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医師を志す者達  作者: まさな
第二章 もう一人のアリス
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第六話 失った家族

2016/11/14 飛行機事故を交通事故に変更しました。その他、十行くらい追加修正しています。

      二章四話『アリスの中のアリス』を割り込みで追加しています。

 あれ? この間、話したばかりなんだが、この相手、葵さんなのか?

 思わず携帯を見る。


「ええと、アリスを保護した真田なんですが……」


「ああ、うちのアリスをお持ち帰りしようとしたロリコンの真田ね。それなら知ってるぞ」


 口調ががらりと変わったし。


「いや、つまんないことは良いから。分かってて言ったでしょう」


「ふふ。ちょっと冗談を言ってみたくなっただけだ。そんな畏まらなくてもタメ口で良いぞ」


 一時はふさぎ込んでいた感じだったが、調子を取り戻したらしい。立ち直りの早い人だな。


「ええ。実は…アリスのことなんだけど」


「何か、問題か?」


「ああ、いや、安心して。記憶が一部、戻ったってだけの話」


「戻った!? ああ、良かった…うう」


 早合点して感動している葵に、言いづらくなる。


「あ、いや、それが…待って、そうじゃなくてさ、ええと…」


「んん?」


「葵さんのことはまだ思いだしていない」


「なんだ、そうか…切っていいか。もう報告は大きな事だけでいいと言っただろ」


「ちょっとちょっと。一応、快方に向かった訳だからさ、ごめん、次はもっと良いニュースを持ってくるから」


「ふん。まあいい、それで? 何を思いだした? お前か」


「ああ、うん、俺の家に泊まりに来たことと、あー…」


「構わん、私は医者だ。事実を知りたい」


「ええ、でも落ち込まないで下さいよ」


「誰が落ち込むか、馬鹿。言え」


「詩織のことも思いだしてる」


「何ぃ? 私は?」


「いや。葵さんのことは思い出してない」


「アリスぅ~」


「あー、ま、ま、そこはね、多分、精神病の発症の原因に関係有るんじゃないかと」


「んん? ああ…そうか、やはり健忘症も有るんだろうな」


「彼女の発症の原因、知ってるんだね?」


「ああ。交通事故だ。その事故で、両親と妹を失ってる。それが直接の原因だ」


 葵が答えた。


「ああ…でも、そんなことが」


「彼女の妹は少し年が離れていてな。心臓病を患っていて、生まれつき体が弱かった。元々、大人にはなれないと言われていたが、見た目は元気で、そう、お前が最初に会ったアリスみたいな感じだったよ。その子の名前はリーナと言うんだが、アリスは妹のリーナを治すために医者を目指していた。学生だったんだ。お前と同じ、医大生」


「えっ、そうなのか…」


 俺は驚いたが、医学書に興味を示したアリスに繋がりも感じた。


「それが、入学試験に合格し、リーナの心臓移植の話も決まった時に、あの事故が…私も正直、ショックだったよ。バーナード家とは親しかったからな」


「バーナード。それが彼女の名字……じゃあ、どうして、今まで」


 葵さんは名字を教えてくれなかったのか。


「ああ、さすがに、その名前は家族のことを思い出すと思ってな。車に乗らなかったアリスは事故が自分のせいだと考えてる節があった。彼女が自殺を図って、ああなってから、名字は出さないようにしているんだ」


「えっ! じ、自殺?」


 アリスが自殺を図ったという話は、俺にとって予想外の事だった。にわかに信じがたい。

 あのアリスが。


「そうだ。だから、全てを思いだした様子なら、賢一、お前も少し気をつけてくれ。私としては、彼女が幸せに暮らせるなら、忘れたままでもいいかと思い始めている。だから、うちのクリニックには連れてこないでくれ」


「それで、避けてたのか…でも!」


「分かってる。お前の言いたいことは分かるさ。アリスにとっての家族の記憶、それを私が奪うわけにはいかない。だが、アリスが死んじまったら元も子もないんだ。あいつが、強くなるのを気長に待つしかない。あるいは、別の生活を手に入れるのをな。今は、普通に生活できるんだろう?」


