け込むだろうなあ。恐ろしい。
襲わなくても、明日、何を言われるやら…。面倒臭い…。
風邪を引かれても困るので上からバスタオルを掛けてやり、俺は床で寝ることにする。
電気を消す。
お休みなさい。
「お母さん、行かないで!」
「う、うん?」
黒崎の声に何事かと驚いて目が覚めたが、彼女はベッドで眠ったままだった。
「なんだ寝言かよ…」
寝る。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ん、んん?」
寝返りを打とうとしたら、体が上手く動かなかったので不審に思って目が覚める。
「ああ、目が覚めた? お早う、真田君」
ジャージを着た黒崎がニッコリと笑顔を見せるが。
「おい、な、なんで俺は縛られてるんだよ!」
ナイロンの紐でご丁寧に後ろ手に縛られてるし。足も。
「だって、途中で変な気を起こされて襲われたら嫌でしょ?」
「いやいやいやいや。ねーよ。とにかく解いてくれ」
「駄目。あと、悪いけど、あなたのジャージ、借りるわね。ちゃんと洗って返すから」
「んん? なんで? 浴衣はどうしたんだ」
「何言ってるの、浴衣で帰れるわけないじゃない。途中で誰かに見られたら一発で朝帰りって分かっちゃうし」
「そこを気にするのか…」
「当然でしょ。だいたい、彼女がいるでしょ、あなた」
「まあ、そうだが、事情を話せば、詩織は分かってくれると思うけどなあ」
「駄目よ。話して分かってくれるのと、疑ったりするのは別なんだから」
「ええ?」
「それに、私のプライドに関わるし」
やっぱそっちの都合じゃねえか。
「分かった、言わないから、解いてくれ」
「それじゃ、昨日の割り勘の代金、机の上に置いてあるから。宿泊代はこの前の借りをチャラってことで良いわ。じゃあね」
「お、おい、マジで、くそ、このまま俺が飢え死にしたらどうするんだ、馬鹿!」
「心配しなくても、後で珠美ちゃんに匿名で連絡して来てもらうから」
「とことん俺を信用しないんだな…」
呆れる。
「悪いわね。分かってると思うけど、みんなには内緒にしてよ。喋ったら社会的に抹殺するから」
「ふん、喋る。喋りまくってやる」
社会的にってところがリアルで怖いが、そこで屈してなるものか。
「後悔したければどうぞご勝手に」
「くそっ」
解こうとするが、きつく縛ってあって駄目だ。鬱血しないようにほんの少しだけ隙間が空いているのが小憎らしい。
だいたい、なんで俺を縛る前に帰らなかったんだと。着替えるのに油断ならないと思ったんだろうなあ。
「ちっ。珠美にこれから爆笑されるのかと思うと、何とか…」
俺の携帯は机の上に置いてあった。頑張れば取れそうだが、詩織くらいかなぁ。頼めるの。
……。
俺は諦めて珠美を待つことにした。




