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医師を志す者達  作者: まさな
第一章 偽りの自分
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第三話 鏡の中のアリス

2017/1/1 若干修正。

 夜、迷子らしい小学生女児を保護して俺の部屋に連れ込んでいる。

 二人きりで、彼女は今、ベッドに座らせている。

 銀髪の凄い美少女だ。


 うん、どうしてこうなった。

 凄く危険だ。

 だが、俺は何一つ、やましいことはしていない。

 大丈夫、警察も了承済みだ。


 ここで服を脱がせたりしたらアウトだけど。 


「じゃ、名前は?」


「じゃ、名前は?」


 俺の言ったことをオウム返しにする銀髪の子。

 

 確か、自閉症でオウム返しをやるという症例があったな。

 コミュニケーションを取る意思はあるのだが、言葉の発達の遅れで自分の意思をきちんと喋れないからこうなる。


 なら、少し分かりやすく、ジェスチャーも混ぜてみるか。


「俺は賢一。じゃ、君は?」


 自分を指差して名前を言ってから、今度は少女を指差してやる。


「賢一! 賢一!」


 俺を指差して賢一とはしゃぐ彼女は、俺の名前だと認識はしている様子。やはりある程度の知能はあるな。だが、自分の名前は言えないか。どこまで理解してるんだろうな?

 障害のレベルで言えば――。


 いや、診断はどうでもいいんだ。

 今必要な事は、彼女の名前や住所を把握して、保護者に連絡を取ることだ。


「おうちの場所は分かる?」


「おうちの場所は分かる?」


「ママのお名前は?」


「ママのお名前は?」


 オウム返しだ。


 ま、警官が聞いてたけど、駄目だったみたいだしな。


 だが、こういう子なら、連絡先のカードくらい、持たされてるんじゃないのか?


 そう思った俺は彼女の白いワンピースのポケットに手を伸ばす。


「あははっ。やーん」


 くすぐったいのか、逃げようとする彼女。


「ちょっとじっとして」


 ポケットには何か入っていた。それを引っ張り出す。


 入っていたのは、十円玉が三枚と、飴玉の包みが一つと、可愛らしいピンクの布製の小銭入れが一個。

 それだけだ。


 小銭入れの中も確認したが、畳んだ千円札が一枚と、百円玉が一枚のみ。

 当てが外れた。


 だが、この子は自分で自販機を使えるだけの知能は持っている様子。

 百二十円のジュースを百五十円を使って買って飲んだ可能性は高そうだ。

 少なくとも、お金を持たされているというのは、使う前提だろう。


「じゃ、この小銭入れに十円玉は入れておくからな?」


「あー」


 指をしゃぶった彼女は、返事とも付かぬ声を上げて俺のやることを見ていた。


 それから質問を繰り返したが、やはりオウム返しにされてしまうだけで、彼女の住所は聞き出せなかった。


「ちっ、困ったな…」


「ちっ、困ったな…」


 態度も口調もそっくりに真似てくる。



 それなら早口言葉はどうなのかと、ちょっと試してみた。


「隣の客は良く柿食う客だ」


「隣の客は良く柿食う客だ」


 あっさりとクリアーされてしまった。やるな。


「じゃ、もう一丁、青巻紙、赤巻紙、黄マキマキ、あ、噛んだ」


「青巻紙、赤巻紙、黄マキマキ、あ、噛んだ」


「いや、それは、今のは間違いだから」


「あう? 青巻紙、赤巻紙、黄マキマキ!」


「いいか、本当は青巻紙、赤巻紙、黄巻紙だ。よし! 言えたぁ」


 俺は小さくガッツポーズ。


「青巻紙、赤巻紙、黄マキマキ!」


「だから、それは間違いなんだって」


「青巻紙、赤巻紙、黄マキマキ! あはっ!」


 間違った早口言葉を教えてしまった…。まあいい。楽しそうだし。


「それで、君の親はどこにいるのか、いい加減、教えてくれないか?」


「…や」


 こいつ。分かっていながら、今までごまかしてやがったな?

 にわかに俺の中の嗜虐的な心がむくむくと出てきたぞ?


