第十六話 アリスとの再会
2016/11/6 若干修正。
登校すると、大型バイクに乗った黒いライダースーツの女が見えた。
あれは、葵さんかな?
向こうも俺に気づいたようで、バイクを降りると、フルフェイスのヘルメットを脱いだ。無造作に伸びた髪と鋭い目、やはり葵だった。
いったい、何の用だろうか。
「賢一、ちょっと、顔貸せ」
「な、なんですか?」
「これ、金を返してなかっただろ」
千円札と小銭の入った茶封筒を渡された。
「ああ、わざわざどうも」
すっかり忘れていた。殴られやしないかと緊張してしまった。
「それと、もう一つ、お前に頼みたいことがある。今日の昼、この先のファミレスで待ってるから、来い」
「ええ? 僕、授業があるんですが」
「すぐ済む。済まなくてもサボれ」
「ええ? あ、ちょっと!」
葵はヘルメットをかぶると、俺の返事も聞かずにバイクを走らせてしまう。
「頼みたいことか……なんだろ?」
思いつかない。何かのパシリに使われたら嫌だなあ。その時はきっちりお断りで。
午前中の講義を終え、ファミレスに行ってみることにする。葵はまだ来ていなかったが、食事をしているとやってきた。
「悪いな、賢一」
さすがにこの季節だと暑いのか、ライダースーツの胸元のジッパーを下げ、どかっと向かいの席に座る葵。
「いえ。それで、葵さん、用事ってなんですか。こっちも医学生なので忙しいんですが」
大学生なら暇だと思われてるかもしれないので、予防線を張っておく。
「その前に、コイツとコイツは誰だ?」
葵は一緒に付いて来た詩織と珠美の二人を見た。
「ああ、大学の友人…いえ、俺の、こ、恋人と…」
詩織を友人だと言って紹介するのも不誠実な気がしたので、頑張って言おうとする。
「愛人二号でーす!」
横から珠美が明るくポーズを取りつつ言ってしまう。お前な。この人、冗談は通じないタイプで、しかも危険だってのに。
「ほお…医学生は随分と暇そうだなぁ。殴っていいか?」
指の骨をコリコリっと鳴らす葵さん。
「ま、待って下さい。今のは珠美の冗談ですから」
詩織が慌てて言う。
「ああ。つまんねえ冗談だな。あたしは遊びに来たわけじゃないぞ」
「すみません。珠美、お前はちょっと黙っててくれ」
俺が謝って、釘を刺しておく。
「ごめんごめん、ちょっと場を和ませようと思っただけだから、や、すんません。チャックで!」
「……チッ、まあいい」
舌打ちした葵だが許してくれたようだ。ふう。
だが、葵はゆっくりと両手を広げて、何かしようとしてきた。
全員が、緊張する。
「頼む! アリスを今日と明日、二日ほど預かってくれないか?」
テーブルに両手を突いて頭を下げる葵。
「ええ? ああ、まぁ、それくらいならいいですけど」
俺は頷いた。
葵はそれを頼みに来たようだった。
二日となると、大学の講義を一日休まないと駄目だが、可能な範囲だろう。
「よし」
「理由、説明して頂けますか?」
詩織が問う。
「まあ、ちょっとな…」
葵は言いにくい理由なのか、口を濁した。
「仕事が忙しいとかですか?」
珠美が聞いた。
「ま、そんなところだ。一応、私の連絡先は渡しておくから、何かあれば携帯に電話してくれ」
名刺を渡された。
「セラピスト?!」
何気なく名詞を見て俺は驚いた。思わず葵と名詞を見比べる。
「文句有るか?」
「いや…」
似合わねえ…と思うが、イメージでモノを言ってもな。ただ、アリスがどういう状況に置かれているのか、少し心配になってきた。
「ちなみに、宗教関係の…」
「違う! 失礼な、その名刺の端をよく見てみろ。ちゃんとクリニックとあるだろうが」
「ああ、本当だ」
小さな文字で『橘クリニック』と書いてあった。クリニックとは小さな診療所のことで、規模が大きいと病院となる。
「あたしはそこに勤めてるから。じゃ、アリスは今から連れてくる。飯代は奢ってやるから、ちゃんと面倒見ろよ」
「分かりました」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アリスが葵に連れられてやってきた。
「なー、賢一! 詩織! りっちゃん!」
俺達を見るなり、すぐにこちらに駆け寄ってくるアリス。元気そうで良かった。
「んー? りっちゃん? 誰それ」
珠美が俺に聞くが。
「お前だろ」
「自分でそう言ってたじゃない、あなた」
詩織も言う。
「おっ! そうだった。よーよー、アリス、あたしも覚えてなかった名前を覚えててくれて、嬉しいぞー。じゃ、ご褒美に苺ミルクの飴をあげよう」
珠美も子供の扱いは上手そうだな。アリスが虫歯にならなきゃ良いが。
「じゃ、任せたぞ。明日の夕方くらいに迎えに来るから」
葵がバイクにまたがって言う。
「ええ。あっ、葵さん、アリスの注意点とかは…」
大事なことを聞きそびれていた。
「別にねえよ。普通の小学生と同じだ」
それなら安心だが、アリスは小学校に通ってなくていいんだろうか。障害があっても、養護学級とかあるはずだが。夏休みなのかね?
