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医師を志す者達  作者: まさな
第二章 もう一人のアリス
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第十話 夏祭りの涙

 喫茶店で俺と詩織と珠美は三人で話し合っていた。


「ホントに、本っ当に、何も無かったんだね?」


 俺の真向かいに座った珠美が身を乗り出すようにして何度目かの詰問をするが。


「しつこいぞ。何も無かったって言ってるだろ」


 俺はうんざりしつつ投げやりに答えた。


「でも、好きだと言ったり、キスくらいしてたんじゃないの?」


「無い。俺はアリスにそんな事は言ってないし、やっても無い。両方とも詩織が最初の相手だ」


「うーん、じゃあ、やっぱり一方的な片思いかねえ。モテる男は辛いねえ、この、この」


 珠美が俺を肘で小突く真似をする。


「茶化すなよ。あの後、どうもぎくしゃくして俺も詩織もアリスも困ってるんだぞ」


 海でのキスの一件の後、アリスは泣いていたことをごまかし、目撃してしまったことを謝っていたが、それ以来、ちょっとよそよそしくなってしまった。


「別にアリスちゃんは賢ちゃんを横取りしようとしてるわけでもないし、詩織もアリスちゃんが目障りってわけでも無いんでしょ?」


 珠美の質問に、詩織が怒ったように答える。


「と、当然でしょう。目障りだなんて、アリスは私の可愛い妹的な存在です。目に入れても痛くないくらい。たとえアリスが賢一さんを好きだったとしても」


「ふーん?」


 胡散臭そうな顔をする珠美。失礼な奴だ。


「俺にとっても妹みたいなもんだぞ」


 付け加えておく。


「でも、アリスちゃんにとっては賢ちゃんが初恋の相手で、憧れの存在と。じゃあ、もう面倒臭いから、二号ちゃんにしてあげなさいよ。詩織も良いって言ってるし」


 などと珠美が言い出す。


「アホか、言ってないだろ!」「私、そんなこと言ってません!」


 俺と詩織の声が重なった。


「あ、そう? んもー、面倒臭いなぁ」


 ボリボリと頭を掻く珠美は、どうみても真剣に相談を聞く態度では無い。


「真面目な話なんだが」


「真面目な話だとさぁ、それ、賢ちゃんも詩織も欲張りってもんだと思うよ? 一人の男を取り合って仲が悪くなるって別に珍しい話しでも無いし。仲が良いまんまって方が珍しいって。だから、アリスの事は諦めてさ」