「ええ。でも少しくらい顔を見に来てやってよ」


 俺は言った。両親の記憶が無かった幼女アリスも葵のことは覚えていたのだ。


「ああ、気が向いたらな。じゃ、他に無ければ、切るぞ」


 葵はそう言うと電話を切ってしまった。


「あ、ちょっと…ああ…悪い事、しちゃったな」


 俺は喜んで報告したのだが、葵にとってはほろ苦い報告だったに違いない。


「ただいま…」


「あ、お帰りなさい」

「お帰りなさい。ふふっ」


 アリスの屈託のない笑顔。とても自殺を図ったような子には見えない。そのギャップが俺を困惑させる。


「どうかしました?」


 詩織が聞くので俺は焦った。


「い、いや、何でも。あ、そうそう、アイス買って来たから、みんなで食べよう」


「あ、いいですね」


 棒状のミルクアイス。子供の頃に食ったが、最近はご無沙汰で、ちょっと良いかと思って買って帰ったのだが、彼女の家族の記憶がこれで戻ったりしないかと不安になる。


「やっぱりこっちかな。後は冷凍庫に」


「あ、待って下さい。わあ、懐かしい、私、これが好きだったんです」


 アリスが興味を示した。


「そ、そう」


「へえ、アリス、何か思い出でもあるの?」


 詩織が聞く。


「ん? ああ、懐かしいと言っても、何にも思い出せなくて。ここに来たときより前の記憶は無いです。ただ、これを見ると懐かしい感じがします。食べた記憶は有りますからね」