「パパとママがきっと君を探して心配してるよ?」


 それでも優しく諭してやる。両親も気が気でないだろう。


「してないもん」


「いやいや…今日はもう遅いから仕方ないけど、明日はおうちに帰らないと」


「や、アリス、賢一と遊ぶー。お泊まりで遊ぶの!」


「あのな…ああ、お前の名は『アリス』なんだな?」


「あっ!」


 しまったという感じで自分の口を両手で塞ぐアリス。

 所詮ガキだな。だが、なぜ自分の名を隠そうとしたのか…とにかく、警察に連絡だ。俺はさっきの交番の方の番号に電話した。


「ええ、姓は分かりませんが、アリスという名前です。はい」


 その名前でまだ捜索願は出ていないということだったが、親と連絡が付き次第、俺にも連絡が入るようにしてもらった。


 電話の邪魔をされないように、アリスにはパソコンでネット配信のアニメを見せてやっている。


「犯人はお前だ!」


「犯人はお前だ!」


 アニメの主人公と完全に同じポーズで同じ台詞をモニタに向かってオウム返ししているアリス。

 ま、これは子供なら誰でも一度くらいはやることだな。

 好きにさせておく。


 電話を終え、俺は今度はレポートをサブのノートパソコンでやる。

 あんのクソ教授、アメリカの研究内容をまとめてこいとか、俺は英語苦手なんだっての。

 ウェブの翻訳ソフトも活用するが、医療系の専門用語は上手く翻訳してくれないから困りものだ。

 専門のソフトもあるのだが、馬鹿高いので買う気になれない。


『しばしば持っているプライマリID、患者の指定された名前は、他の人格が攻撃的または敵対的な、より積極的であること、そして多くの確率で、子供の頃の記憶を欠いている現在のタイムラインを含むと有罪に落ち込む』


 こりゃ駄目だ。翻訳した方が余計に訳が分からないよ?


「ふあ…」


 お泊まりで遊ぶと言っていたくせに、アリスはもうおねむ(・・・)のようだ。

 そう言えば俺も小学校の頃は九時にはもう眠かったな。 


 俺もなんだか疲れたし、今日はもう寝ることにする。


「じゃ、お休み」


 アリスがベッドで、俺は床だ。


「えう?」


 電気を切る。


「むふー」


「いや、アリスは降りてこなくて良いから。お前はベッドで寝るの!」


 だが、降りてくる子。

 ちょっと楽しいが、俺も明日は授業があるし、寝ないとまずい。


「あー、分かった! じゃ、アリスも一緒に寝るか!」


「なー!」


 両手を挙げたアリスは喜んだようだ。ってか、やっぱりお前、言葉、分かってるだろ?


 小学生の女の子に抱きつかれている。

 良い匂いがする。

 俺の理性が極限まで試されている。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「くそ……ろくに寝られんかった」


 手は出していない。俺は耐えきった。だが、かなり消耗させられた。

 恐るべし、幼女。


「あー」


 彼女も目が覚めた様子。


「じゃ、ふう、朝飯にするぞ」


「なー!」


 アリスは嬉しそうだ。

 シンプルにトーストを二枚焼いて、バターを塗り、出してやった。

 マーガリンはショートニングが入っているから健康に悪い。ショートニングとは常温で溶けない油脂を人工的に造り出したもので、そこから発生するトランス脂肪酸が心臓疾患やアレルギーを引き起こす。

 他の先進国では規制されているが、日本では規制がほとんど無い。


 それとホットミルク。マグカップに無調整牛乳を注いでレンジで温めただけだが。


 アリスはそれを美味しそうに食べた。

 ちょっと和む。


「じゃ、アリス、俺が帰ってくるまで大人しく留守番しててくれよ?」


 俺は学校に行かねばならない。もうすぐ前期試験があるので、試験範囲の情報を得るためにも、授業は休めなかった。

 うちの大学の授業は楽に単位を取れる教科もあるのだが、大半がハンパないレベルで、学生の九割が全滅するというエキスパート難易度の教科もあった。

 それに、将来、医師になったときに知識不足で患者を死なせてしまったら大事だ。

 警察に連れて行くのは親と連絡が取れた後の方が良い。あそこは駄目だ。煙草があるからな。


 かなり不安だが、俺の部屋には口に入れて危険な煙草は無い。

 喫煙は単に死亡リスクが高まるのではなく、肺がんや脳卒中など、病気のリスクが高まる。

 日本では科学的な証明とされるモノはおそらく一つも存在しないだろうが、煙草で一生寝たきりになった人がいると聞けば、わざわざ金を出して吸いたいと思う人も減るだろう。

 そしてテレビには煙草を吸っても元気だという人しか出てこない。

 国営でやっていた名残で、毒だと断定されると困る人達、責任を取りたくないお偉いさんがきっと長生きしているのだろう。


「あー」


 大丈夫だろうか?

 だが、頼める友人や知り合いもいない。


「実は俺の部屋に小学生女児を保護してるんだが、俺が学校に行っている間、ちょっと彼女が逃げ出さないか見ててくれないか?」


 ……駄目だ、どう考えても真っ当に聞こえない。俺が友人からそんな話を持ちかけられたら、すぐ通報だ。


「ああ、遅刻する!」


 腕時計を見たが、もういい加減、家を出ないと間に合わない。 


「じゃ、良い子にしててくれよ、アリス」


 祈るような気持ちでそう言うと俺はドアを閉め、鍵も掛けた。


 急がないと。


 学校は徒歩で十分と近い。が、その近いという安心感が割と曲者で、遅刻を誘発しやすい。


「ふう、間に合った」


 ちょうど教室に教授がやってきたところだった。

 俺は息を切らしつつ、やや前の方の席に座る。視力は良いし、後ろからでも黒板は見える。ただ、後ろの方は不真面目な学生が多く私語でうるさいので前側が良い。さすがに一番前を取ると目立つのでそれは避けるが。