「じゃ、みんなでこれから遊園地に行こう!」
珠美が提案したが、ま、それがいいな。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
カチャンカチャンカチャンと小さな音を立てながら、ジェットコースターがレールの頂上へ向かってじりじりと昇っていく。
こんなの乗るの、久しぶりだなあ。
「むふー。あはっ!」
隣のアリスを見ると、目を輝かせてるし、やっぱり子供はこういうのが好きだよな。
「だ、大丈夫、怖くない、怖くない、怖くない…」
詩織が後ろで自己暗示のつもりか、念仏のように唱えてるが…。
「よーし、来い来い!」
珠美は全然平気。
ガコン、と、何かが切り替わり、凄い勢いでジェットコースターが突っ込んでいく。
「ふおっ!?」
「なー!」
「きゃあああああ!」
「いやっほーい!」
ま、待て。いや、こんなにキツかったか?
ぐおお…、まだスピードが上がるのか。
ガタガタと車体が揺れるが、強度的に大丈夫なのかと心配になってくる。
5分後……。
「なー!」
「いやっほーい!」
アリスと珠美がもう一度乗っているが、楽しそうだ。
俺と詩織はベンチに座って、二人とも死にそうになっている。詩織が青白い顔をしているが、きっと俺も同じ顔色をしていることだろう。
「ふー、あれほどキツイとは」
「ええ。それに怖かったです…」
遊園地を甘く見すぎた。小学校の頃に乗った時は、俺は全然平気だったのだが、不思議だ。
「じゃ、次、行こう、次」
「次ー! 次ー!」
珠美とアリスが戻って来たが、お前らホント元気だな。
「もうちょっと、休ませてくれ」
「私も…」
「ええ? ほら、次は緩いのにしてあげるから」
珠美とアリスに手を引っ張られ、次はメリーゴーランドに乗る。さすがに、アリス一人で乗せるのは怖いので、二人乗りで俺が後ろだ。アリスの体は少し大きいが、係員に二人で乗ってもいいか確認し、大丈夫とのことだった。
「なー、お馬さん!」
「うお、これも、結構来るぞ!?」
結構なスピードの回転運動に加え、上下の波が結構激しい。
「わ、私、も、もう駄目…」
耐えてくれ、詩織。
「はいやー、騎乗位ー!」
黙れ、珠美。くそ、注意する余裕もねえ。
次はフリーフォール。俺は初めて乗るが…。
「た、高いな、おい」
下を見ると本気で怖い。
「高いー。あはっ」
アリスは全然平気のようだ。
「ここのはそんな大したことないって」
珠美がそんな事を言うが、充分凄いぞ。
「こ、怖くない、怖くない、怖くない…」
詩織は目を閉じて一心不乱に自己暗示を掛けている。
頂上まで座席が上がりきると、ガコンと、ストッパーが外れて、一気に落ちる。
「うおおおお?!」
「なー!」
「あっはっはっはっ、楽しー」
「きゃああああ! いやー! お母さーん!」
降りたが、足がよろけるし。遊園地ってこんなにハードだったか?