「ああ」

「そっか。じゃあ、食べる?」


 食べるなと言っては怪しまれる。


「ええ。ふん♪ ふん♪ ふ、ふーん♪」


「あれ? 妙に、ご機嫌だね」


「あ、あはは…だって、何も思い出せなかったのに、自分の名前と助けてくれた人、思い出せましたから。それに…」


「それに?」


「いっ! いえ、何でも無いです。さ、さー、食べましょう」


 あからさまにごまかされたが、家族や自殺のことではないだろう。すぐにニコニコするアリスは楽しそうだ。


「あー、垂れて来ちゃった。そう言えば、結構食べにくかったですね、これ」


 彼女はアイスの下側に舌を伸ばして舐め始めた。


「そ、そうだな」


「あっ。あう…」


 俺のいやらしい視線に気付かれてしまったようで、大胆に食べていたアリスが途端に顔を赤らめる。


「! 賢一さん」


 詩織も鋭い視線を送ってくるし。


「お、おう、ごめん。俺は向こうを見てるから」


「ああ、いえ、いいんです。見ててもらった方が――って、そ、そうじゃなくて! あう、何を言ってるんだろう、私」


 アリスがさらに縮こまってしまった。


「はは。アリスは恥ずかしがり屋だったんだな」


「ご、ごめんなさい」


「いや、別に、アリスのせいじゃないからな、謝らなくてもいいぞ。な? 詩織」


「ええ、気にしなくてもいいわよ、アリス」


 詩織も笑顔で頷く。


「はい…」


 アイスを食べ終わり、手持ち無沙汰になる。

 何か、話題でも…。


「賢一さん、パソコン、使っても良いですか?」


 アリスが聞いてきた。


「ああ、いいぞ。電源、分かるか」


「大丈夫です」


 パソコンの使い方は分かる様子。


「賢一さん、麗華さんへのお礼のことなんですが――」


 詩織が言う。


「ああ、そうだな」


 何もしていなかったが、アリスを見つけてくれたし、面倒まで見てくれる事になったし、何か渡した方が良いかもしれない。菓子折とか。


「わ。わ」


「ん? げっ、こ、こら」


 気が付くと、モニタにあられもない姿の女性の写真が並んでいるので焦った。ネットで集めた俺のコレクション。アリスが俺の秘密のフォルダを見つけてしまったようだ。


「ご、ごめんなさい!」


「ダメだぞ、許可無く人のプライバシーを見たら。つーか、ウイルスかなぁ……」


 苦しい言い訳をしつつ、強引に電源を落とす。


「そ、そうですね…いえ、あの、賢一さん、私、別に軽蔑したりはしませんから。こういうポルノって、男の人は好きなんですよね?」


「いや、うん、まあ、その話は止めよう」


 詩織もさっきから落ち着かない様子で困った顔をしている。目をそらされた。ううん…。


「分かりました。医学の本が多いですね」


 今度は本棚を見てアリスが言う。


「そうだな。君も医学――」


 医学生だったんだな、と続けようとして俺はとっさに口を閉じる。

 彼女が医学生だったという記憶を取り戻したら、家族のことも思い出してしまうかもしれない。

 妹の病気を治すために医者を目指したアリス。

 それが叶わぬ夢となって悲嘆に暮れての自殺未遂もあったらしいからな。


「え?」


「いや、何でも無い」


 なら彼女が医大生だったという情報は、与えない方がいい気がする。


「そうか、葵さん、こういう気分で…そりゃ大変だよなあ」


 俺はまだ知っている過去が少ないが、葵にとってはどれも爆弾級の思い出がたくさんあるに違いない。つい口に出してしまったら、それでアリスの記憶が戻り、彼女がまた自殺を図らないとも限らない。


「読んでも良いですか?」


「いや、止めとけ止めとけ。つまんないぞ」


「はあ」


 暇になったかパソコンをちらちらと見るアリス。そしておもむろに手を伸ばしてくる。


「アリス」


「ひゃっ、な、なんでしょう」


「外行くか。商店街」


「あ、そうですね」


「誰かさんが、ポルノに興味を持つよりは健全だからな」


「あ、あう…良いじゃないですか、私だって、興味くらいはあります」


「え、ああ」


 大人のアリスだったな。ついつい、幼女だと思ってしまうが。


「オホン、じゃ、外に行きましょうか」


 詩織が無難にスルーして促してくれた。


「ああ」


 今日のアリスの服装は、白のブラウスに白のスカート。以前のワンピースとは違うが、色が同じなので、雰囲気は似ている。


「そう言えば、君、白い服が多いね。後は黒とか。麗華の趣味?」


「あ、いえ、色は私が選ばせてもらいました。白が好きなので」


「うん、まあ似合うしな。銀の髪だし…」


「そうね。本当に綺麗だもの。羨ましい」


 詩織も頷く。


「ええ? ありがとうございます。でも私は詩織さんの方が羨ましいかな」


「え? どうして」


 詩織が少しびっくりしたように聞き返す。


「それは――内緒です」


「ええ? 気になるけど…」


「ふふっ、それで、どこに行きますか?」


「そうだな。ああ、公園に行ってみるか」


 俺は思いついて言った。広い方の、三鷹市立公園。詩織と歩いた場所だ。


「あ、いいですね」


 詩織も賛成してくれた。


 公園に向かっていると、ビーグル犬を連れた人がこちらに向かって歩いていた。


「あ、うう」


 詩織がそれを見て怯む。俺達は授業でビーグル犬を授業で手術した事もあるからなぁ。


「大丈夫だ。こいつは手術しないんだから」


 詩織の手を握ってやり、そのまま通り過ぎた。


 市立公園に着いた。

 背の高いケヤキの並木通りがトンネルのように続いている。


「ああ、ここは…」


 三人で歩いていると、アリスが上を見上げて立ち止まった。

 俺と詩織も立ち止まって、彼女を待つ。


「私、前にここに来たことがある気がします」


「え? そ、そうか」


 俺がアリスをここに連れてくるのは初めてなので、その記憶はそれ以前の物だ。

 ミスったか。


「誰か、親しい人と来てて、誰かまでは思い出せないんですけど…でも、ここは好きな場所です」


 幸せそうな笑顔を見せるアリスに、俺は何も言えない。


「じゃ、またここに来ましょう。別に何も思い出せなくても、良いと思う。だってアリスの好きな場所だものね?」 


 詩織が言う。


「はい」


 そうだな。アリスが行きたい場所に行けば良い。俺は恐れるのではなく、それを見守ってやれば良い。

 俺は考えを変えた。

 詩織にはアリスが医学生だったことは伏せておこう。

 俺達は再び三人で歩き出した。

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