「そういうわけにはいかない」


 俺は保護者代理として葵さんから頼まれているし、精神的に少し問題のあるアリスを放置することなどできるわけがない。


 詩織は黙って俺から視線をそらし、床を見つめた。


「そうかなぁ。アリスが病気だとしても、そこまで賢ちゃんが面倒見る必要ないって」


「お前な…」


「それより、そんな必死になってると、詩織だって不安になるよ?」


 珠美がそんな事を言うが。


「ええ?」


「わ、私は…」


「いや、俺が好きなのは詩織だけだから。それは分かってくれるよな?」


「え、ええ」


 詩織は頷いたが、少し緊張した様子だ。照れたのか、珠美の言う通り不安なのか。

 問い質した方が良いのかも知れないが、それをやると言うことは詩織の答えを疑っている事に他ならない。

 俺は詩織の言葉をありのままに信じたかった。


「まあいいや。そこはさ、優しくセックスでもして二人で愛を深めておいてよ」


 珠美がおざなりに言う。


「た、珠美」


 詩織が、珠美の卑猥な言葉に焦りの色を見せる。 


「お前な…、詩織の前でそういう下ネタを言うのは止めろと」


 俺が渋い顔で注意するが。


「もういい加減大人なんだし、それくらい耐性を付けておかないと、賢ちゃんも過保護すぎ。で、夏祭りにアリスも誘ってやるってことでいいのかね?」


「ああ、それはもちろん」


「うん、私も、なんて言うか、仲直りしたいし」


「仲直りねえ? 賢ちゃんといちゃラブしてるところを見せつけたいの間違いじゃ無いの?」


「お前!」


 俺が怒って立ち上がったが、他の客の注目を浴びてしまった。


「どうどう。軽い冗談よ」


 珠美がにこりともせずに言う。


「タチ悪いぞ」


 吐き捨てるように言って俺は席に座り直した。珠美もやりすぎたかと思ったのか謝ってくる。


「ごめんね。じゃ、本当にアリスを呼ぶけど、どうなっても知らないわよ?」


「別に、呼んだだけでどうこうなるわけないだろう」


「まあそうなんだけど、どうも、嫌な予感がするわけよ。こういう時のアタシの勘って良く当たるんだよねー」


「それは単に当たったときの印象が強いからだろ」


 オカルト好きのユングはシンクロニシティなんて言ってたが、勘が当たった時のことだけを強く記憶していれば、外れて忘れた回数より多くなって当たり前だ。

 人間はすぐに現象に意味を求め始める。唯識だの生気論だの、非科学的だ。


「うん」


 珠美は自分から認めたが、まあいい、こいつと学問的な討論なんてできやしない。


「じゃ、話は終わりだ。頼むな、珠美」


「いいけど、夏祭りのお誘いなんて、自分たちでやった方がアリスちゃんと仲良くなれると珠美ちゃんは思うわけだけど」


「ううん、まあ、頼むよ」


 アリスに対してある種の苦手意識が出てしまっていることは俺も認めざるを得ない。


「オッケ、分かった。このアタシに任せておきなさい」


 引き受けてくれて少しほっとする。



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 夏祭り当日。

 来てくれるかどうか不安だったが、アリスも浴衣姿でやってきてくれた。上品な紺色にすみれの花柄をあしらった浴衣。後ろ髪を結い上げているので、いつもと違った雰囲気に見える。


「こ、こんばんは」


「お、おう」


「ちょっとー、お見合いしに来たんじゃ無いんだから、二人とも」


 珠美がいちいち余計な茶化しを入れてくるが。


「そんなんじゃないだろ」


「ふふ。じゃ、みんな揃ったところでさっそく屋台を制覇していきますか。レッツゴー!」


 珠美は相変わらずテンションが高い。


「その勝負、受けて立ちます」


 セリアがなんか勘違いしてるし。


「いいけど、気を付けないと浴衣が汚れちゃうわよ?」


 黒崎も来ているが早くも呆れ顔だ。


「じゃ、行こう、詩織、アリス」


「「 はい 」」


 定番のフランクフルトやリンゴ飴はもちろん、焼きイカなど、浴衣の女子には難易度が高そうなモノも構わず食べていく。


「ちょっと! その的、何か仕掛けしてるでしょう!」


 黒崎が、倒れない射的にいちいちマジになってるし。


「その辺にしとけ」


 トラブルにならないうちに引っ張って連れ戻しておく。


「もう、ああいうので子供を騙すって許せなくない?」


「まあそうだが、そういうズルさを知っておいた方がいいかもしれないぞ」


「フン。そんなぬるい事を言ってるから犯罪が無くならないのよ。ああ、次はアレにしましょ」


 金魚すくいか。これも懐かしいな。


「みんなもそれでいいか?」


 アリスや詩織に希望を確認する。


「「 はい 」」


 二人とも頷いたので決まりだ。

 セリアと珠美は本気で食い物勝負に行ったらしく、姿が見えなくなっているが、まあ好きにしてくれ。

 残りの四人で、金魚の水槽を囲んだ。麗華は今日は用事で来ることができなかった。


「ま、これは水圧で紙が破れないようにすれば良いだけよ。私がお手本を…あっ! くっ!」


 黒崎が失敗したが、なかなか難しいからな、これって。


「ああ、駄目です…」


 アリスも掬う網を破ってしまった。


「あ…」


 詩織はそもそも金魚を追えていない。


「よっ…おや?」


 俺もどうせ失敗するだろうと思いつつ掬ってみたのだが、紙の網はなぜか破れない。


「なっ! もう一つ!」


 黒崎がライバル心を燃やしたらしく、新しい紙のすくい網をもらうが、これ、そもそも紙の強度が違うんじゃないのか?

 ま、そこも運だろうし、縁日のゲームだからあまり突っ込むまい。


 二匹ほど掬えたが、もらっても邪魔になるだけなので、その場で失敗して泣きべそを掻いていた小学生にくれてやった。


「賢一さん、凄いですね!」


 アリスが感心しているが、気分が良いので紙の強度については黙っておくか。


「インチキよ。紙の強度が違ったんだわ、きっと。ズルい男ね」


 黒崎は納得が行かない様子だが、俺に怒るのは止めて欲しい。


「うるさいなあ。じゃあ――お、アレならインチキはないと思うぞ」


 型抜き。板状の菓子を爪楊枝でくりぬく遊びだ。


「ああダメダメ、私、ああいう地道なのはパス。勝負に良さそうなの、探してくるから」


 黒崎がそう言ってその場を離れるが、だから何でお前らはすぐ勝負にするのかと。

 

