第五話 退院したアリス
2017/1/1 若干修正。
昨日、アリスが退院した。
今日は大学の授業が終わった後、俺と詩織と珠美の三人で連れだって麗華の家に行ってみようという話になった。
「うわ、広っ!」
珠美が門の中に入って立ち止まって大袈裟なリアクションで驚くが、麗華の家の敷地はそれくらいの広さはあった。俺や詩織も唖然として声が出ない。
「アリス様はこちらです」
メイドさんが離れまで案内してくれた。アリスが住む予定の離れは何部屋もあるようで、生活には困らないだろう。
居間や寝室も見せてもらったが、高級そうな家具が揃えてあり、俺が住みたいくらいだ。
「あの、本当にお借りしても良いのでしょうか?」
アリスが申し訳なさそうな顔をして聞いたが、麗華は微笑んだ。
「ええ、もちろんですわ。昨日も言ったとおり、どうせ使っていない離れですもの、遠慮無くどうぞ」
「あっ! ついでにあたしも、住んで良い?」
珠美がサッと手を挙げて言うが。
「お前は遠慮しろ。つーか、自宅があるだろ」
俺がツッコミを入れておく。
「あるけどさあ、ここを見ちゃうと帰りたくなくなるって。麗華さぁん、独身のお兄さんとかいないの?」
「いますけどアレはとてもオススメできませんわね」
「えっ! ホントにいるんだ。いいのいいの、麗華さんのオススメで無くても良いから紹介してよぉ」
「いえ、やはり駄目です。示談金でかろうじて刑務所入りを免れている人間のクズですから」
「「 えっ 」」
「ありゃあ、それはちょっと遠慮しておこうかな」
珠美もそれはさすがにハードルが高いらしい。
「ええ、それが良いですわ」
「そいつ、いや失礼、お兄さんはこの家にいるんですか?」
心配になってきたので俺は麗華に聞いた。
「いえ、兄は東京に出たままですからご心配なく。万が一、帰って来たとしてもここには絶対に近づけさせませんから」
脇にいるメイドも頷いていて、それなら大丈夫だろう。
「じゃ、アリス、また明日、寄るから」
「あ、はい」
どこかほっとしたように返事をしたアリスは嫌がっていない。
「構いませんか?」
順序が逆になったかもしれないが、麗華にも許可を取る。
「ええ、もちろん。アリスさんのご友人でしたら、私に断る必要もありませんわよ」
「あっ! じゃあ、泊まっていい? ここを今日からあたしのねぐらに――」
珠美が分別の無いことを言い出すので、その手を引っ張る。
「お前は遠慮を覚えとけ。帰るぞ」
「いいだろー。あたしの夢の食っちゃ寝セレブライフがー」
質悪いな。
麗華の家を出てから言う。
「珠美、アリスは精神病を患ってる。あまり迷惑になるようなことはしないでくれよ」
「ああ、道理で別人みたいになってると思った。最初は詩織の言った通りお姉さんの方かと思ったけど」
珠美が納得したように言う。そう言えばこいつ、アリスに会ってる間、その辺のことを全然口にしなかったな。
「精神病?」
今度は詩織が疑問に思ってしまったようだが、俺が医師なら守秘義務違反で失格かな。
「何でも無い。じゃ、帰るぞ」
翌日も三人で遊びに行ったが、詩織が毎日だとアリスも疲れるのではと言ったので、翌々日は俺も遠慮することにする。
アリスは普通の状態で、見た目では精神病など患っていないように見えた。
「アリスの調子は? そう。落ち着いてるなら大丈夫かな」
麗華とは毎日連絡を取り合い、アリスの様子を聞いている。麗華の方は「保護者代理なら当然です」と快く詳しく報告してくれる。本当の保護者の葵とも連絡を取っているそうで、しっかりした人物だ。
麗華の家はメイドもいるので特に不安は無い。
「じゃ、また。ふうー」
なんだか肩の荷が下りた感じ。
「勉強でもするかな」
それから一週間、俺の生活はようやく元に戻った。土曜日、一週間ぶりにアリスに会いに行く。
アリスが俺に会いたがっているという。詩織も誘って麗華の家に向かった。
「来たよ」