「賢ちゃん、アリス見てみ」
珠美がニヤニヤして言うが。
「んん? あっ、おい」
今日も白色のワンピースで来ていたが、風でめくれたらしくパンツが丸見えになっている。
こうドーンと来られると、色気も何も無いな。
「アリス、ほれ」
俺は服を直してやった。
次はコーヒーカップ。詩織が脱落し、ベンチで休憩。俺も休みたかったが、アリスが手を引っ張るのでもうひと頑張りしてみる。
「あー、来るわ、これも。もうちょっとゆっくり回してくれ…」
「ええ? 全然、怖くないでしょ?」
珠美が言うが、そーじゃないから。うっぷ。
「なー!」
アリスはご機嫌だが、ま、連れてきて良かったな。
次はゴーカート。一人乗りのミニカーに乗り込んで、周回コースを走るが。
「オラオラ、どけどけーい!」
凄いスピードでガツンと俺の車体にぶつけて抜いていったが、わざとだろう。
「アホか! 珠美、危ないだろ!」
「なー! なー!」
「うおっ、止めろ、馬鹿、アリス」
アリスが真似して、ぶつけてくるし。むち打ち症になったら、どうするんだと。
「ひゃ、ど、どいてください~!」
詩織もぶつけてきた。コイツに車の運転はさせちゃ駄目だな。
「もう我慢ならん。次は乗り物以外のアトラクションにするぞ」
俺は宣言する。
「じゃ、あれだね」
珠美が指差したが、お化け屋敷か。
ま、余裕だな。
「じゃ、それで行こう」
「えっ」
「なー!」
詩織が少しビビっているが、子供向けだし、大丈夫だろ?
「GUOOO!」
思った以上にリアルなゾンビが墓の下から飛び出してきて、ちょっとドキッとする。
「やぁー!」
「きゃああああ!」
アリスもコレは苦手だったらしく、俺に抱きついてくる。反対側からは詩織も抱きついてくる。
俺としては美味しいが、いや、そんなに必死に抱きつかなくても平気だぞ?
「落ち着け、うおっ?!」
「GUOOO!」
「やぁー!」
「きゃああああ! 許して下さいぃいい~!」
珠美はもう一人で先に進んだらしく、けろっとした顔で出口で待っていた。
「遅ーい。何やってたの?」
「いや、こいつらが」
「もーやー!」
「うう、私、二度とお化け屋敷は入りません」
何とか落ち着かせ、少し休憩にしてラウンジスペースで四人でジュースを飲むことにした。
「やっぱ楽しいねー。どーよ、賢一、このハーレム状態は」
珠美が言うが。
「アホか。子供もいるんだから、変な言い方すんな。遊園地もたまにならいいが、乗り物はパスだな」
「ええ? 遊園地から乗り物を取ったら、何にも残らないじゃない。ねえ、詩織」
「残らなくていいです」
笑顔の無い詩織はちょっと楽しめてない感じだな。詩織とのデートは遊園地も良いかと思っていたが、止めておこう。
「ええ? アリスは楽しかったよね」
珠美がアリスに聞く。
「うん! 楽しかった! でも、お化け屋敷はやー!」
「そうかー。ま、お化け屋敷は大人のカップルが楽しむものだもんね!」
珠美がニヤッと意味ありげな視線を俺に送ってくるが。
「いや、詩織もキツそうだったし、楽しめる人――お前だけで行ってこい」
「ちょっとちょっと。一人でお化け屋敷に入っても楽しくないっての。アリスはここ、よく来るの?」
珠美がアリスに聞いた。
「んーん! 初めて来た!」
「おー、そりゃ良かったね。でも、あれ? 葵さんは遊園地、連れてってくれないの?」
「うん、お仕事で忙しいんだって」
「そうかー。あたしなら毎日でも連れてってあげるんだけどねえ」
「仕事はどうするんだと」
ツッコミを入れておく。
「そりゃ、旦那さんが稼いでくれるでしょ」
珠美がさらりと言い返してくるが、お前は医大に来る必要があったのかと。
「……」
黙り込んでいる詩織は退屈もしているようだから、そろそろ帰るとするか。