 残った俺とアリスと詩織で用意されている椅子に座って、ちくちくと地道に遊ぶ。


「ああ、兄ちゃん、そうやってこするのはルール違反だ」


「ええ?」


 溝をこすって少しずつ削って行けば安全に取り出せると思ったが屋台の店主から禁止されてしまった。

 仕方ないので、端から垂直に突いていく。


「ああ…割れちゃいました」


 詩織が言うが、キリンの首が割れてしまっていた。俺のはゾウだが、鼻が要注意ゾーンだな。


「残念だったな、詩織。ま、そこまでできたんなら、残りも頑張ってみたら?」


「ええ」


「あ…私も、やっちゃいました。残念です」


 アリスもクマの耳が割れている。


「惜しかったな」


「はい」


 俺はさらに集中してゾウの鼻を少しずつ切り出した。


「よし、成功!」


「わあ」

「さすがですね」


 達成感に加え、アリスと詩織が羨望の眼差しで見てくれるのがちょっと気持ちいい。


「うう」


「じゃ、ほれ、これをやろう」


 ここでも泣きべその子供がいたので、ゾウをくれてやった。


「優しいですね、賢一さんは」


 詩織が言うが。


「そうでもないよ。俺達にとっちゃ、そんな価値のあるもんでもないしな」


「ええ」


「じゃ、次は……あれ? アリスは?」


「え? あれ?」


 見回すが、その場にアリスがいない。


 まさか。


「探そう」


「ええ」


 また記憶を失って、新しい人格でも出てきたか?

 くそっ、目を離さなきゃ良かった。


「詩織、俺は向こうを探す」


「はい、じゃあ、私は反対側を」


 手分けしてアリスを探す。銀髪だからすぐに見つかると思ったが、人出が多いので、なかなか探しづらい。


「あ、いた。アリス!」


「ああ、賢一さん」


「探したぞ」


「ごめんなさい。ちょっと他の屋台に気を取られていたら、はぐれてしまって」


「ならいいんだが」


 ポケットの携帯が鳴ったので取るが、珠美だった。


「アリスがいなくなったんだって?」


「いや、もう見つけた。詩織にも伝えといてくれるか」


「ああ、なんだ、分かった。じゃ――おっと、花火が始まった。じゃ、裏山で合流しよ。あそこが一番、綺麗に見えるし」


「ええ? 裏山のどこだよ」


「道を上がって、山の方に入ってちょっと左に行ったところ」


「わかんねえよ」


「もー。まあ、無理に合流しなくてもいいけどさ。終わったら、また下の鳥居で合流しましょ。そのまま解散しても良いし」


「そうだな」

 

 携帯を収め、はぐれないよう、アリスの手を取る。


「裏山で合流だそうだ」

 

「分かりました」


 二人で山の頂上を目指す。他の人達も、上を目指しているようだ。


 ドンッ! と、腹に響く音がして、後ろから赤や黄色の光が道を照らす。


「まだ、結構有るな……。なあアリス、その辺で妥協しないか?」


 山の頂上まで昇っていこうとすると、花火が終わってしまう予感がした。


「ああ、ふふ、そうですね」


 同意してくれたので、俺とアリスは上る道からそれて、花火が見えやすい場所に向かう。


「あっ」


 アリスが小さく声を上げたが、何かと思えば、その視線の先には木の下で抱き合ってキスをしているカップルがいた。


「行くぞ」


「は、はい」


 少し開けた場所を見つけ、そこに行く。


「ああ、ここなら見えるな。なんとか、って程度だけど」


「そうですね」


「もう面倒だからここで見ていくか」


「はい」


 二人で花火を眺める。青く大きな火花が、夜空に次々と花開いては消えていく。

 花火なんて久しぶりに見た気がするが、ここまで綺麗だったかな。


「あの、詩織さんと一緒で無くて良いんですか?」


 アリスがそんな事を心配した。


「うーん、まあ、彼氏としては減点だろうけど、今から詩織と合流するのはちょっと無理だぞ」


 目印の有る場所ならまだしも、この人混みで探し回るのも苦労しそうだ。


「そうですね……ごめんなさい、私のせいで」


「いやいや、アリスのせいじゃないし、気にするなよ。別にまた来年、見に来ても良いんだし」


「はい。じゃあ、来年は詩織さんと二人で」


「ああ」


 何気なくアリスの顔を見たが、彼女はボロボロと涙を流していた。


「えっ、ど、どうしたんだ、アリス」


「あ、あれ? ううん、よく分かりません。花火を見てたら、急になんだか、悲しくなって来ちゃって。おかしいですね。私、どうしちゃったんだろ」


 ううん。家族で見に来た思い出でもあったのかな。きっとそうなのだろう。


「アリス、おいで」


 俺はアリスの手を引くと、その場で立ったまま抱きしめてやった。


「賢一さん?」


「落ち着きそうか?」


「ああ、はい、ありがとうございます。そこまでしてもらわなくても、大丈夫ですから」


「まあ、そう言うな」


 普通の子なら、ここまでしなくてもいいだろうが、アリスは深い問題を抱えている。


「来年もみんなで来ような」


 俺はできるだけ優しく声を掛けてやった。それくらいしか、今の俺にはできることが無い。


「はい……ありがとうございます」


 アリスはそれが嬉しかったらしく、腕に力を入れて俺を抱きしめ返してきた。

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