「ごめん、そっち、詰めてくれる?」


 右から女子学生の四人組グループが座ってきて、俺は「他の席に行けよ」と思ったが口には出さずに左端に寄ってやった。


「このワンピース、可愛い」「いーねー」


 案の定、女子グループはぺちゃくちゃ喋り始めたし。くそ。うるせえ。 


「では今日は統合失調症の講義を行う。統合失調症のメカニズムはまだ分からないことが多いが、父親が高齢であったり、冬産まれだと発病しやすい。発病率は120人に一人の割合だ。女性と男性に差は無い。陽性症状は、幻聴、幻覚、思考に一貫性が無くなる、電波攻撃を受けているなどという被害妄想、自分は神だと言い出す誇大妄想などが挙げられる。

 陰性症状は感情の喪失、意欲の低下、これは『抑うつ』とよく似ている。治療法は薬物療法を行い、陽性症状と陰性症状の双方に効果のある非定型抗精神病薬、『リスペリドン』や『オランザピン』を投与する。それに加え、抑うつ状態の患者には『抗うつ剤』、眠れない患者には『睡眠薬』を――おい、そこの君、早く席に着きなさい」


 教授が解説を中断して言った。まーたチャラい遅刻者が友人や恋人でも探していたか。席は空いてるんだから、どこでもいいからさっさと座ればいいんだ。だいたい、お前は何しにここに来てるんだと。イチャイチャワイワイ私語をしたいならラウンジでジュースでも飲みながらやればいい。真面目に勉強している生徒の迷惑も考えろと。


「なー!」


「えっ!」


 聞き覚えのある声にドキリとし、まさかと思いつつ振り向いたが、間違いない。あの銀髪の少女、アリスだった。


「お前、どうして……」


「ふふっ」


 彼女は俺を探していたようで、笑顔でこちらにやってきた。

 周りの学生の目がこちらに集中する。

 ここで、「い、いや、こいつは保護した赤の他人で、俺の友達や恋人じゃ無いんです」と釈明したくなるが、それで分かってくれるとはとても思えない。


「ほら、寄ってあげたから、彼女さん、座らせて上げたら?」


 わざわざ俺の右隣の四人グループが席を移動してくれた。その『彼女』というニュアンスと気の回しようがありがた迷惑で困ってしまうのだが。


「あ、ああ、ありがとう」


 こういう譲り合いはなんだか嫌だ。嫌だが、とにかく注目を浴び、しかも授業が俺と銀髪幼女のせいで中断してしまっているので、俺は幼女アリスの手を引いて座らせる。すみませんと小さく謝りながら。

 しかし、どうするよ…大学にまで付いてくるとは予想外だった。

 部外者がここにいたら、まずいよな?

 授業料を払い、試験に合格した人間だけがここにいるんだから。バレたら後で学生課からなんか言われるだろう。さすがに退学とかは無いよな?

 不安になって来た…。


「オホン、恋愛や交友も良いが、君たちは何をしにここに来ているのか、少し自覚を持ってもらいたい。――不安を感じている患者には抗不安薬を投与する。抗不安薬の代表的なモノはベンゾジアゼピン系だが、これは脳の活動を低下させる副作用があるため、眠気などを引き起こし、運転には注意が必要となる。また、数週間以上服用していると身体的依存が形成され、それまでと同じ薬の量でも効果が現れなくなってくる。さらに、薬を中断するとイライラやてんかんの発作など――」


 チッ、くそ、教授にまで濡れ衣を着せられてしまった。向かっ腹が立つ。顔が恥ずかしさで熱くなるのを感じた。


「あーあー」


 お前は黙ってなさい。


 アリスは俺のノートを取ろうとするので、取らせまいと押さえる。


「きゃっきゃっ」


 駄目だ…。教授がジロッとこっちを見たし、「何しに来てるのかしらねー」と聞こえよがしに言う隣の女子グループ。お前らもさっきまでぺちゃくちゃ喋ってファッション誌広げてただろ。


「来い」


 とてもじゃないが耐えきれないので、アリスを教室から連れ出すことにする。


「どこに行くのかね。授業中に」


 教授が俺達二人を呼び止める。


「はあ、彼女が体調が悪いと言うもので」


 あと、俺は頭痛。


「なー? 賢一、お腹痛い?」


 アリスが俺の口実を台無しにしてくれるし。ああ、視線が痛い。胃も痛くなってきた。


「それは大変だ。見たところ、二人とも非常に健康で元気そうに見えるが、まあいい、さっさと行きなさい。邪魔だ」


 教授がハエでも追い払うように手を振って言うが、くそう。絶対、あれは目を付けられたな。出席名簿と学生名簿を『ケンイチ』の名で検索すれば顔写真で俺のフルネームももすぐ分かるだろうし、『不可』は無いにしても、『良』以上の成績はくれない気がする。


 俺はアリスを引っ張るようにして教室から出た。騒がしくしても怒られない場所――食堂へ向かうことにする。

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