「じゃ、そろそろ、帰ろう」
「ええ? 冗談、まだ閉園時間まで思いっきり時間あるのに」
「別にお前は遊んでて良いぞ。アリスはどうしたい?」
俺はアリスに聞いてみる。
「んー、帰るー」
「えー、お姉ちゃんと一緒に遊ぼうよー」
珠美が誘うが。
「んー。帰る」
アリスももう飽きた様子だ。
「とほほ。じゃ、詩織も帰りたそうな顔してるし、仕方ないね。あ、じゃあ、最後! 観覧車! あれで締めて帰ろう」
珠美が言い、ま、それくらいはいいだろう。観覧車なら体力は減らないし。
「いいぞ」
「じゃ、二組ずつで乗ろう」
珠美が言う。
「んじゃ、俺とアリス、お前と詩織だな」
今、俺とアリスが手を繋いでいるし、珠美と詩織は親友同士。
「ええ? ちょっと…私がアリスと乗るから、賢ちゃんは彼女とでしょ」
「あ、ああ、そうか、ごめんごめん」
詩織に謝る。いかんな、意識が足りなかった。
「いえ」
「やー、賢一と乗るー」
アリスは俺と一緒の方が良いらしい。
「うーん」
「えー? 仕方ないなぁ。じゃ、四人で乗ろっか。さすがに、観覧車に一人ってのは勘弁してくだせえ」
珠美が言うが、ま、そうだろうな。
「ああ、はは、まあ、四人で乗れるだろ」
「うん、ふふ、みんなで乗る方がいいよ」
詩織も笑顔で頷き、決まりだな。
俺達は四人で仲良く観覧車に乗り込んだ。
「おー」
高くなってくると、アリスが外の景色に心を惹かれたようで窓に張り付いている。
「ここ、夕日になるともっと景色が良いから、頑張りなさいよ、賢一。最低で、キスまですること」
珠美が俺に言ってくるが。詩織に聞こえるように言うのはどうなのか。しかもキス以上って、何をどうするんだと。
「いや、珠美、アリスもいるんだぞ」
俺は注意しておく。
「別にキスくらいいいでしょ。ね、アリス」
「うん!」
ま、子供だから分かってないか。
「じゃあ、オホン。詩織、また今度、二人で来ようか」
俺は言っておく。
「は、はい」
顔を真っ赤にしている詩織は嫌がってはいない様子。これでキス確定か…。
「やー、アリスも行くの!」
「ああ、もちろんアリスも一緒にな」
アリスの頭を撫でてやる。
「ふふっ。家族ができたら、こういう感じなのかな」
アリスに邪魔された格好の詩織も、怒るどころか微笑んでいる。
「そーだね。フフ、あたしが二号ちゃんで」
そこで珠美が変な事を言うし。
「やめい。お前、せっかくの良い雰囲気が台無しだろうが」
「ええ? 良い雰囲気って…。ああ、なんだ二人とも、もう結婚した後の計画まで立ててるわけ? 気が早いわねぇ。ちなみに子供は何人?」
「い、いや」
そこまでは計画してない。
「そこまでは計画なんてしてないけど、でも、一人っ子にはしたくないな。私は、兄弟がいる方が良いと思う」
詩織は自分が一人っ子だからか、そんな事を言った。でも、兄弟って、服がお下がりになったり、取っておいたアイスやプリンを勝手に食われたり、微妙だと思うぞ。
まあでも、兄一人、妹一人が理想かな。ここはもちろん詩織の意見を尊重で。
「ほうほう。よかったねー、アリス。今日は詩織ママと賢一パパが一生懸命、妹作りに励んでくれるわよー?」
「ちょっ!」
「なななな、た、珠美!」
「妹? 妹…アリスの妹……」
アリスは妹の意味が分かっていないのか、小首をひねる。
「ア、アリスのじゃ無いぞ。それに妹じゃなくて弟の可能性もあるだろうが」
俺が言うが、まともな反論になってないなと自分でも思う。くそ。
「ありゃ、スベったか。まあいいや。アリスー、甲斐性無しのこいつらに代わって、あたしがアリスのお姉ちゃんになってあげよう」
「なー! りっちゃんがお姉ちゃん!」
嬉しそうだが、りっちゃんのまんまだな。