「こんにちは」
「あ…こんにちは」
少しおどおどしながら挨拶するアリスは、表情こそ以前の幼女アリスと似ているが、仕草が全然違う。きちんと立って一礼するその様は、なんだか……やはり姉のようだ。
「しばらく見ないうちに、大人になっちゃったなぁ」
俺は思わず言う。
「えっ、ああ…」
「ふふ、何を往年のお爺さんみたいな事を言ってるんですか。まだ知り合って一ヶ月ほどと聞きましたけど」
麗華もこちらに顔を見せている。
「うん、そうなんだけど。アリス、気分はどう?」
「あ、はい、おかげさまで、普通です」
「そう…」
見た目は普通だ。少し元気がなさそうなだけ。だが、俺のことは思い出してくれていない。思い出してくれとアリスに要求するのも違う気がして、何も言えなくなる。葵が会いたがらないのも解る気がした。
「さ、お茶を召し上がって下さいな」
メイドがお茶を用意してくれ、麗華が勧める。
「ああ、そうそう、昨日、大学でさ――」
アリスの記憶は気長に待つという方針を俺と麗華と詩織の三人で決め、思いだしたかどうかはあまり話題にしないようにしていた。麗華の話では、アリスは無理に思い出そうと頑張る傾向が有り、時々、頭痛を起こしてしまうそうだ。
そうすると普通の世間話、大学の話が多くなる。
「あ、そうですわ、高校の時に、生徒会で――」
麗華が自分の高校時代の話もしてくれた。ただ、昔話を聞く度にアリスは少し悲しそうな愛想笑いをする。彼女自身、何も覚えていないのが不安なのだろう。
「大丈夫、すぐ、思い出せるさ」
つい、昔の癖でぽんと、頭を撫でてやる。
「あ……賢一? ああ!」
アリスが何か思い出したようにハッとした顔をした。
「ん?」
「ど、どうしましたの?」
「まさかアリス、何か思いだしたの?」
「はい、今、どこかの部屋で……どこだろう?」
「きっと、俺のアパートだろうな。あそこしかいなかったから、俺と君の共通の場所って。行ってみる?」
「はい! 是非」
「お、そうか、積極的だな」
「さ、真田さん、変な気は起こさないで頂きたいですわ」
麗華が疑ったのか少し焦ったように言う。
「ええ? ないない。そうじゃないよ」
「ふふ、麗華さんたら」
詩織も誤解せずに笑っている。
「だ、だって…いえ、そうですわね、失礼」
「?」
「じゃ、私達も付いて行くという事で。それなら安全ですね」
詩織が言うが、何がどう安全なのかは俺が突っ込むと藪蛇か。
俺のマンションへ俺、アリス、詩織、麗華の四人で連れ立って向かう。
「ここ。さ、入って」
「お邪魔します。あ…」
アリスが立ち止まり、辺りを見回す。
「どう?」
「はい、覚えてます。私、ここに来たことがあります」
「そうか。思いだしたか…」
「ええ。ここでカップラーメン、食べさせてもらいました。それと、うう、ごめんなさい、わがままばかりで」
「いやいや、それはいいんだけどさ。他には何か有る?」
「ああ、はい、一緒にお風呂…あっ! うあ…!」
アリスは詩織の体の変なところを触ったことを思い出したのだろう。それか、裸になって出てきたことか。アリスは変な顔をして身を縮めてしまった。詩織も思い出したか、ばつの悪そうな顔。
「お風呂ですか?」
麗華が怪訝な顔を俺に向けてくるので俺はすぐに釈明しておく。
「詩織と一緒に入ったんだよな!」
「あ、は、はい、そうです…うう、ごめんなさい、詩織さん」
「ううん、いいよ」
かなり思いだしたらしいアリス。顔は真っ赤だ。自分が何をやったかは覚えているのだろう。
「どうだ、アリス。全部、思いだしたか?」
俺は確認する。
「あ、いえ、全部では」
「そうか」
「でも、良かった。大きな一歩ですよね」
詩織が言うがその通りだ。
「あ、はい。お二人にはなんとお礼を言って良いやら」
「気にするなよ」
「じゃ、お茶を出しますね」
詩織が言い、麦茶に氷を入れて用意してくれた。
扇風機の風でアリスの銀色の髪がふわりとなびく。今日はブラウスを着ているせいか、随分と大人びて見えた。
扇風機に向かって声を出していたあの時のアリスを思い出す。
「アリス、その扇風機に声を出して遊んだの、覚えてるか?」
「ええと、いえ、私、そんな事をしてましたか?」
「ああ、ま、覚えて無くても気にしなくていいぞ」
「ええ」
それから少し四人で話をしてみたが、アリスが思い出したのはお風呂のことだけだった。
「では、アリスさん、今日はそろそろ帰りましょうか」
麗華が言う。
「あの、私、ここに残るというのは…」
「ああ…真田さん、いかがですか」
麗華が俺を見た。
「ん? ええと、まだいたいなら、それは構わないけど…」
「いえ、そうですね、ご迷惑ですよね…すみません…」
アリスが謝るが、別に迷惑だとは思っていない。
「いや、迷惑じゃ無いぞ」
「どうでしょうか、アリスさん、ここに一泊させてもらっては。前にここに泊まったのですよね?」
麗華がそんな提案をした。
「あ…はい」
「あ、それが良いかも。何か思い出せるかも」
詩織も賛成した。
「では…思い出すなら前と同じ環境の方がいいでしょうから、私はこれで帰りますね」
麗華が言う。
「そうか、そういうのも試してみるか…」
俺もあごに手を当てて考える。
「はい」
「じゃ、私も一緒にお泊まりしますね」
詩織が言う。
「ああ」
麗華を見送り、部屋に戻る。
アリスがテーブルの向かいに座り、以前と全く一緒なのだが、今回はアリスに見つめられるとどうも落ち着かない。
「えっと、あー、俺、洗濯物、洗わないと。ごめん、ちょっと休んでてよ」
「あ、手伝います」
アリスも立ち上がる。
「いや、いいって」
「手伝わせて下さい。泊めてもらったお礼もありますし…それに、その…色々とご迷惑を」
「いや、迷惑って事は無いから」
「いえ、でも、あんなことまで…あうう」
「あんなことって、ええと、あー、風呂場の出来事か?」
「ええ、私、あんなはしたないこと…うう、信じられない…」
顔を真っ赤にするアリスは、裸で飛び出した自分を悔いているに違いない。
「ま、まあ、仕方ないよ、あの時は大人としての記憶が無かったわけだし」
「そうです。賢一さんもその記憶、抹消して下さいね?」
詩織がニッコリとして言うが、いや、無理だろ……。肩をすくめて頷いてはおくが。
それ以上矛先がこちらに向かってきても困るので俺は別の話題を出す事にした。
「アリス、葵さんのことは何か思い出したか?」
「葵さん? ああ、私の保護者の人…ですよね」
この言い方だと、覚えてないようだ。
「顔も覚えてないのか?」
「はあ、覚えてるのは賢一さんと詩織さんだけです」
「そうか…」
「じゃ、私、洗濯物、洗っておきますね」
アリスが言う。
「ああ、いいって」
「いえ、それくらいの恩返しはさせて下さい。私、賢一さんに拾ってもらわなかったら、今頃、どうなっていたか」
「麗華みたいな人に拾われてたよ。きっと」
「いえ…どうでしょう。洗剤は?」
「ああ、そっち。ふうん、君、家事もできるのか」
「ええ、だって、昔は自炊してましたから」
「え? そ、そう」
「あ、意外そうですね。まあ、無理もないですよね…。なぜだか幼児同然になっちゃって。頭でもぶつけたのかなあ?」
「えっ? ああ、そうかもな」
彼女の精神病は精神的ショックが原因だと葵さんが言っていたが、詳しい原因までは俺も聞いていない。
ただ、頭をぶつけたなどと、そんな事ではないはずだ。これは、葵のことを思い出せないのと、何か関係が有るのかも知れない。そんな感じがした。
「じゃ、ちょっと俺は買い物に行ってくるよ。二人とも、留守番、頼むな」
「「 はい 」」
口実を付けて外に出る。ま、買う物もあったので、本当にコンビニに寄ってから、駐車場で葵さんに電話する。
「葵さん、真田ですけど」
「真田? ええと、失礼ですが、どちらの真田さんですか」




